西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

西部劇 君の名は? 17.

2017年04月19日 | 西部劇 君の名は? ...

西部劇 君の名は? 17
かなりかなり年配の人達(もうこの世からいなくなる世代ともいえる)でないと覚えていないと思うんだよ、俺のこと。どっちかというとギャングスターとして鳴らしたもんさ、ウフッ 自分でいうのも何だがこの面構えだもんな-それでもおいらだってアメリカの映画界で演ってきたんだからしっかりと西部劇にも出ているんだぜ 覚えておいてくれよな・・・・・「オクラホマ・キッド」なんて名前で出てたんだぜ。 なんでも日本では高額なDVDが出ているって話を聞いたよ・・・・・元気な頃のおいらを見てみな、天国から覗いているからな・・・・いいか、忘れるんじゃないぞオクラホマ・キッド!・・・・・・・と言ったかどうか解らないけれど面白い存在ではあります。   
私は一体誰れでしょう・・・・
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西部劇 君の名は? 16.

2017年04月18日 | 西部劇 君の名は? ...
  
西部劇 君の名は? 16 
かつてはね、おいらは西部劇スターとして一番有名だったんだよ・・・・・おいらのこと知らないなんていったらそれこそ西部劇のもぐりといわれるくらいにね。でも Time Changes Everything とはよく言ったもんだな・・・・・天国から見ているんだけどね、最近の若者達にはおいらの写真を見せても ”ン? どこのおじさん? ” てな具合なんだよ。 仕方のないことなんだけど、若い頃のおいらの写真と最後の西部劇映画の写真を載せておくからさ、もし興味が出てきたらいつでも映画でおいらに逢いに来てくれよな・・・・・因みに最後の西部劇は「 ラスト・シューティスト 」 というんだ、この時はおいら自身も癌に侵されていてそれにもめげずに一所懸命に最後のガンマン役を演じたんだよ・・・・・近頃 DVD で復活したっていうじゃないか、俺とっても嬉しいよ、じゃな!・・・・・・といったかどうか解らないですが気持ちは表わしているのではないでしょうか(smile)

*やっと「肥後 宇土城を訪ねて」の記事が完成した
 
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懐かしいポスター

2017年04月17日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
  
懐かしいポスター Country & Bluegrass Music
4/16(月)は終日雨だった・・・・博多での半日の仕事が終わって帰ってから要らないものの処分のための倉庫の片づけをした。すると昔のポスター類が沢山出てきた、思わず広げては見るの繰り返しで結局仕事がはかどらないまま余計な作業をすることになった。ポスター類を写真に撮って・・・・という作業、片付けよりかはずっと楽しい作業だけどカメラワークがどうも悪くてきれいに撮れないので何度もやり直す。結局はうまく撮れずで終わった、光の具合がどうもよくなくて見た目の通りに画像がなっていない・・・・丸めていたポスターも伸ばすと表面が波打ってまっすぐにならないしアイロンでもかけて後日改めて撮ることとしてとりあえず懐かしいレコード販売のポスターだけを撮影した。 
昔通っていたレコード店の店員さんに ” 要らなくなったら僕にください- ” と言っていたものを音楽に詳しい店員Hさん(女性)がわざわざとっておいてくれて貰らったもの。 お金がない時代だったから数枚しか買わなかったのにとっておいてくれた店員のHさんの顔を思い出して懐かしい。そのレコード店はなくなってHさんも数年前に亡くなったと風の便りに聞いた。 カントリー&ウェスタン、ブルーグラス音楽に熱心だったあの頃・・・・という思いが甦ってくるようだ(smile) 
ポスターはところどころ虫食い状態で僕と一緒に年をとってきているんだなあ、ノスタルジックな仕様のポスター・・・とても捨てられないなあ(smile)
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楽しい演芸会に出演

2017年04月17日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
 
小さな演芸会に出演 
私が土曜日に行っているHR病院がある南区若久地区で小さな演芸会に出てください・・・・と依頼があって4/9(日曜日)に出演した。小さな地区が開いている夏祭りみたいな演芸会のようで、春と秋に開催しているとのこと・・・・今回で8回目になるらしいのですが、今回はどうも応募者が少ないので先生出てくれませんかといわれた。どういう繋がりかというと、その地区にお琴の師匠さんがおられて、ちょっとした舞台(ステージ)をもった練習場があってそこを地区の人達の演芸会に使っているそうで、実はそのお師匠さんがHR病院での私の患者さんというわけなんですね。診療の中で私がギターを弾いてカントリー&ウェスタンを歌う・・・ということを知って依頼されたというルート(smile)。出演者が少ないと盛り上がらない・・・と予想されたので私でよかったら・・・という訳で一役買ったしだいです。 
 
当日のトップバッターは私。知らないところでカントリーを歌うのと盛り上げないと・・・と思ってなるべくみんなが知っている曲を・・・ということで ”オー、スザンナ ” のさわりをギター演奏してジャラーンで 「 皆さんこんにちわ~ハンク秋山でーす。呼んでいただいて有難うございます。この地区に住んでるわけではないですが近くのHR病院に週1回来ている関係で出ることになりました、院長先生の許可ももらっています~」との話で始まって ”Peach Pickin' Time in Georgia(桃の実の熟する頃)”、カントリーで一番有名な曲です-と話して ”テネシー・ワルツ ” 、そしてカウボーイ・ソングから ”Home On The Range( 峠の我が家 )”、ちょっと西部の無法者の話をしてマイナー曲で ”ビリー・ザ・キッド ” を歌い、”My Darling Clementine(いとしのクレメンタイン) ” でエンディング・・・・。 
私の後には若者2人組みのエレキギター演奏、ベンチャーズなんかをパソコンの伴奏に合わせて演奏するというスタイル。今は全員揃わなくてもこうした形でも演奏できることを知ってビックリ。そのあとはお琴の師匠さん社中の「さくらさくら」「黒田節」等の演奏、いずれのグループも素晴らしいものでした。   
私は麦わらのテンガロンハットにネッカチーフで服装を Cowboy Style で歌ったので珍しがられました。 年配の人からは久し振りに Country Style の曲を聴いた-といって喜んで下さったことと、来てくれたその地区にお住まいの来場の皆さんが喜んでくれて私も嬉しくなりました、ささやかだけど楽しい演芸会でした。 
秋にも御呼びが??(smile)
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ペギー葉山さんが亡くなった

2017年04月14日 | つれづれに
 
ペギー葉山 さんが亡くなった 
突然亡くなられたという印象が強いです、H29.4/12、83歳だったそうです。 なんでも3月まではまだステージで歌っておられたようなんですね。はじめは高校在学中から洋楽でスタートされたらしいのですが 何といっても「 南国土佐を後にして 」 と 「 学生時代 」 が有名・・・・・根上 淳さんという渋~い男優さんと結婚しておられました。とても上品な感じの都会派の歌手で正当な発声法に裏打ちされた歌唱力の豊かな息の長い歌手だったですね。 新聞記事によると長年憧れだったのは歌手 越路吹雪さんだったらしく ”小さい頃から宝塚歌劇団が大好きで入りたかったけど、丸顔だからダメよっていわれたの(smile) ”・・・・・・だそうです
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肥後 宇土城を訪ねて

2017年04月12日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
 
肥後 宇土城を訪ねて ・・・・キリシタン大名小西行長の哀れ 
熊本市から鹿児島の方へ鹿児島本線を下って普通列車の各駅停車なら5つ目の駅が宇土市だ。そこは戦国時代にはキリシタン大名の小西行長(~)の城下町だったところ。 休日を利用して1日小西行長の宇土城を訪ねた・・・・以前からぜひ行ってみたい城跡だった。 
戦国時代には熊本の加藤清正と並んで肥後一国を北と南で分け合って君臨した2大大名だった二人、天下分け目の関ヶ原の合戦でたもとを分かち、徳川方についた加藤清正は生き残り 豊臣方についた小西行長は敗れて没落した。本来は二人とも豊臣秀吉の子飼いの武将だったのに・・・・である。よく加藤清正は武断派、小西行長は文治派と表現されることが多い・・・・でも私はそんなに簡単には決められないのではと思っている。 没落していった者には正当な記録が残らないから勝者による死人に口なし的な記録しか残らないのだと思う。宇土城を訪ねて本丸跡にポツンと立っている小西行長の銅像を見ていると歴史好きの私のような人間には この人は正当な評価を受けているのだろうかと とてもあわれさを感じた。  
記録を見ると小西行長は秀吉の野望である朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に2度とも参加して先方を務めて加藤清正にひけをとらない活躍をしている。 秀吉亡き後も徹底して豊臣方についている信義に篤い武将であったのではないかな・・・・という気がしている。熊本城の繁栄をみるにつけ、距離的に近い宇土城のひっそりとしたたたずまいはかえって古城としての味わいがあって私は好きだ。 
    
さて、何の変哲もない宇土駅を降りたものの観光案内所らしいものは何にもなくてただ市内案内の地図看板があるだけだった(宇土駅というのは昔は田んぼの中の淋しい駅だったんではないかなあ)。 江戸時代には熊本の細川氏53万石の支藩として宇土藩3万石の城下町としてちょっとは栄えたはずなんですが、残念ながら城下町としての面影はほぼ皆無で、活気のない通過町という感じです。駅からずっと歩いていくと運河のような小川に出て石作りの眼鏡橋があり散策していると武家屋敷らしい家が一軒ありました。熊本地震で橋の欄干が壊れたようで渡ることはできませんでしたが、この辺りは電信柱や車がなければちょっと江戸時代の風情がある雰囲気でした。 
  
さらに行くと宇土市の中心街に出ますが、大きなビルのような建物はないのでのっぺらとした町という印象です。宇土高校のグランドに出くわし、通りがかりのお年寄りに ” 小西行長の銅像はどこにあるんですか ” と尋ねると ” そこの畑の横の細い道を行けばグランドの裏に城跡があるけんそこにあるよ ” とのこと。 20m行くと林の中に忽然と石垣が見えてきました・・・・”ああ、ここが小西行長の宇土城かぁ ”と。 小高い山に石垣があって小さな空堀になっている・・・・・
熊本城の規模に比ぶべくもなく石垣も小さいが、宇土城の説明版があったので見てみると本来はもっと大きな城であったらしく、石垣も地中に埋もれていて今の倍以上の高さはあるとのことでした。はじめに目にした宇土城の石垣。
   
関が原の戦いには何故か加藤清正自身は出陣していません・・・なぜなのか不思議。出陣した小西行長は敗れて捕らえられ、京都の六条河原で石田三成、安国寺恵瓊らと共に斬首されます。

関が原に出陣して留守になった小西行長の宇土城を加藤清正が攻め落とします・・・・・もとは同僚だった清正も決していい気持ちではなかったのではないかなあ。でもそんな中、清正のえらいところは敗れて降伏した小西行長の家臣達の多くを自らの家臣として召し抱えたという話があることです。実際熊本には元小西行長の家臣たちが住んだという宇土小路という地区があるんだそうです。
   
ところで、上の写真「戦国廃城紀行」という本に宇土城が載っています。この本の作家 澤宮 優さんは宇土の出身だそうで宇土高校時代に宇土城には何度も行ったとのこと ”三十年前まではやぶに包まれた荒れ果てた小山だった ” そうです、元和の「 一国一城令 」で壊され、島原の乱でも関連付けられて壊された小西行長の宇土城は以後廃城となって忘れ去られた・・・・だから今の石垣は発掘された後とのこと・・・・それに、地元出身でないと解らないような事も書かれています・・・・・曰く「 関が原で負けたために斬首され、領地も没収され、キリシタン大名であったため多くの寺社を破壊・迫害した大悪人にされたこと、行長は二重三重に鉄の首枷(かせ)をはめられた人物である。 私は行長の居城である宇土城の傍らで高校時代を過ごしたため彼に対する悪感情を身を持って体験してきた。すでに死して四百年が経つにもかかわらずである。徳川政権やかつての庶民から見た行長像ではなくありのままの姿を描いてみたいと思った」 とのこと。 
昭和55年(1980)に銅像が立てられる時も市役所に市民から脅迫めいた苦情が寄せられたとのこと。積年にわたって蓄積された小西行長を徹底的に悪人に仕立てようとするための感情的な操作があってのことだった・・・・と思われますね。まさに ”死人に口なし ” の一方的な押し付けのようにも受けとれますが。 今ではそうした古老達も亡くなって感情的な嫌悪感はなくなっている模様です。 熊本の加藤清正と小西行長・・・・・こんなにも人気に差ができた由縁はやはり人工的な操作なんでしょうきっと。 訪ねた宇土城はそれを物語る哀愁の城でした。熊本城にある宇土櫓は宇土城の天守閣だったのではないかという説があながち嘘ではないような気がします、櫓に ”宇土 ” という名前をつけたこと自体に意味があったのではないでしょうか・・・・・小西行長の宇土城はあんまり有名になって欲しくない、そっとしておいて欲しい古城跡です・・・・・終わり
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折り返し点

2017年04月04日 | つれづれに

折り返し点 
今日( 平成29年 ) 4/4(火)は久し振りに検診の日、朝早くから食事抜きで海岸に近い浜の町病院にいった、採血と造影CT検査。 大腸癌手術を受けてから2年半経った、術後フォローが5年だから丁度折り返し点。始めからの主治医のU先生に結果説明を受けた、今回も結果は何もなくてよかった・・・・好きなお酒も飲んでいるし特別何も気を使っていない昔通りの生活をしています-というとちょっとU先生が笑った・・・自分自身は神様が味方していてくれると楽観的に考えているこの頃。 

もう少しで桜が満開になる。  

ブックオフに寄ってCDを見る・・・カントリーは目新しいものがなく、山川 豊が歌う ”アメリカ橋 ” が入っているCDを買った。 割引券を使って400円 。山川 豊は演歌歌手だけどなぜかこの ” アメリカ橋 ” は以前テレビで彼が歌っているのを見ていっぺんで好きになった曲だったので気に留めていたもの、初めて買ってみた。 何とか歌いこなしてカラオケで歌ってみたいなと・・・思う。 
16曲入ったCDだけど ”アメリカ橋 ” の他には ”ふるさと ”というデュエット曲が気に入った・・・・名前が載っていないハスキーボイスの相手の女性歌手が何とも色っぽい歌い方なので誰かな-と調べてみたら桂銀淑(ケイ・ウンスク)という韓国の歌手だった・・・・とても上手いなあ、何度聴いても歌心いっぱいのしびれる曲だ。  
 
夕方からの鹿児島での診療に間に合うように博多駅に出て新幹線に乗った・・・やがては鹿児島に通うのも減ってくる。
写真は後日
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