高石ともや のこと
高石ともやさんが亡くなりました 82歳。
受験戦争を経験した戦後の団塊世代には彼が歌う ” 受験生ブルース ” という唄で馴染みかなと思う。受験生の泣き笑いを歌ったような世相を反映した唄なので一般受けした唄ではなかったと思うけれど、私が受験生の頃にはラジオから流れてくるのを何度か聴いた覚えがある。
高石ともやさん自身は ” 受験生ブルースの高石ともや ” が定着しすぎてイヤだと思われた時期があったのでは……と想像する。私が思うに、彼はこの唄を歌いたがらない時期があった・・・ように思います。 フォーク歌手だったから当時のフォーク歌手がそうであったように高石ともやもテレビ(マスコミ)には出たがらなくてコンサート主義だったように思います。
そして、ある時期に「高石ともやとナターシャセブン」というグループ名でアメリカンフォークやオールドタイム音楽などの原点に目を向けて日本語の歌詞を付けて歌うようになった・・・と記憶しています。レコードが廃れてBook Offで200円で売られていた時に買った今回載せた2枚のレコードのジャケット写真の中でそのスタイルを聴くことが出来ます。ギター、フィドル(カントリースタイルのバイオリン)を高石ともや、バンジョー(城田じゅんじ)、フラットマンドリン(坂庭省吾)、ウッドベース(木田たかすけ)というアメリカの Bluegrass や Folk、Old Time Music を音源にして展開していった演奏の数々はなかなかいいものもあって、彼らの音楽からアメリカのフォークソング、ブルーグラス&カントリー音楽に目覚めていった日本の若者たちは多かったと思う。
<余談> 後日 時々行くカウンターだけの小料理屋Kに行って日本酒、焼酎を飲みながら(お馴染みさんらしい)同席の方々と色々と話をした。話題が途切れた時に、最近アラン・ドロンが亡くなりましたね・・・と言ったら皆ながそれに反応して「太陽がいっぱい」だの各自が知っている映画について喧々諤々話題が尽きなかった。似かよった年齢だからかなあ・・・面白かった。 高石ともやの訃報のことも話してみたけれどこちらにはほぼ反応ゼロだった・・・私は少し驚いた。でも、考えてみたらフォーク世代といっても当時学生だった世代辺りにしか影響を与えていないいわゆる ” ある世代にしか受けない、知られていない ” 歌手なのかもなあ・・・と実感した次第である。昭和40年代でも誰れもが大学に行けたわけでもなく、高校を出て就職する人も多かった時代だから・・・