西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

懐かしのカントリー&ウェスタン 92 [ マール・ハガード (1) ]

2009年05月25日 | ボブ・ウィルスを歌う
Merle Haggard (1) 
米国盤 Capitol Records SN-16279 A Tribute To The Best Damn Fiddle Player In The World

(1)Brown Skinned Gal (2)Right Or Wrong (3)Brain Cloudy Blues (4)Stay All Night (Stay A Little Longer) (5)Misery (6)Time Changes Everything (7)San Antonio Rose (8)I Knew The Moment I Lost You (9)Roly Poly (10)Old Fashioned Love (11)Corrine Corrina (12)Take Me Back To Tulsa


マール・ハガードが偉大な ”Western Swingの王者” ボブ・ウィルス(1905~1975年テキサス州出身)に捧げたレコードです(私のは再発盤)。
タイトルにある The Best Damn Fiddle Player の”Damn”という表現は調べてみると「チクショウとか忌まわしいとかの怒り、いらだち、軽蔑、落胆などの意を表すが 非常に乱暴な表現なので避けるほうがよい」・・・・・となっていました。でもここではBest の後に使っているのできっと ”こいつはまた凄い fiddle player (Bob Willsのこと)だなぁ、まいった!驚いた!!”とかの強調する意味で使っているんでしょうね。

1937(昭和12)年生まれのマールと1905(明治38)年生まれのボブでは親子ほどの開きがあって音楽的な接点は全く無いのでは・・・・・と私は思っているのですが、このアルバムといい彼の「ジミー・ロジャースを歌う」アルバムといい 時代は異なっても一流カントリー歌手として一種の矜持(きょうじ:自分の能力を信じて抱く誇りとかプライド)を保ちたいという気持ちと伝統への敬意を表わしたいという意味があったのではないかと想像します。 演奏にはマールのバンド THE STRANGERS とボブのTEXAS PLAYBOYS のOB達数人が参加していてマールもフィドル(バイオリン)を弾いたりしてはしゃいでいる感じで楽しみながら作ったようなアルバムになっています。
以下は彼自身が書いている長い解説の概略です
・・・・・・「ボブ・ウィルスは Western Swing という音楽の型を作った一人で、稀代のエンターテイナーでした。Wesern Swing はDixieland blues や1930~40年代の modern dance fiddle style sound や ジミー・ロジャースような vocal mannerism の複合したものと考えてよいでしょう。ボブは50年以上にわたって国中を演奏旅行し、ラジオ、映画、レコード等で活躍しましたが、私は疑いなくmost well-known and creative fiddle player でもあると思っています。
ボブのキャリアは1920年代に始まっていますが、本領を発揮し始めたのは1934年にオクラホマ州タルサで The Texas Playboys を結成してからです・・・・(略)・・・・私は12才の息子に”Bob Wills て誰なの?”と尋ねられた時一言では答えられなくて、ボブ・ウィルスの音楽について全く知らない今の若い人達に説明できない私自身が申し訳ないような気持ちを持ったのです・・・・・私はかってジミー・ロジャースを歌うアルバムを出しましたが、ボブ・ウィルスのアルバムも”Once a good sound, always a good sound; or once a hit, always a hit”という同じ理由からです。
このレコードを作る際には多くの難題がありました、Bob Wills のユニークなサウンドをどうしたらリアルに再現できるだろうか・・・・ということでした。Roy Nichols(The Strangers のリードギター奏者)や Norman Hamlet(同じくスティールギター奏者)や他のメンバーと何ヶ月も話し合った結果、何人かのTexas PlayboysのOBに参加してもらわないと再現できない-という結論に達したのでした。そうすることはもう鳥肌が立つ思いでしたが 何人かの元テキサス・プレイボーイズのメンバーが快く参加を引き受けてくれたのです。1970年4月6日( くしくも私=Merlの誕生日でした )に The Texas Playboys が再結成されたという訳なんですね。
Johnny Gimble (フィドル)、Tiny Moore(マンドリン)、 Eldon Shamblin (ギター)、Johnnie Lee Wills(ボブ・ウィルスの弟)、 Gordon Terry(フィドル)らOBと私のバンドThe Srangers のメンバーがほとんどリハーサルも無しに3日間のレコーディング セッションに臨んだのです。この3日間はもう人生最大の楽しい時間でした、最後の曲”Misery”を録音し終えた時、私をはじめ皆の目に涙が溢れていました・・・・・・このアルバムが新しい世代にはBob Wills & The Texas Playboys の偉大な音楽を知るきっかけになること、昔を知る人達には想い出を甦えらしてしてくれるものになればと願っています。」・・・・・・・と。

音的にはアップテンポの典型的 Western Swing のウキウキサウンドは(2)Right Or Wrong、(4)Stay All Night、(6)Time Changes Everything、(7)San Antonio Rose、(9)Roly Poly、(10)Old Fashioned Love、(11)Corrine Corrine、(12)Take Me Back To Tulsa で全般に 調子の良いフィドルやピアノ、スティールギター,時折り管楽器をフューチャーしたもので楽しく、マールも掛け声を入れたり合間に奏者を紹介したりしています。(3)Brain Cloudy Blues はブルース調のスローテンポ曲でJ.ギンブルのフィドルにのってマールのブルース調の歌もなかなかのもの。(5)Misery はスローなムードいっぱいの曲でボブ・ウィルスの隠れた名曲かな・・・・・マールもフィドルを弾いているようですが・・・。    どの曲も素晴らしいですが、僕自身は(5)Misery と(6)Time Changes Everything(時ふれば)、(10)Old Fashioned Love がよかったと思っています。尚、マールはもっとボブの名曲を採り上げたかったらしく、その旨を追記として書いています。
ジミー・ロジャースよりもこのボブ・ウィルスを歌うアルバムこそ2枚組だったらよかったのにと思います(私感)・・・・・ともあれ、こうした伝説のカントリー歌手についての Tribute Album を出せるような人はマール・ハガードが最後のような気がしています。
CDとして出ているかも知れませんが・・・・??
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お気に入り (4)

2009年05月24日 | つれづれに
自分が初めて飲んだバーボンウィスキーは「Early Times」だったので今でも一番飲む率の高いお酒は「アーリー・タイムズ」。でもバーボンウィスキーには沢山の銘柄(ラベル)があるので色々と飲んでみたくなる気持ちは抑えがたい。原料のコーンと理想的な水が豊かなアメリカはケンタッキー州産のお酒だけに Old American の雰囲気がただよっていて私の好きな Country Music にもぴったりである。人によっては Jazz に合うという人もいる・・・・・都会の片隅で・・・という雰囲気にも合いそう、まあ好みに応じて楽しめればよいと思う。

ここに挙げた「Old Forester(オールド・フォレッスター)」という銘柄は物の本によるとケンタッキー州ルイヴィルにある大手バーボン・メーカーのブラウン・フォーマン社が作っているもので 先の「Early Times(アーリー・タイムズ)」も同社が作っているそうでいわば兄弟分というところでしょうか・・・・製造工程もアルコール度数も異なるそうです。 海賊版の横行を防ぐために1874年に業界初の壜詰めバーボンとして売り出されたそうで、ラベルに筆記体でキャッチフレーズが書いてあってその末尾文に There is nothing better in the market とあり わざわざ下に線が引いてあってそのことを強調してあります・・・・・・本当にまろやかな味の美味いバーボンです(アーリータイムズと似た味わい と感じました)。 
となりのお酒は麦焼酎「壱岐」(長崎県壱岐島の産)でこちらもまろやかで美味しくてよく飲む気に入りのお酒・・・・・・・どちらもロックで飲むのが美味しいと思う
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懐かしのカントリー & ウェスタン 114 [ ファーリン・ハスキー(1) ]

2009年05月24日 | つれづれに
Ferlin Husky (1) 
米国盤 Hilltop JS-6086 Green, Green Grass Of Home

(1)Green,Green Grass Of Home (想い出のグリーングラス )(2)Get Me Off The Fence (3)How Much Are You Mine (4)You'll Die A Thousand Deaths (5)I Saw Her Today (6)Peter Weather Bird (7)Hank's Song (8)I'll Never Have You (9)I Feel Better All Over (10)I'll Always Speak Well Of You


このレコードはキャピトルレコード原盤を使った廉価盤で、ファーリン・ハスキー(1925年~現在 ミズーリ州 出身 )の初期の純カントリースタイルがつまったもので古いものです・・・・・純カントリーとはいってもほとんど Hank Williams スタイルといってよく、そっくりに歌っていて まるでハンクの弟分とでも云えるような傾倒ぶりです。天国のハンクが聴いたら自分のそっくり物真似ぶりに思わず吹き出して笑ってしまうのではないでしょうか・・・・。
(1)(9)以外の曲はまるでハンクのバンド The Drifting Cowboys が演奏しているみたいな錯覚を起こすほどで、ファーリン・ハスキーも鼻にかかった、裏声のように声を返す唱法を多用して歌っています・・・・・ファーリンはもともと芸達者な人で 他人の物真似が上手い人なので( 声帯模写 )わざわざハンクに近い雰囲気を意図して録音したのかもしれないです・・・・・本人自身も初期の頃ハンク・ウィリアムスをアイドルとしていたことは知られています。
特に(7)Hank's Song は多くの Hank Williams の曲のタイトルを寄せ集めて1つの歌に仕上げたもので、スティールギター、フィドル( カントリースタイルのバイオリン )をバックに単純ながらなかなか雰囲気のある唄になっています。

ところで、1曲目の ”想い出のグリーングラス ” だけは他の曲と違った雰囲気で ピアノとスティールギターそれにバックコーラスを入れて情緒豊かに歌っています。アルバムタイトルにしただけあって 全く素晴らしい出来で、唄も語りも渋くて 僕は数ある ”想い出のグリーングラス ”の中でもベストの部類に入るのではないか・・・・と思っています。  カントリーでは一般にポーター・ワゴナーの唄で有名とよくいわれますが、ポーターの ”想い出の~”はちょっとあっさりし過ぎていて物足らなさがあります・・・・・・本当は( 昔の歌手でいえば )レフティ・フリッツェルのようなしんみりした歌い方の出来るタイプの人が歌った方が絵になるのかな-と感じています。

ジャケットの解説を訳して載せておきます・・・・・「 もし Ferlin Husky という名前の単語があって 定義するとすればさしずめsuccessful-のような語義になることでしょう。 ファーリン・ハスキーはミズーリ州の Flat River という所の出身です、初めての Gold record が ”Gone ”という曲でした。彼はこれまでに ”Wings Of A Dove ”や ”I Feel Better All Over ”、”I Could Sing All Night ”といった曲で2000万枚以上のレコード売り上げを記録していてカントリーミュージックの世界で名の通ったシンガーの一人です。
カントリー歌手としては最も機転の利く多才な人の一人と思われていて、一瞬のうちにステージと聴衆を盛り上げる能力に長けているといえます。決してありきたりの演奏や歌ではなく、それはもう彼のベストともいえるパフォーマンスなのです。トップクラスのレコードの売れ行きや売り切れ続出の演出からWorld-wide starの出現といってもいいでしょう。

ファーリン・ハスキーはこのアルバムで真のカントリースタイルを踏襲したメロディを駆使して 人生で経験する苦難や悲劇あるいは楽しいエピソードなどの唄を歌って人の心をとらえています。 ”Green, Green Grass Of Home(想い出のグリーングラス)” のような内容の歌に必要なムードを出せる歌手はそんなにいるものではありませんが、ファーリンはごく自然にその味を出しています。
恐らく皆さんの好みはファーリンの豊かな表現力に色取られた real song (8)”I'll Never Have You ”という曲かもしれません・・・・・・貴方がどんな音楽的嗜好をもっていたとしても きっとファーリン・ハスキーの歌とスタイルに心打たれることと思います」・・・・・と。

1925(昭和14)年生まれだそうですから今は83才くらい、故 Hank Williams と同世代なんですね,
jazzy な歌い方で人気があった人でした・・・・・・まだ音楽活動をしているんでしょうか??
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本 -14- (誇り高き西部劇)

2009年05月21日 | 西部劇の本
誇り高き西部劇  
著者:逢坂 剛 / 川本 三郎  新書館  2005(平成17)年


約1年前に書いた記事を今回載せることになりましたが、これは西部劇ファンにとっては有難い今でも現役バリバリの本です。以前紹介した「大いなる西部劇」の続編ともいうべきもので、作家 逢坂 剛さん(1943年生まれ)、映画評論家 川本三郎(1944年生まれ)さん2人の西部劇に対する情熱が感じられるものになっています。
<目次>
まえがき (逢坂 剛) 
(1)西部劇黄金時代のスターたち・・・・・・ランドルフ・スコット、ゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、ジョエル・マクリー、ロバート・テイラー、アラン・ラッド、エロール・フリン、グレン・フォード、フレッド・マクマレイ など22人のスターが主演した西部劇のプログラム写真集。アメリカの俳優なら必ず西部劇出演作があるのが当たり前だった時代なのでほとんどのスターが登場しています

(2)西部劇を盛り上げた個性派スター・・・・リチャード・ディックス、スターリング・ヘイドン、モンゴメリー・クリフト、タイロン・パワー、ヴィクター・マチュア、ジャック・パランスなど18人の出演西部劇のプログラム写真集

(3)B級ウェスタンのスターたち・・・・・・・ウイリアム・エリオット、ロッド・キャメロン、ガイ・マディスン、ロバート・スタック、ブロードリック・クロフォードなど30人のスター達が出演した西部劇のプログラム写真集 

(4)女性がメインの西部劇プログラム・・・・・マレーネ・ディートリッヒ、バーバラ・スタンウィック、ロレッタ・ヤング、ジェーン・ラッセル、モーリン・オハラ、マリリン・モンローなど27人の綺麗どころが出演した西部劇のプログラム写真集 

(5)インディアンがメインの西部劇プログラム・・・・・エドモンド・オブライエン、ヴェラ・マイルズ、サル・ミネオ など7人の出演西部劇のプログラム写真集

(6)ニューシネマの西部劇・・・・・・・サム・ペキンパー(監督)、ロバート・レッドフォード、リー・マーヴィン、クリス・クリストファーソン など8人のニュー西部劇のプログラム写真集

(7)対談 西部劇、その魅力を俳優別に語ってみたら 

(8)デルマー・デイヴズ讃(逢坂 剛)・・・・・「私にとっての三大西部劇監督はジョン・スタージェスとアンソニー・マン、そしてデルマー・デイヴスの三人である」・・・・・とのことで、デイヴス監督の9本の西部劇について各作品ごとに薀蓄を述べられています。 その9本とは「折れた矢」「帰って来たテキサス人」「太鼓の響き」「去り行く男」「襲われた幌馬車」「決断の3時10分」「カウボーイ」「悪人の土地」「縛り首の木」・・・・・というんですが見てのお楽しみかな? 

(9)フロンティアへの讃歌と挽歌 (川本三郎) 
あとがき (川本三郎)

さて、2人の対談のところでは”長年にわたり収集したなかから厳選した300点・・・・・お互いのプログラムを眺めながら西部劇の魅力を縦横無尽に語る”・・・・・ということだそうです。これだけでも面白いのですが4~5人で口角泡を飛ばしながら喧々諤々(けんけんがくがく)語り合うくらいの雰囲気があった方が面白かったかもしれないですし、できれば詳しいアメリカの人が一人でも加わってアメリカサイドからの意見があったりするともっと楽しいものになる気がするんですが・・・・・でもまあ失なわれたものに対してロマンを掻き立てるようなもので内容的にはよかったと思います。

本の前半分を占める往年の西部劇プログラムやプレス・シートが全てカラー写真で載せてあるのでそれらを眺めるだけでも西部劇への意欲が湧いてくる感じで楽しいものです。「銃の後に立つ男」「拳銃の町」「西部の人」「死の谷」「勇者のみ」「襲われた町」「月下の銃声」などの日本語題名を見ただけで想像力を掻き立てられて見たくなるようなやり方のほうがずっと楽しそうです・・・・・その点横文字一辺倒の現代の洋画は損しているかなと思います(横文字だけではイメージが湧いてこないものが多いですし見たいと思わせるには気の利いた日本語題名を・・・・・です!)。

プログラムの写真集を見ていると現在発売になっている西部劇DVD以外にいかに数多くの作品が埋もれてしまっているか・・・・・がわかります。西部劇映画が甦らないのならせめてDVD等でこれらの作品が見ることの出来る状況になって欲しいなと願うばかりです。
表紙は「死の谷(Colorado Territory)」のジョエル・マクリーとヴァージニア・メイヨ
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映画 「グラン・トリノ」を見る

2009年05月18日 | つれづれに
5月16(土)、17(日)と仕事上の全国の集まりがあって博多マリンパレスに行ったあと中洲大洋に映画を見に行った。クリント・イーストウッド主演の「グラン トリノ」という映画・・・・・内容も何も知らなかったので ただクリント・イーストウッドを見に行ったといった方がいいかも知れない。予備知識が何にもなかったけれど見てよかったと思った。

朝鮮戦争の勇士で、戦後は車のフォード社に30年勤め上げて今は引退の身で、妻を亡くし、子供達は独立して独り身の生活を送る男(Clint Eastwood)・・・・・・彼の家の周辺はいつの間にかアジア系の人達が住むようになっていた。昔気質のアメリカ人の精神を引きずっている彼は何かにつけて現状が気に入らず、嘆くことが多いのだった。   
ある事件をきっかけに隣に住むラオス人の若い姉弟と知り合う、2人は東南アジアでの戦争で共産勢力の報復を恐れてアメリカに移住して来た一家の子供達であった。東洋人に対する偏見を持っていた彼だったが否応なしに接していくうちにそうした姿勢が変わってゆく・・・・・・色々な出来事があって・・・・・最後は街のチンピラから2人を救うために自ら死地に赴く・・・・・といった内容。

イーストウッドの役は アメリカが強く、その行動が正当化できた時代に生きた古いタイプの頑迷なアメリカ人を演じているんですが、言わんとすることが何となく解るような気持ちでした。    考えてみたらアメリカ西部開拓時代が終わろうとする時に時代に取り残されてゆく西部男やカウボーイ達がぶざまな形ないしはこっけいな形で滅びてゆく(死んでゆく)・・・・・・という西部劇がけっこうありましたが、それを現代劇に置き換えたような内容にも思えて・・・・クリント・イーストウッドを見に行ってよかったな・・・。 ずいぶん年取ったけれどそこは映画スター 、いつまでも昔のイメージを保つために努力しているんでしょうね・・・・・・体型なんかは昔テレビ西部劇「ローハイド」に出ていた頃と変わらないですもん、とても嬉しかったですよ。   写真は Laser Disc のジャケットから「ローハイド」時代のクリント・イーストウッド(前にいるのはエリック・フレミング)です
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本ー20- (西部劇映画100選)

2009年05月10日 | 西部劇の本
西部劇映画 100選    著者:増淵 健  秋田書店 1976(昭和51)年 発刊

1970年代までは西部劇に関する本が比較的たくさん出ていました・・・・でもそれを過ぎるとさっぱりで、1980年代は西部劇不毛の時代、映画も申し訳ない程度にあるだけでしたので西部劇はすっかり過去のものになったのでした。時代の風潮もあるでしょうし、西部劇ファンは圧倒的に男性が多かったので興業的なことを考えても半分を占める女性観客にアピールできない映画は敬遠されがちになったとも云えるでしょうし仕方のないことなんだと思います。
そんな中、西部劇映画にとても熱心だった映画評論家の増淵 健さん(故人)の本が出されたのは嬉しかったものです。

本のあとがきに 「100選であって100傑ではない・・・・・独断と偏見に満ち溢れて選んだ・・・・・”大列車強盗”から”平原児”までの33年間の空白があって見ていない作品は書かない方針を貫いた・・・・・映画は文字とちがって個人が望むまま”原典”に接しられないハンデを背負っている このハンデは絶対で、あまりにしばしば絶望的な気持ちになった・・・・・未見の作品の多さへの違和感がとことんついてまわった・・・・・私の独断と偏見にいささか特徴があるとすれば、日本人が西部劇について語るという視点に徹したことだろう・・・・・」、と書いておられます。 自分よりもずっと先輩である増淵さんでさへそんな風に感じられているのだから私なんかの世代が”遅れてきた西部劇ファン”と感じても納得できるな・・・・・と思ったものです。

さて内容ですが、例によって作品群が挙げられて それについての監督、俳優、ストーリーが載っているのですが 各作品中にも増淵さんの思い入れ-とか薀蓄(ウンチク)が随所に述べられていて面白く読めるものになっています。 今では古本でしか手に入らないものですが、西部劇ファンの人は見つけられたら是非購入された方がいいかな-と思います。  大量ですが載っている作品リストだけを載せておきます。 増淵さんが挙げられた100選、大体こんな作品を見ていると一応の西部劇通と自慢できるのかも(?)知れません(役にも立たない-どうでもいいような自慢なんですけどーsmileー)・・・・・これらのうち日本でもけっこうDVDになって発売されている作品が多い(しかも安価なのが多い)のに気付かれるかと思います。   西部劇を楽しむ指標になればいいですが・・・・・

<目次>
映画の開拓時代: 大列車強盗/ 戦う隊商/ 平原児/ テキサス決死隊/ 新天地

ナショナリズムの時代:
 駅馬車/ 大平原/ 地獄への道/ 砂塵/ マルクスの二挺拳銃/ 西部の男/ 西部魂/ 壮烈第七騎兵隊/ ならず者/ オックス・ボー事件(牛泥棒)/ 西部の王者/ サン・アントニオ/ 荒野の決闘/ 落日の決闘/ 拳銃無宿/ 追跡/ 凸凹西部の巻/ 白昼の決闘/ 西部の裁き/ アパッチ砦/ 黄金/ 三人の名付親/ 腰抜け二挺拳銃/ テキサス警備隊/ 赤い河/ 死の谷/ 黄色いリボン/ 荒くれ男/ ウィンチェスター銃'73/ 折れた矢/ 拳銃王/ 幌馬車/ ジェロニモ/ テキサスから来た男/ リオ・グランデの砦/ 彼女は二挺拳銃/ ダラス/ 勇者のみ/ 命知らずの男/ 勇魂よ永遠に

権力否定の時代: 
真昼の決闘/ 無頼の谷/ シマロンの女拳銃/ 私刑される女/  シェーン/ 最後の酋長/ カラミティ・ジェーン/ ヴェラクルス/ 折れた槍/ 大砂塵/ 大酋長/ コマンド/ 星のない男/ 拳銃稼業/ 荒野の無頼漢/ 誇り高き男/ 捜索者/ 機関車大追跡/ ローン・レンジャー/ 必殺の一弾/ OK牧場の決闘/ 決断の3時10分/ 大いなる西部/ カウボーイ/ 西部の人/ リオ・ブラボー/ 騎兵隊/ ワーロック/ ガンヒルの決闘/ アラスカ魂/ 荒野の7人/ リバティ・バランスを射った男/ 昼下りの決闘/ マクリントック/ 荒野の用心棒/ シェナンドー河/ テキサスの5人の仲間/ さすらいの一匹狼/ インディアン狩り/ 群盗荒野を裂く/ 墓石と決闘/ 大いなる砲火/ レッド・ムーン 

ニューシネマの中の西部劇:
 明日に向って撃て/ ワイルドバンチ/ 勇気ある追跡/ 夕陽に向って走れ/ ソルジャー・ブルー/ 地平線から来た男/ さすらいのカウボーイ/ ロイ・ビーン/ ミネソタ大強盗団/ 大いなる勇者/ 男の出発/ ブレージング・サドル
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レイ・プライス ハンク・ウィリアムスを歌う

2009年05月01日 | ハンク・ウィリアムスを歌う
Ray Price (3) 
米国盤 abc Dot Records DOSD-2062 " Hank ' n ' Me "

(1)Why Don't You Love Me (2)I'm So Lonesome I Could Cry (3)Jambalaya (4)I Can't Help It (5)Your Cheati' Heart (6)Hey, Good Lookin' (7)Kawliga (8)A Mansion On The Hill (9)Half As Much (10)Cold, Cold Heart (11)You Win Again


毎月1日のハンク・ウィリアムス関連の第5弾はレイ・プライス(1926年~現在 テキサス州出身)です。駆け出しの頃にハンクと行動を共にしたレイなのでハンクが亡くなって真っ先に Tribute song ないしTribute Album を・・・・・と思いがちですが何と1976(昭和51)年 になって初めてTribute Album を出しています。レイにとっては必ずしも良い想い出だけではなかった・・・・・ということが底辺にあったんでしょうか?

音的には全体にストリングスを入れてモダンな作りになっていて、彼のバンドThe Cherokee Cowboys を使ったフィドル(バイオリン)、スティールギター入りのホンキートンクスタイルだけを期待するとあてがはずれてしまいます。でもレイの声が渋い塩辛声なのでそれだけで”カントリー”として十分です。通しで聴くと(8)Mansion On The Hill が際立ってよくて、ピアノ、スティールギター、ドーブロギターを入れて朗々と歌っており(聴いていると涙が出るくらい)レイもこの曲が一番好きなのでは・・・・と思わせるものになっています(その他の曲も単独でポンと聴くとなかなか Good です)。

裏にJerry Flowers という人が書いた解説があります、長いですが補足を加えながら訳して載せてみます・・・・・・・・

「テキサス州のダラスから来たレイ・プライスがTroy Martin の Pre-Opry Show に出演するためにテネシー州ナッシュビルにあるWSM局のCースタジオにやって来たのは1951(昭和26)年の晩秋の頃だった。 レイはBig D Jamboree(テキサス州ダラスで1947~1960年代中頃まで続いたCountry Music Show で多くの歌手の登竜門となった)の新進歌手として大変な反響を受けていたのでGrand Ole Opry(テネシー州ナッシュビルで1925年から現在まで続いているCountry Music Show)での成功にも希望を持っていたのでした。しかしまだ十分のヒット曲が無かった若き日のレイ・プライスには Opryで一舞台を張れるほどの資格がなく、前座のショウに甘んずるほかなかったのでした。
スタジオに入って色んな出演者に紹介された中に手足が長くてヒョロッとした長身のハンク・ウィリアムスがいたのです。ハンクはレイ・プライスに興味をもって ショウの後自宅に招き翌日のインディアナ州 Evansvilleでのショウ出演に誘い、その演奏旅行の途中に書いた”Weary Blues”という曲をレコーディングしないかともちかけたのでした。

束の間のOpry出演の後テキサスに帰ったレイ・プライスに一ヵ月してハンクから電話があり Grand Ole Opry系列のThe Prince Albert Show にゲストで出ないか・・・・・といってきたのです。レイの述懐・・・・”もう寝耳に水でしたよ。何を歌ったかも覚えていません、ヒット曲じゃなかったことは確かですけどね”・・・と。そのことがあってから オープリーのレギュラー、レコーディングスター、天才的な作曲家としての Hank Williams と 独自性とヒット曲を出すべくあがいている新進歌手 Ray Price の2人の絆は深まっていったのでした。
ハンクの手助けもあってレイ・プライスはオープリーのレギュラーとなり、大手レコード会社と契約、レイにとってハンク・ウィリアムスはちょっとした保護者的な存在といってよい状態でした。レイのキャリアにとってハンクの存在は単にオープリーへのドアを開けてくれたただけでなく、途方もない追い風になったのでした。

レイの述懐・・・・”当時はGrand Ole Opry への出演契約ができたというだけで生活出来たものです、でもすぐに解雇されたんですよ・・・・・・というのも、ある時魚釣りに行っていてOpry出演に遅れたことがあったんです、たったそれだけでクビになりました・・・・・・ハンクやロイ・エイカフ、アーネスト・タブ達がとりなしてくれて復帰できたんですけれどね。 ハンクは演奏の行く先々で聴衆に向かってこう言ったものです==みなさん、Ray Priceが一緒に来てくれました。彼はいつかきっとNo.1の歌手になりますよ、是非聴いてやって下さい!==とね。大勢の聴衆の前でハンクのようなビッグスターに推薦の言葉をかけられると何ともいえない気持ちがしてね、どんなにハンクに助けてもらったことか!!” 

その後2人の友情が深まりハンクといくつかのショウに出演し、演奏はハンクのバンド The Drifting Cowboysが受け持つという具合でした。      
プライベートでは Kentucky湖に釣りに出かけたり・・・・・で、2人は遂にはナッシュビルの Natchez Trace Avenue の家に同居するようになりました。そこではハンクの作った曲をはじめて聴いてやるのがレイの役割みたいなことだったのです。 
レイの述懐・・・・・・”ある晩Jambalayaを歌ってからこの曲はどうだい、好きかい?と聞いてきたので Great!と答えました、するとハンクがレコードにしないか? と云うんです、僕はそれは有難い きっとヒットするよ!・・・・と答えたんですが・・・・2~3日してから ほんとにヒットすると思うかい? というので ああ絶対間違いないよ というと、じゃ俺がレコーディングするよ と言ったのです。”

それから六ヵ月後にハンクは亡くなりましたが レイ・プライスの中にはハンクの影響が残り続けました。Ray Priceはステージで自然に楽々と自分のスタイルで観客を魅了するハンクのやり方-とか ハンクの曲Cold Cold Heart を歌ってミリオンセラーをとったトニー・ベネットのようなポピュラー歌手達のやり方- を踏襲しています。1957年までのレイ・プライスの特徴です。あるハンク・ウィリアムスの伝記作家は次のように言っています・・・・・"レイ・プライスはもう全てにおいてHank Williamsの後継者たらんとした" と。

ハンクの愛弟子であり、親友でもあったレイ・プライスに対してTribute Albumを出すべきだとの意見は当然のことのように思えます、しかしレイは23年間それに応えませんでした。ハンクに敬意を表わしたい・・・という思いとハンクの死後すぐにそうしたレコードを出すことで商業的に食い物にするように受け取られるかもしれない・・・という強い嫌悪感とのはざ間で苦しんだのでした。

レイの述懐・・・・・”ハンクの死のことでほとぼりが冷めるまで私は23年間待ったのです---ハンクがきっと望むであろうように私はしたかったのです。それでよかったんだと思います。彼が天から舞い降りてきて私を叱咤しようと棒を振り上げたかもしれませんが(何で俺の歌を歌わないんだ・・・・・ということかな??)、もしそうだったとしても きっとニッコリと笑ってくれるはずです。私はいまとてもハンクへのTribute Albumを作りたい気持ちでいっぱいです。彼の音楽がある限りハンクは永遠に生き続けるでしょう。”
ハンク・ウィリアムスについては語り尽くされているのでここで付け加えることは何も有りません。音楽そのものが語ってくれます・・・・・四半世紀前に書かれたsimple でhonest、touching(感動)とpithy(簡潔)そしてtimeless(永遠)の歌の数々。The songs here are Ray's Favorites of Hank's many. Price says "I did 'em my way and his way, that's why I titled the album Hank 'n' Me. "」・・・・・・・・・・・・以上です。
単品でCDとしてあるのか不明です
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