西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

通り道 2( 鹿児島 宣教師ザビエルの面白い看板 )

2010年06月30日 | つれづれに
朝宿泊先から仕事に出かける途中 街中で見かけた看板。神父ザビエルさんが自転車に乗っている・・・・顔を入れて記念撮影できるような看板・・・面白い・・とつい撮影。 鹿児島でなぜフランシスコ・ザビエル(1506~1552)か・・・・といいますと初めて日本本土に上陸したところが鹿児島なんですね、日本の-しかも鹿児島に来た理由は罪を犯して海外に逃亡したらしい薩摩出身のヤジロウ(アンジロウとも)という男に出逢ったのがきっかけ-ということらしいです。時は戦国時代、ザビエルは日本に2年3ヶ月滞在してそのうち約1年鹿児島にいたそうで、その間キリスト教布教を許されて鹿児島で洗礼を受けて信者になったのは約100人だった・・・・・とのこと。時の島津家の当主は島津貴久、でも島津氏の支配する薩摩では十分なキリスト教布教は叶いませんでした。その後布教の地を求めて各地の大名を頼り、平戸(松浦氏)~山口(大内氏)~京都~山口~大分(大友氏)と移動したのでした。 鹿児島にザビエル関連の跡が残っているのはそのせいで・・・・・この自転車に乗るザビエルの看板も(?? smile )
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西部劇 28 [ テレビ西部劇  拳銃無宿 ]

2010年06月27日 | 西部劇映画
スティーブ・マックイーンの 「 拳銃無宿 」

先日ある古本屋さんでかなり昔の映画雑誌を買った。昭和36(1961)年発刊の「映画物語 / 西部劇特集号 ⑤ 」で、④⑥⑦もあったので ”何かを節約すればいいか-此処で逢ったが百年目エイヤッ ”と4冊とも買ってしまった・・・・・しめて4000円だったけれど西部劇好きにとっては稀少価値あるものなので満足。全て西部劇特集号というところがすごい・・・・・なんでもこの特集は⑮まで出されたそうで、そのあたりの時代がいかに西部劇映画に人気があったかの証左にもなろうかと思います。 

西部劇特集⑤の中にスティーブ・マックイーン(1930~1980年 インディアナ州出身)の出世作になったテレビ西部劇「拳銃無宿」の記事があった・・・・・自分が住んでいた地域では「拳銃無宿」の放映はなかったので直接は懐かしいという気持ちは持っていないけれど(ひょっとしてまだ家にテレビが無かったかも)、以前日本通販というところから分割払いで買っていた「拳銃無宿」の白黒ビデオ6巻を引っぱり出してきてDVDに録りながら見始めるきっかけにはなったのでした。このドラマはアメリカでは1958~1960年 日本では1~2年遅れてに放映されたようで、「ララミー牧場」「ローハイド」と並んでテレビ西部劇ベスト3に数えられた作品とのこと。

映画物語には 呼び名も皆が知っている ”マックイーン ” ではなくてスティーヴ・マッキーンと書いてあるのも時代を感じさせるのかな?  自分がスティーブ・マックイーンの映画をはじめて見たのは戦争映画「大脱走」(1963=昭和38年)だったからそれ以前のマックイーンを見るのはこのビデオが初めてで やはり若いなぁ-というのが第一印象。映画物語にも ” アメリカでも評判のよい番組で、とくにジョッシュ・ランダルになったスティーヴ・マッキーンはデビュー当時まったく無名の新人であったのが 終了時には全米の人気者になっていた・・・ ” と書いてあります。

懸賞金の懸かった無法者を追っかけて捕らえるか射殺するか・・・・・で賞金を手にする稼業 ( Bounty Hunter という渡世人でアメリカ西部にはそのような拳銃使いが実際にいたそうです) のジョッシュ・ランダル役を演じていて今見ても面白いものです。 時代を経ても色褪せないということは30分(実際は25分くらい)番組とはいえ丁寧に作られているからなんでしょう・・・・・若い頃のスティーブ・マックイーンを見れるだけでもいいですが、出てくるゲストスターも魅力です。写真はビデオ盤のもの、近年は最新技術を使ってカラー化されたDVD-Box セットが3巻出されていました・・・・・お金をかけてそんなことしなくてももともとの白黒画像でいいから安くで提供してといいたい・・・・ちなみにビデオの第1巻は次のようなものです

1話 「賞金は貰った(The Martin Poster)」・・・・・これが記念すべき第1回のスタート。ゲストに TV ”大草原の小さな家 ”のお父さん役だったマイケル・ランドンと TV 西部劇 ”西部の反逆児 ” のニック・アダムス

2話 「人質(The Hostage)」・・・・・ゲストに怪奇映画スター ロン・チャニーと TV「スター・トレック 」のデフォレスト・ケリー

3話 「ザ・モンスター(The Monster)」・・・・・ゲストに映画「タッカー」で助演男優賞候補になったマーティン・ランドー

4話 「バーニーの賞金(Barney's Bounty)」・・・・・ゲストに往年の名優ノア・ビアリー

・・・てな具合なんですが 映画に詳しい人なら涙ものなのかもしれませんが。後の巻については今後追々と載せていく予定  (平成22年6月21日 記)
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通り道 1 ( 鹿児島 大久保利通の銅像 )

2010年06月27日 | つれづれに
大久保利通の銅像
終点の鹿児島中央駅で新幹線を降りて勤め先に歩いていく途中、甲突川(こうつきがわ)に架かる高見橋のたもとにある銅像・・・・道すがらにあるのでいつも眺めて歩く。幕末から明治維新にかけて活躍した人・・・・西郷隆盛の盟友でもあった・・・鹿児島では西郷さんほど人気はないけれど 政治家としては大久保利通(1830~1878=明治11年)の方が優れていたかもしれない。(平成22年6月24日 記)
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本 -16- ( 西部劇総覧 )

2010年06月27日 | 西部劇の本
西部劇総覧  著者: 児玉数夫 東都書房  1971(昭和46)年 発刊

久し振りに西部劇の本です。最近は自称 ”西部劇研究家”みたいになって以前にもましてこの手の本を読んだり映画を見たりしています・・・・・これからのパソコンの時代 本もそこから読めるようになっていくんでしょうけど 私のような根っからのアナログ人間にとってはやっぱり本は紙の本を手にとって読むもの・・・・と決まっています・・・その喜びの方が大きいです。

さて、この本は私が21~22才の頃に出たもので 西部劇大好き人間にとってはバイブルの1冊とも云えるものです。装丁もハードカバーの立派な本で、私なんか仕事上の専門書なんかよりもずっと大事にしているものです・・・・この本が行方不明になったらきっと気持ちが動揺するかも・・・というくらい(smile)。 
映画評論家多しといえども この本の著者 児玉数夫さんが一番熱心に西部劇に関する本を書いて出されていました。児玉さんには他に「西部劇大鑑」「西部劇紳士録」「娯楽映画の世界/西部劇」「大西部劇」があって いずれもファンにとってはバイブル本といえるものなので、これから西部劇に熱心になろうという人は古本にはなりますが是非揃えられたらいいかと思います。 ただし、この「西部劇総覧」は私が買った時は2800円でしたが 過日東京の古本屋さんに飾ってあった値段をみると22000円となっていました・・・・・こんな状況はよくないですね、そんなに高くなっているんだったら是非再販してもらって幅広く皆が読めるようにしてもらいたいものです・・・・・再販を熱望!!以下に内容を載せておきます

<目次>

(1)西部劇名鑑・・・・・・・西部劇におなじみのスター、脇役、映画監督がA~Zまでアルファベット順に載せてある人名録。今の時代 もっと詳しく-という人には物足りないかもしれませんが僕が西部劇に熱心になり始めた頃はこれでも十分凄いものでした。 ちなみに最初と最後に載っている人を掲げてみますと、A項でジュリー・アダムス( Julie Adams )、Y 項でフィリップ・ヨーダン( Philip Yordan )となっています。 この人名だけで西部劇作品がパッといえる人はもう超 Western Crazy fan でしょうね・・・・・皆そうでしょうけど私なんかも ”ン?? ” ですから。 でも知らない知識を得るのは楽しいものです。

(2)西部劇百科・・・・・・・ Wild West、Real Westerners 、Authors、Stunt Men 、Others というわけで西部劇に必要な知識をあらゆる面から載せてあります・・・・・つまりこうした事を知っていると西部劇をもっと面白く見ることができますよ-みたいな予備知識群についてのべてあるものです。
例えば地名については「アビリーン」「アリゾナ」「ダコタ」「ダッジ・シティ」「シルバー・シティ」などについて西部劇映画と絡めてその州、町について説明してあるとか、人物については「ジョン・ブラウン(過激な奴隷廃止論者)」「ジェロニモ」「ワイルド・ビル・ヒコック」「カラミティ・ジェーン」「アル・シーバー(有名なスカウト)」「ベル・スター(西部の女賊)」などアメリカ西部を賑わした人達について。

作家には「ゼーン・グレイ」「アーネスト・ヘイコックス(駅馬車の原作者)」「アラン・ルメイ」などについて。スタントマンの「ヤキマ・カヌート」について、その他「アラモ攻防戦」「バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)てなんだ」「Good Badman てなんだ」「ピンカートン探偵社てなんだ」「製作第二班について」「相棒役者(sidekick)について」「ウェルス・ファーゴてなんだ」「テンガロン・ハット」について等など盛りだくさんの雑学・・・・・smile。
先頃私の blog を読んで下さっている ”浜の隠居 ” さまのコメントにドゥーリン・ギャング、ローズ・オブ・シマロンという名前が出てきましたが、この本では ”Rose of Cimarron ” について-----オクラホマに悪名高いビル・ドーリンの ”ドーリン・ギャング ” には有名な無法者が揃っていたが、なかには ”キャトル ”アーニー、”リトル ”ブリッジスという女性も混じっていたそうである。しかし、後年有名になったのは一味の ”ビター・クリーク ”ことジョージ・ニューカムの恋人 ”ローズ・オブ・シマロン ”である。二人は恋仲となり彼のために銃を射ち、馬を駆った情熱の女-----と書いてちゃんと載っているんですね、凄い!!

(3)本邦公開音響・発声西部劇全作品録・・・・・・・1929(昭和4)年~1968(昭和43)年までの西部劇作品の題名、公開日、原作、監督、脚色、撮影、出演役者が細かく載せてあります。 ”音響・発声 ”なんて古い表現がしてありますが つまり無声映画以後の作品(トーキー映画)ということです・・・ストーリーは載っていないので映画的な資料としてはいいかもしれません

(4)Western Elements・・・・・・・西部劇的要素をもった作品 ということで(3)と同じようなことが載せてあります
(5)索引

なお、表紙写真の下1/3はカバー帯です。
実生活には何の役にも立たない西部劇映画についての雑学群なんですけど、単調な日々ながらも精神的ストレスの多い現代社会に生きるものにとって何らかの慰めが必要で-自分にとってのそれがカントリー&ウェスタン音楽であったり西部劇映画であったりというわけです
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西部劇 -13- (月下の銃声)

2010年06月26日 | 西部劇映画
月下の銃声 ( Blood On The Moon ) 
監督: ロバート・ワイズ 1948(昭和23) RKO Radio Picture 製作  昭和26年公開 モノクロ



6月22日夜「月下の銃声」を見た。この西部劇は古~い小品ながらとても完成度の高いものだと感じた。

<ストーリー> カウボーイのジム・ギャリー(ロバート・ミッチャム)は旧友テイト・ライリング(ロバート・プレストン)に呼ばれてサン・ダストの町に赴く。そこではライリング一派と牧場主のジョン・ラフトン(トム・タリー)一派とが土地をめぐって争いになっている最中であった。

ラフトンは保留地で牛の放牧をしてインディアンに牛肉を供給していた。ところが、ライリングは居留地の管理官ピンダレスト(フランク・フェイレン)とグルになって 入植者達が土地の所有権を主張していることを利用してラフトンの所有する2500頭の牛を保留地から追い出し、行き詰ったラフトンから牛を安くで買い叩いて奪ってしまおう-という一攫千金の企みもっていたのだった。彼等は11月1日までに保留地から牛を連れ出さなければ軍隊の力で牛を没収する-とラフトンに通告する。 そうした事情を知らないジムは旧友ライリングの求めに応じて助っ人のガンマンとして雇われることになっていたのだった。

牧場主ラフトンの2人の娘のうち姉キャロル(フィリス・サクスター)はライリングと恋仲だったが その実はラフトン側の動きを探るためにライリングに利用されているだけだった・・・・・そうした事情を知ったジムの正義感が爆発する・・・・・「あんたは入植者達を煽って騙した上にガンマンを雇った。ラフトンの動きを探るために彼の娘を誘惑し手段を選ばない血も涙もないやつだ」・・・・・とライリングに告げて対決することになるのだった・・・・・・。

ここまで来るのにストーリーにはさまざまの心理描写があって それを主演のロバート・ミッチャムが好演しており、見ごたえのある西部劇に仕上がっています。牛の暴走(スタンピード)あり、雪の山岳地帯での追跡行あり、不気味な2挺拳銃のガンマンの登場、激しい殴り合いあり、銃撃戦あり、そして恋あり・・・・・で往年のアメリカの娯楽映画専門のRKO社の低予算のモノクロ西部劇ながら見ごたえ十分。
導入部はシェーンの時と同じように山から馬に乗った一人のカウボーイが風雨の中 谷に降りてゆくところから始まります・・・・・白黒画面なので妙に現実味があってこれから何か起こりそうだ-という雰囲気を漂わせるGoodな場面だ・・・・いいなぁ こういう西部劇。

まず映画の日本題名がいいな・・・・現代の日本なら何のイメージも沸かない原題そのままの「ブラッド・オン・ザ・ムーン」なんて付けられかねないところでしょうが・・・・・「月下の銃声」とする・・・・映画の題名はこうでなくちゃね、昔の映画配給社の人達はなかなかしゃれた題名を付けます、ここは日本だものね。以前東京に行った時にある古本屋さんにこの映画の日本公開時のプレスシート(パンフレットのようなもの)が売っていたので ビデオで見たばっかりだったこともあって衝動買いしました(相当古いものです)が今回一部解説に利用させてもらいました・・・・買っておいてよかったな。 ロバート・ミッチャムの男気のあるカウボーイ姿が何といっても魅力です。

ビデオで出たっきりの作品なので古くからあるレンタルビデオ屋さんくらいしか置いてないかもしれません・・・・・
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懐かしのカントリー&ウェスタン 21 [ ジミー・ディーン(1) ]

2010年06月23日 | つれづれに
Jimmy Dean (1) 米国盤Harmony HL-7268 HYMNS BY JIMMY DEAN  
(1)Near The Cross (2)Just As I Am (3)The Farmer And The Lord (4)Leaning On The Everlastig Arms (5)The Lily Of The Valley (6)How Long Has It Been? (7)I Am Thine, Oh Lord (8)Praise Him! Praise Him! (9)Abide With Me (10)Softly And Tenderly
      

Jimmy Dean が先日2010(=平成22)年6月13日に81才で亡くなったことを知って以前の記事(2007=平成19年12月1日のもの)をすこし補足しながらそのまま再アップしました。

日本ではあまりなじみがないジミー・ディーン(1928年~現在 テキサス州出身)ですが、今の時代に生きている伝説といえる数少ないカントリー歌手ではないでしょうか。1940年代末から歌っている人で、1950~1960年代という早期からカントリー・ミュージックのテレビショーの世界で活躍してカントリー&ウェスタン音楽を都会に広める役割を果たしていた・・・という点で大いに功績のあった人です。特に1960年代にNew Yorkをホームグランドにした自身の”The Jimmy Dean Show”ではゲストにカントリーのスター歌手を招いて都会の人達にカントリー&ウェスタンへの関心を呼び起こす力になったことは大いに評価されてもいいと思います。
「僕はとにかく小さい時からよく働いたんだよ、家がとても貧しかったからね。皆が僕のことを笑うんだよ、ボロを着ていて汚い格好していたからね。家に帰ると笑われて惨めな思いをしたことを母親によく言っては落ち込んでいたものさ。だからその頃から将来は何か一つに秀でた人間になろう・・・・って思ったよ」と、後年インタビューされた時答えています。
貧しくても音楽的には豊かで、母親がピアノを教えてくれたことをとても誇りに思っているそうです。初期のFour Starレコード時代はフィドル、スティールギターを入れたカントリーでしたが、後のColumbiaレコードに移ってからはモダンで都会的センスで万人受けするスタイルになっています。「Just Bumming Around」のほか語り物の「Big Bad John」等ヒット曲は沢山ありますが、モダンなもの(Jazzyな面もある)が多くてアメリカでの人気のわりに日本ではパッとしなかったようです。本来歌がとても上手い人なので”Carolina Moon”のような隠れたバラッド、ワルツやこのLP「ヒムを歌う」に聴かれるSacred Song等を聴くとハッとするような魅力を持っています。このレコードはアメリカでは好まれたのかとても息の長い存在だったようです。特に今の季節に合って、(2)Just As I Am、(4)Leaning On The Everlasting Arms、(7)I Am Thine, Oh Lord、(8)Praise Him! Praise Him!、(9)Abide With Me、(10)Softly And Tenderlyなどではジミーは最高の歌唱力を発揮していて、ハモンドオルガンやピアノを伴奏にコーラスを伴ってしんみりと歌っています。これほどのアルバムにはそうは出会うことはないと僕自身は思っています。

その功績を考えるとCOUNTRY MUSIC HALL OF FAMEに選ばれてもよさそうなんですが・・・・往年のブルーグラスグループ ”Don Reno & Red Smiley ”で活躍したバック・ライアンというフィドル奏者(カントリースタイルのバイオリン)がかつてジミー・ディーンの”Jimmy Dean Show”時代のバンドにいたことがあって、このショウには多くの有名カントリー歌手がゲスト出演して実に楽しかったよ・・・・・と回顧して語っていた記事を読んだ覚えがあります(ひょっとして日本のCountry & Western 誌だったかな??)。
 かつての米コロンビア・カントリーの大物スターの一人でしたが、先に述べたようなModern Soundのせいか日本発売のレコードはきわめて少なくて、日米での人気のギャップが激しかったカントリー歌手だったのではないでしょうか・・・・・またCountry Musicの伝説の灯が一つ消えました。
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カウボーイ ソング (の古典) [ ジュール・アレン ] 続き

2010年06月16日 | カウボーイ・ソング
Jules Allen の CD
イギリス盤 BACM CD D-250 Jules Allen  The Singing Cowboy / Complete recordings 1928-1929

(1)Little Joe The Wrangler (2)Jack O' Diamonds (3)Po' Mourner (4)Somebody But You Don't Mean Me (5)The Days Of Forty Nine (6)Home On The Range (峠の我が家)(7)The Texas Cowboy (8)A Prisoner For Life (9)The Gal I Left Behind Me (10)Zebra Dun (11)Cow Trail To Mexico (12)The Old Chisholm Trail (13)Cowboy's Love Song(Red River Valleyと同じ)(14)Sweetie Dear (15)Long Side The Santa Fe Trail (16)Two Fragments (17)The Cowboy's Dream (カウボーイの夢)(18)The Cowboy's Lament (カウボーイの哀歌)(19)Little Old Sod Shanty (20)When The Work's All Done This Fall (秋の終わりに)(21)Punchin' The Dough (22)The Dying Cowboy


解説訳の続き・・・・・・・ジュール・アレンはレコーディングとわずかばかりの映画出演(西部劇?)のほかにラジオにも出ていたようです・・・それもたぶんに広範囲にわたるものだったようですが今では正確に把握することは困難になっています。 Mike Parris という人が 、Jules Allen はダラスとロサンジェルスのラジオに出演していて、少なくともそのいくつかは 彼がレコードを出すよりも以前のことだったのではないか・・・・・と再発売LPレコードのライナーノートに書いています。博物館の催しで1926(昭和元年)の San Antonio Light 紙に ”午後の番組で一連のカウボーイ ソングを歌う Longhorn Luke -”なる記事が見られましたが、この ”Longhorn Luke ” というのはジュール・アレンがラジオ出演時に使ったニックネームだということが判りました・・・ですから、おそらく1926(昭和元)年までには既に彼の名前はテキサス中の聴衆にはおなじみだったものと考えられます。San Antonio Express 紙がWOAI局の ”Medicine Show of the Air ”で毎週歌っているジュールのことについて言及していることからすると1931(昭和6)年までには(Jules Allen のことが)知れ渡っていた というのは確実でしょう。
あるコラムニストが1933(昭和8)年2月に書いたものの中に ”ラジオ放送された中で自分 だけが唯一生粋のカウボーイ歌手であるー とジュール・アレンが主張していたといった趣旨のこと ”・・・・・が載っています。そして、同じ年の暮れに San Antonio Light 紙が Jules Allen はいまや全国的に聴かれている- と満足げに宣言していました・・・・・すなわち、”NBC放送をお聴きの皆さんへ・・・・我が局が皆さんに最高のプロフェッショナル正統派カウボーイ歌手をお届けすることができることを喜びたいと思います~”と。

ジュール・アレンはまた自分の得意とする分野から選んで説明するようなことも行ないました。すなわち、カウボーイの専門用語について論じたり 牛などに押す焼印に関してのユーモラスな事例やエピソードについて話をしたりです。これらのことは1933(昭和8)年5月にテキサス州サン・アントニオの Naylor 社から出版されたジュール・アレンの本「 Cowboy Lore 」にもなりました。 そこでは 派手な真珠入りの銃把の二挺拳銃を振り回し、インディアンから幌馬車( prairie schooner と表現 )を救ったり、やがて牧場主の娘と結婚することになる・・・・・といったストーリーの映画やラジオドラマの中に出てくるフィクションとしてのカウボーイ(fictitious range-rider)と実際のカウボーイ(the true story of the cowboy)の違いについて説明したりしています 。「Cowboy Lore」は1950(昭和25)年までに7版を重ねた後 絶版になりましたが 1971(昭和46)年に再版されました。

ジュール・アレンは1929(昭和4)年以後は二度とレコーディングはしませんでしたが、彼が1920年代末にビクターレコードに録音したレギュラー盤22曲のうちの半分は1930年代中頃に廉価レーベル Montgomery Ward から再発売になって5万枚以上売れたとのことです。 しかし、彼のキャリアもそれ以上には続きませんでした。

カリフォルニア州 Sawtelle に移り住み、その後1942(昭和17)年3月初めにアリゾナ州ツーソンへ移って同年3月19日にその地で亡くなりました・・・・・・・・・・・・・以上、解説から。

ここに載せたCDに1928年と29年にビクターレコードに吹き込んだジュール・アレンの全曲が入っています。全て簡単なギター弾き語りで、時にフィドル(バイオリン)の伴奏を伴っていますが素朴なCowboy Songそのものという趣きです・・・・・これくらい古いものになるともうアメリカの歴史的、文化的遺産といっていいと思います・・・そんなに極端な昔というほどでもないのに正確なことが判らないほどになっていることに驚きます(2010年6月14日記す)
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つれづれに ( バーボンウィスキー )

2010年06月13日 | 味のある酒
ジュール・アレンのとてつもなく古い音源の Cowboy Song を聴きながらCDの解説文を訳す・・・・メザシを焼いて肴にしながら 買ってきた安いバーボン ”John Hamilton ”(というラベル)を飲んでみる。辛めのバーボンで まあ大昔の Cowboy Singer ジュール・アレンのSPレコードでも聴いているような素朴な Cowboy Song には似合いかな・・・・とおもいながら読んでゆく。それにしてもCDの解説はもう文字が小さすぎて困る、読む以前の問題だ・・・・目がチラチラしてしまいそうだったが バーボンを飲んでゆくと目が冴えてきて訳もスムーズにいきはじめた。 このままではどうも酔っ払いそうなので誤訳になるといけないと思い途中で麦焼酎「壱岐」にかえる・・・・これは円やかな味がしておいしいお酒で気に入ってよく飲んでいる。   快調に訳が進む・・・・訳しながら 「ジュール・アレンの音源は全て1928、29年なので ”Blue yodeler ”ジミー・ロジャースもひょっとして Jules Allen を聴いたことがあるかも知れないな・・・ジミーにはカウボーイに憧れたような歌があるので・・・・」 と思ったりもする。 しかしジュール・アレンは全くヨーデルを歌っていないので・・・・・そうするとジミー・ロジャース自身は誰かに影響されたことがあったのだろうか、ジミー自身にはアイドルになるような人はいなかったのかな・・・・・と思う。2人とも相当に古い人の話だけれど・・・・
すこし酔ったので翻訳を一旦中止、手持ちの簡単なバーボンの本によると「John Hamilton」は1788年創業のケンタッキー ストレートバーボンと書いてあるけれど先づ十指内に出てくるようなラベルではなさそう
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カウボーイソング (の古典)28 [ ジュール・アレン]

2010年06月13日 | カウボーイ・ソング
 Jules Allen (1)  
(西)ドイツ盤 Folk Variety Records FV-12502  Jules Allen  The Texas Cowboy

(1)Little Joe The Wrangler (2)Jack O Diamonds (3)Po' Mourner (4)Somebody, But You Don't Mean Me (5)The Days Of '49 (6)Home On The Range (7)The Texas Cowboy (8)A Prisoner For Life (9)The Gal I Left Behind Me (10)Cowtrail To Mexico (11)Chisholm Trail (12)Long Side The Santa Fe Trail (13)The Cowboy's Lament (14)Little Old Sod Shanty (15)Punchin' The Dough (16)


2回にわたってカウボーイ・ソングの超クラッシックスとしてジュール・アレン(1883~1942年 テキサス州出身)の歌を採りあげます。 このレコードは私が American Cowboy Song に興味を持ってレコードを買い始めた頃に見つけた1枚。 かつてカントリーやフォークの分野でとてもユニークなレコードを出していたドイツ(まだ西ドイツ時代)の Folk Variety Records 社(今でもあるんでしょうか??)から出されたもので、もともとは小解説書( booklet ) が入っていたようなんですが 私が中古レコードで買った時は解説書は入っていませんでした・・・・・・残念だな-と長年思っていたところ なんとイギリスの非営利レコード会社 B.A.C.M ( British Archive of Country Music ) というところから「 Jules Allen / The Singing Cowboy complete recordings 1928-1929 」というCDが2008(平成20)年に出されたのです。 Carl T. Sprague と並んでカウボーイ ソングの古典としては最も初期に属する人なので American Cowboy Song に興味を持っている人は一度は聴いてみた方がいいかもしれません・・・・・素朴なカウボーイソングのあらゆる原点がここにある・・・と認識することができます。CDジャケットに Tony Russell という人が書いた解説があって Jules Allen について知ることが出来るので今回と次回で補足を加えながら訳して載せてみようと思います(CD写真は次回に)。

<解説>1930年代の間アメリカ西部を想起させるような音楽は hillbilly music の中で大きな位置を占めていました。後年 Country & Western という名前に変わってもそれは牽引車的な役割を担っていました。ジーン・オートリーや The Sons Of The Pioneers や Patsy Montana といった人達の歌の源となったカウボーイ達はその名前と遠い存在の姿として関連付けられるだけで、19世紀のアメリカ西部を切り拓いてきたタフな男たち( hard-bitten working men と表現 )と称されるだけで 依然として伝説上の人物でした。そして、彼等(G.オートリーたち)を知らしめた数々の歌は現実の西部よりもかなりロマンチックなものになったのでした。
もっとドキュメンタリー風にカウボーイの生活を照らし出すためには 私達は時代をさらにさかのぼらなくてはなりません。平原を馬で乗り回し 家畜に焼印を押すことなどを経験的に実際に知っている cowboy singer 達までさかのぼる必要があります。

1920年代の終わりに Jules Allen はカウボーイ達に歌われた歌を22曲レコーディングしました。風雨にさらされた声に簡単なギター伴奏で Little Joe The Wrangler や When The Work's All Done This Fall や Chisholm Trail といったトレイルソングを歌い語り、Home On The Range(峠の我が家)や Cowboy's Lament(カウボーイの哀歌=Streets Of Laredo ともいう)のような小曲 、加えて カウボーイの生活とは関係ないけれども開拓者(early settler song)の香りがする Little Old Sod Shanty や the Gold Rush や The Days Of Forty-Nine のような歌を歌ったのでした。  もしこれらの歌がカウボーイ ソングだけとしてレコードに生き残っていたらそれは素晴らしい優れた代表作になったことでしょう。

Jules Verne Allen は1883(明治16)年にテキサス州 Ellis County(郡)Waxahachie に生まれました。10才の時に母親が亡くなり、残された3人の幼い妹弟の世話をしなければなりませんでしたが 託された責任を当然のごとく受け入れ、カウボーイの仕事しか知らなかったのですんなりと叔父の牧場での仕事に従事するようになったのでした。こうして始まった仕事と長い放浪の人生、自分の来し方を36年後に新聞記者に語っています。1890年代終わりから20世紀初頭にかけて ジュール・アレンは牧場での仕事とテキサス、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミング、サウスダコタなどへのキャトルドライヴでの仕事を経験しています。

1903(明治35)年の春 荒馬(bronc)から振り落とされて踏みつけられたうえに激しく蹴られて6ヶ月もギプスをつけて安静を強いられたことがあって・・・・・その間カウボーイとしての仕事が何も出来なかったので 母親が小麦粉の袋に入れて残してくれていたギターを初めて手にしたんだそうです、それからがプロの singing cowboy としてのキャリアにつながったというわけです。 彼はまたテキサスで保安官助手やリオグランデ河での(メキシコとの国境)国境警備隊員として従事したことがあり、6ヶ月間の勤務中に23回もの拳銃沙汰になるようなことに遭遇したと語っています。1905(明治38)年にはアメリカ陸軍に入隊して約2年在籍の後1908(明治41)から1913(大正2)年の間は仕事と歌でカロライナ、ジョージア、テネシー、オクラホマなどの諸州をまわってはテキサスに帰る-ということを繰り返したのでした。次の12、3年くらいはいったん姿を消しましたが 1920年代終わり頃までにはニューメキシコのアルバカーキ周辺ではベテランの芸人になっていました。1928(昭和3)年から1931(昭和6)年は Local Travelling Show の花形スターでした・・・・・・それはすなわち、アメリカの歴史や音楽、インディアン達の民族風習、メキシコ人を含む他のキャストによるタンゴや Bugle call、 フィドル( バイオリン)演奏、語りなどダンスや歌のショウとして提供するものでした(恐らくフロンティアが消滅してから始まったアメリカ西部を売り物にした Wild West Show の類のことを指しているんだと思います)。

しかし、1929(昭和4)年のイベントで、the Albuquerque Journal 紙が次のように書いています「その夜のハイライトは 細身の長い足を組みながらギターを抱えてカウボーイソングを歌うカウボーイ歌手のジュール・アレンだった・・・・・満場の会場に響き渡る声量豊かな甘い歌声で開拓時代のラブソングなどを歌って盛大な拍手を受けた。」・・・・・・・・・解説訳は次回に続く。

[ ひと休み: アハハ・・・・・いくら Cowboy Song が好きだといってもこんなに古い音源を何曲も通しで聴くのは途中で脂汗が出るほど苦痛になります・・・・・ただでさえ単調なものが多いので一日に3~4曲聴くくらいかな・・・・こうして1928,29年頃の音源がしっかりと現代の歌手にも活かされていることを思えばカウボーイ ソングの世界も奥が深いと言えます(ジュール以前はレコードなんかなくて歌は口伝えだけだったでしょうから)。それに 現代の歌手よりもずっと良い表現だと感じる曲もあったりで 古いからといってあなどれません・・・・・現代の歌手が70年も80年も昔の歌手に負けちゃいけないな・・・頑張れ-と思います。 ”Home On The Range (峠の我が家)”なんかも歌詞は同じでも現在一般に歌われているメロディと異なっています・・・・・が、こちらの方もとても味があっていいんですよね(不思議)]
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つれづれに ( 今でもレコードが一番さ )

2010年06月07日 | つれづれに
”Where Vinyl is Still King !( 今でもレコードが一番さ )”

この 「 Vinyl Is Still King 」 という文言は 私がある業者さんからレコードを買っていた頃に戴いたアメリカの中古レコード屋さんのカタログ表紙に書いてあったタイトルです。

私は今でもレコードが大好きで、このタイトルを見た時には何だかとっても ”自分の意を得たり ”・・・・・と感じて嬉しかったもの。 レコードのことを  ”Vinyl ” と表現するんだ-ということも初めて知りました・・・・いかにもアメリカらしい表現? それに この言葉の裏には-便利だからって簡単にはなびかないぞ-みたいな頑固さが表現されているようにも思います。
自分に当てはめて考えてみても ほとんどの昔のカントリーはレコードで聴いてきたし CDの時代になったからといっても1枚1枚のレコードに思い入れがあって (青春の想い出でもあるし) 簡単に処分しようなんて一度も考えたことはなく、自分が生きているうちは大切にしたい・・・・と思う心に通じています。
同じ音源をCDとレコードで聴き比べて見るとLPレコードの音はどこか暖かみがあると感じます・・・・私のプレーヤーは安物なのでもっと上等の装置で聴けばさらにいい音が出るに違いない・・・・・?  Vinyl (Record) is Still King か~こんな言葉をきくとホッと安心するなぁ(嬉)
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