西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

カウボーイ ソング 33  [  ビング・クロスビー (1)]

2010年09月26日 | カウボーイ・ソング
Bing Crosby (1)
米国盤 Decca Records DL-8365 Twilight On The Trail

(1)Twilight On The Trail (2)Tumbling Tumbleweeds (さまよう枯葉) (3)The Singing Hills (4)Empty Saddles (5)A Roundup Lullaby (6)We'll Rest At The End Of The Trail (7)Deep In The Heart Of Texas (8)Be Honest With Me (9)Goodbye, Little Darling, Goodbye (10)Riders In The Sky (11)The Old Oaken Bucket (12)Clementine (いとしのクレメンタイン)


ジャケット裏に Bing Crosby Vocal With Orchestra とあります・・・・・だからサウンド的にはモダンな伴奏をバックにビング・クロスビー(1903~1977年 ワシントン州出身)が西部調の歌を歌ってくれるものです。 でもそれはそれで歌の上手い往年のジャズ&ポピュラー歌手がアメリカ西部の唄を歌ってくれるのですからいいものです・・・・・ビング・クロスビー自身は 自分がもし南部に生まれていたらカントリー歌手になっただろう-と述べたこともあるそうですから・・・・・ジャケット写真もなかなかいい雰囲気です。 載っている長い解説は彼の歌手としての経歴のことがほとんどで、アメリカ西部のこととはあまり関係のないことですので 少しだけ訳して載せておくだけにしたいと思います・・・・・

「 ビング・クロスビーの服装やマナー、生き方などについては公式の時(つまりエンターテイナーとして舞台に立つ時)ではない普段の時の好みはよく知られているところです。ジャケット写真に見られるようにアウトドア生活に似合いそうな自然な服装ですし、歌にしてもこのアルバムの Western ballads のようなアウトドア的なものが好みのようです。それに、彼はこうした Range country がどのように歌われるべきかもよく心得ているんですね・・・・・というのも ビング自身カリフォルニアの San Fernando Valley に自慢の牧場を持っているからなんです。
ビング・クロスビーというとアメリカ的なもの(Americana)が想い起こされます・・・・・つまり、ホットドッグ、野球の観覧席、アップルパイ、アイスクリーム、感謝祭の日の七面鳥料理、独立記念日( = the Fourth )に鳴らすクラッカーなどです・・・・・彼以外のどんなエンターテイナーにもこんなことはありませんね。・・・・・・以下略 」

このレコードにある曲は ”Clementine (いとしのクレメンタイン)” 以外はほとんどが西部をロマンチックにとらえたイメージとしての西部調の唄なんですが、それでもビングのスタイルで聴くと違ったよさがあります・・・・・・往年の ”Singing Cowboy ” ジーン・オートリーの作とクレジットされているのが (8)Be Honest With Me と (9)Goodbye, Little Darling, Goodbye の2曲で 管楽器を入れての slow にスイングするもの。 往年のサンズ・オブ・ザ・パイオニアズの名作曲家 ボブ・ノーラン作の (2)Tumbling Tumbleweeds 、西部調の名曲を沢山残したビリー・ヒル作の (4)Empty Saddles などじっくり聴かせる曲では歌唱力がしっかりしているだけにうっとりしてしまいます。

このアルバムでのハイライトはマイナー調でしんみりと歌う(5)A Rounup Lullaby だと個人的には思っているんですが( Sons Of The Pioneers が歌っているといいのになあ・・・・・と思わせる佳曲 )、西部調の歌としてはとてもインパクトがあるスタン・ジョーンズ作の(10)Riders In The Sky もなかなかよいです。
ちなみにこのレコードはいつだったかの ”レコード祭り ” と称するバーゲンセールで Jazz レコードのコーナーにあったもので、ビングの他のものが1000円以上だったのにこのLPだけが500円でした・・・・・Country とか Cowboy Song はそんなに見向きもされないんでしょうかね・・・・・不思議、残念。
このレコードの裏にはビング・クロスビーにはもう1枚 「 Home On The Range 」( Decca Records DL-8210 ) というタイトルの西部調の唄のLPがあるようで載っていました・・・・・いつの日か欲しいなあ・・・・・2枚ともCDになってほしい
(2010=平成22年9月4日 記)
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サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ の伝記本

2010年09月19日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
” Hear My Song ”  The Story of the Celebrated Sons Of The Pioneers

アメリカのカウボーイソングが好きで、The Sons Of The Pioneers が好きで etc・・・・・と昂じてきた私の「アメリカ西部の世界」ですが、特にサンズ・オブ・ザ・パイオニアズは長い歴史を持っていたので興味がありました。
かなり以前、京都の北山にあったある喫茶店 (なぜかカントリーの輸入盤がたくさん販売品としてお店に置いてあった) で3枚の Wilf Carter ( Montana Slim ) のレコードを買った時 そこの主人が ” Cowboy Song が好きなんですか? ” と話しかけてきて ”ハイ、とても- ” と答えたことから色々話をしました。まだ20代前半の頃だったので  ”ビートルズ世代 (私は昭和24年生まれ) にしては珍しいね、こんなの(Wilf Carter のこと)買う人いないよ、見てみなよ店に来る人ってロックかジャズばっかりだよ・・・・ ” と言われてしまったのですが The Sons Of The Pioneers のことを話すとその人も好きだったらしくて喜んでくれて- ”こんなの知っているね? 自宅に3冊あるからよかったら買わないか? ” といわれ、その時は所持金も少なくて現物も直接見れなかったので ” 帰ったらお金送りますから送って下さい ”・・・・・という具合で手に入れたのがこの本です。

なんといっても驚いたのはアメリカ出版のこの本を日本で買った(好きな人がいる、詳しい人がいる)・・・・・ということです。しかも JEMF( The John Edwards Memorial Foundation, INC. at the Folklore & Mythology Center / University of California ) revised edition となっていて 恐らくは一般の書店での販売はないのでは・・・・・と推定されたからでした。初版が1974(昭和49)年らしく、1934(昭和9)年結成で幾多のメンバー変遷をしながらも連綿と続いてきた(現在もある)パイオニアズの歴史からしたら決して新しい本とはいえないかと思いますが。 確認はしていないですが恐らく改訂を重ねながら今では一般の書籍として出ているのではないでしょうか・・・・・The Sons Of The Pioneers の歴史と音楽を語るには欠かせない本だと思います。
この本には結成のいきさつ、一人一人のメンバーの音楽履歴、Pioneers の Discography=全録音曲名、発売レコードについてなど時代順に載っています(この本が現在どうなっているのか 興味があれば amazon あたりの検索で出てくるのかもしれません )。著者の Ken Griffis という人は 彼らのファンらしく、Pioneers の唄で一番好きな曲は ” Lie Low Little Dogies (The Cowboy's Prayer) ” という Cowboy Hymn 的な曲なんだそうです・・・・とてもいい曲です。

今はドイツの Bear Family Records 社が詳しい解説書を入れたCD-Box セットを数種類出しているのでそれと合わせたら The Sons Of The Pioneers の世界は完璧にわかるのかも知れません(CD集欲しいけれど高いしレコードとダブるものが多いし・・・で私はまだ)・・・・・パイオニアズの西部調の唄やカウボーイソングはこれからの秋から冬にかけての夜長に合う気がします
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小紀行 (筑前の小京都 秋月を訪ねて 2 )

2010年09月19日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
豊臣秀吉の腰掛け石
秋月の街は古い小城下町だけに道が狭くて全体の雰囲気として古色然としている。あちこちに旧蹟の碑が建っているが、ぶらぶら歩いていたら目に付いたのが 「 豊臣秀吉の腰掛け石 」 というもの。 秀吉は1578( 天正15 )年 九州征伐の際にここ秋月に3日間滞在したと書いてあったけれど、その時にこの石に腰掛けた・・・・・とのこと。1メートル近くある石だから4~500年たったとしても変わらないでしょうから本当だろう・・・・と思って自分も腰掛けて一休みした。 あの日吉丸 ( 秀吉の幼名 ) がこんなところまで来た・・・・と思うと何となく可笑しくなった。
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小紀行 (筑前の小京都 秋月を訪ねて)

2010年09月19日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
筑前 秋月城址
平成22年9月12日(日)曇り雨の天気の中 秋月に行った・・・・・博多から鹿児島本線下りで基山駅で甘木鉄道に乗り換えた。1輌だけのかわいい小さな電車で、沿線の起伏のない田園風景を見ながら終点甘木まで行き、そこからはバスで古処山という山を目指して川沿いに裾野をめざして秋月に着いた。鄙びた田舎町だけれどここには歴史が息づいている・・・・・古くから戦国時代まで筑後の名族秋月氏の本拠として栄えた城下町。

先づ秋月郷土館に行って大まかな歴史を知る・・・・ 秋月氏は平安時代以来の筑前筑後の名族で鎌倉時代にこの地に拠を構えて16代続いたそうで、戦国時代の秋月氏は島津の九州制覇に同盟し、その後の豊臣秀吉の九州征伐の時 16代秋月種実は島津氏との盟約を守って秀吉に反抗したために敗れて日向の財部(現在の宮崎県の高鍋町)にわずか3万石に削られて配置換えになった・・・・という哀しい歴史を持っている( 約30万石相当の大名がわずか3万石になるという状況はどうだろう・・・・・いまでいう給料が1/10になる、ヒェーッ暮らせないと云わざるを得ない )。16代続いた秋月氏に替わって福岡の黒田氏の支藩として5万石の城下町として明治まで続いたという・・・・・・幕末の志士で有名な人も何人か出ているようで、明治時代には不平士族の 「 秋月の乱 」 の舞台となったところでもある( 西南戦争の4ヶ月前 )。

お城の周りを歩くと、古びた石垣をもつ秋月城祉には長屋門と秋月氏時代の名残りとして黒門が残っている。戦災とかを受けなかった割りには武家屋敷などの古い建物が少ない印象だ・・・・・お城前の馬場には両脇に桜の木があって、他にも木々が豊富なので訪ねるには桜の春、秋の紅葉の頃がよさそうだ。写真は長屋門 (2010=平成22年9月13日 記)
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ヨーデリング スリム・クラーク物語 (4)

2010年09月16日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (4)
米国盤 Old Homestead Records OHCD-4026 In Memory Of Yodelin' Slim Clark 1917-2000

(1)I'd Like To Be In Texas ( For The Round-up In The Spring ) (2)Savin' Up Coupons (3)The Calgary Stampede (4)Powder River, Let'er Buck (5)I Miss My Swiss (6)The Ridge-Runnin' Roan (7)Plantonio, Pride Of The Plain (8)I Feel A Big Trip Comin' On (9)The Old Rugged Cross (10)The Call Of The Phantoms (11)When I Ride The Range Of Gold (12)Away Out On The Mountain (13)Yodelin' Cowboy(14)The Swiss Yodelers (15)Put Me In Your Pocket (16)Vrenell (17)OurSong (18)Send Me The Flower Money Now (19)My Dad (20)Nightrider's Lament (21)Slim talks-Strawberry Roan (22)Whatever Happened To All Those Years


続き・・・・・・・・・・
「 私は歌手として68年以上のキャリアの中でたくさんの賞を受けたことを光栄で誇りに思っています。少しあげると次のようなものです
・Maine's Pioneer Award
・Entertainer of the Decade in Maine
・Massachusetts Country Music Hall Of Fame
・Maine Country Music Hall Of Fame
・The Disc Jocky's Choice for the Yodeling Hall of Fame
・the American Eagle Award by the Colony States Region of the Country Music Associations of America
そして今
・ Nashville's Walkway of Stars in the Hall Of Fame を受けました。それは1986(昭和61)年のことで、夢が叶えられたみたいで自分のキャリアの最高峰ともいえるものでした。
ここまではカウボーイ歌手としての話でしたが、画家としての私についてもお話しましょう。
 
私は歌手と同じように画家としても有名になりました・・・・・もっとも 世界的に-というのではなくて東海岸というローカルな地域での話ですが。 画家としても十分な活動をしてかなり多忙な年月を送ってきました。アウトドアの世界、野生の世界、狩猟や魚釣りのこと、スポーツマンの夢、古い田舎の家や農場とか田舎の道、( 現代建築とは違う )古い時代の木造建築などの絵を好んで描いています。そのほとんどが馬とあぜ道の時代 つまり ”old days ” を思わせるシーンのものです。 私がどんな物よりも whitetail deer を一番多く描いてきたせいか、鹿を描く画家( deer painter )としても知られるようになりました。
私はハンターであり、ベテランのガイドであり、自然保護論者で自然を愛する人間でもあります。ですから自分が描こうとするものについて十分に研究してよく知っています。いい仕事をするためには自分がやろうとしていることについてよく知る必要があります・・・・・そういう意味では自分にとっては絵を描くことは( Cowboy Song を)歌うことに似ているといえますね。

私の楽しみであるこの二つのこと( カウボーイ歌手と絵描き )を出来る限り続ようと思っています。私を支えてくれ、親切にしかも尊重してくれる全ての人達にいつかどこかでお会い出来る日が来ることを切に願っています。」・・・・・・・・・・・・(完)

どうでしょうこのひたむきさ、目立たないけれどしっかりと大地に足をつけた生き方に
僕は憧れますね こんな生き方に。
ところで、この Old Homestead 社の2枚目のCDは彼が亡くなってしまったために「 Yodeling Slim Clark の追悼盤 」 という形になってしまったようです。このCDには妻の Kathleen さん( 医師でもあります )が書いた次のような短いコメントが載っています・・・・曰く・・・・

「 彼が亡くなる少し前にスリムと私(妻のキャスリーン)は Old Homestead 社のジョン・モリス氏のためにこの( Oldhomestead 社で)2枚目のCDの選曲作業を一緒にしました。夫が突然入院することになる前に15曲を選びました。夫にとって真の意味での思い出になるようにという特別な理由から 私が選んだ曲もあります。例えば 彼がCDに入れるように希望していた ”I Feel A Big Trip Comin' On ” と ” When I Ride The Range Of Gold ”(この2曲はスリムの葬儀の時に奏でられた)です。 私は同じセクションに ”The Old Rugged Cross ”も加えました。その曲も彼の葬儀の時使われましたし、彼が歌う時に私がバックでヨーデルのハーモニーを入れた ”The Call Of The Phantoms ” も選曲しました。
ほとんどの方が Slim Clark のことをレコードでしか御存知ないと思います、ステージで歌う彼の姿を見られたことはないでしょう。そんな方々のために1997(平成9)年の Maine Festival でのライブ録音を最後に数曲選んで入れました。 それは彼がテネシー州ナッシュビルの Country Music Hall Of Fame の the Walkway Of Stars に選ばれた後の夏に the Clark Family Tour を行った時の一部から収録したものなんですが、その中で彼は 自分が世界的に有名になったのはあなた方のおかげです・・・・と心から謝意を述べている様子が聴かれます。

ここで私(妻のキャスリーン)にひと言わせていただくと、彼は11月に the Western Music Association's Hall Of Fame に選ばれたことを知らされた時とても喜んでいました・・・・・それが自分のキャリアとして最高の栄誉だと思っていたからなんですね。

娘の Jewel Clark が今時のスタイルで自作曲を2曲歌っています、” Send Me The Flower Money Now ”は年をとってきたスリム自身の個人的思いにさそわれるようにして作られた曲です。また、” My Dad ” という曲はスリムが歌った多くの曲のタイトルを連ねて作られた父親に捧げる唄で、娘の歌うこの曲を聴くと彼はいつも涙ぐんでいました。

息子の名前 Wilf Carter Clark は夫が憧れていたカナダの有名なカウボーイ歌手 Wilf Carter にちなんで付けた名前です。息子は父親のギターとヨーデルを真似ることが出来るからという理由でブルーグラスバンドの the Misty Mountain Revue に加わって ”Nightrider's Lament ”という曲を選んで歌っています。スリムは Cowboy Song と Yodel で有名ですが、唄についての逸話について話すのも好きでした。彼が前置きを述べながら大好きだった ” Strawberry Roan ”を歌う時はいつも私を和ましてくれたものでしたのでそれも収録しました。 みなさんがこの ” In Memory ” のアルバムを楽しんでくださって微笑みながら彼のことを思い出して頂けたら幸せです。彼も、歌うことで人をハッピーにすることが生き甲斐だった自分を忘れないで欲しい-と願っていることでしょう 」・・・・・・・とのこと ・・・・・・以上。 
(2010=平成22年8月8日 記)
私自身の感想などは次回に述べたいと思っています
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ヨーデリング スリム・クラーク物語 (3)

2010年09月12日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (3)
米国盤 Palomino Records PAL-314 Yodeling Slim Clark  50 th Anniversary Album

(1)Silver Haired Daddy Of Mine (2)It's Great To Be Home On The Range (3)Freight Train Headed West (4)Call Of The Phantoms (5)Dreary Black Hills (6)Yodel Your Troubles Away (7)Cattle Call (8)Rocky Mountain Sweetheart (9)My Home's In Montana (10)There's An Empty Cot In The Bunkhouse Tonight (11)Powder River Let 'Er Buck (12)I Miss My Swiss


続き・・・・・・・・
「私はニューヨークではありとあらゆるチャンスに恵まれたのですが、そのどれもが大都会に住んで生活し、クラブで歌い、しょっちゅう人に会っては酒を飲んだりすることを要求されるものでした。田舎育ちの根っからのカントリーボーイでしたし、ハンティングや魚釣りなんかが私の生活だったので(都会での)そんなことには耐えられなかったのです。私にとっては先づそれ在りき-なので狩猟や魚釣りの出来ない生活は unhappy でこれでは仕事も出来ない-と感じていたのです。先のことがわかるんです・・・・・つまりは次のようなことになる・・・・とね

秋になると街から忽然と消えて みんなが ' 奴はどこへ行ったんだ ' といぶかっていると狩猟に出かけていた-なんてことになるし、春になるとまたいなくなったとおもったら釣りに行っていた-なんてことになる。彼ら(雇い主)はいつも”奴は一体どこに行ったんだ、ここに居てもらいたいのに居て欲しい時には捕まらない、また森の辺りでもほっつき歩いているんだろう”・・・・・とがなりたててはイラついて遂には堪忍袋の緒が切れて ”他の奴を雇おう ”・・・・・てことになる。

それで結局私は "小さな池の大きなヒキガエル" になる方を選んでニューイングランドに帰ってきたのでした。もちろんレコードが私のことを世界中に知らしめてくれたので世界中を旅する必要などありませんでしたから(私を有名にしてくれた)レコードと私を成功に導いてくれたレコード会社に対しては心から感謝しています・・・・感謝してもし切れないくらいに有り難くてとても満足に思っています。 私は ”The Greatest ”という存在になりたくはありませんし、そうしたものを信じてもいません。 ただ、できるだけ尊重されて記憶に残る存在でありたいと思っています。 ”Greatest” という表現は私には身にあまるもので、自分が歌うことで人々をハッピーにできるのなら私はそれで十分と思っているのです。(このあたりに Slim Clark の謙虚さが出ているように思います・・・・私感)

私は毎年開かれるフェスティバル(当時の Folk Festival のことと思います)を楽しみにしています。それは私にとってはある種の生まれ変わり(comeback ともいえそう)でした。実際、1960年代末は Country Music がポップ化したりカントリーロック化する過渡期にありましたし、自分にとってはどうしようもないお手上げ状態でした。私には新しい波に適応する才能はなかったし、私の音楽はとてもオーセンティックなやり方でしたのでスタイルを変えられなかったし また変えようとも思いませんでした。昔のままのスタイルでした・・・・このまま引退しようかとさえ思ったものです。そんなことは忘れて自分の古いレコードを思い出してはつぶやいたものでした-” これでやって来たんだ、色んなところに花開かせよう ”・・・・・ってね。

最初は Festival 主催スタッフはこの種のショウに私を出していいものか迷っている様子でした、私が Country & Western 歌手と思われていたからなんですね。主催者側は純粋な形を保ちたがったようで Bluegrass や Old-Timey を望んでいたんですね。初めは私が old-timey で real old-time country western 歌手である ( modern country singer とは違って) ということが解らなかったのですね。 主催者の何人かが まあどんなことになるか見てみようじゃないか-ということになったのですね。私にはうってつけだと思って喜んで出演を引き受けました。 正統派の western song を歌ったんですが カントリーミュージックが大きく変化してしまったせいで(つまり country music のポップス化)私が歌うような authentic western song を聴けなくてみんなそんな音楽を渇望していたんですね。 誰もがそれはもうむさぼり聴くような状態でしたので私は驚きました。 

それ以来 東海岸の全ての Festival で私を使ってくれるようになりました。私が音楽スタイルを変えなかったものですから行く先々で歓迎されました。プログラムに私の名前が載っていると どんな音楽なのかをみんなよく心得ていましたね・・・・私は宝物を得た気分でした。レコード以外ではこうした数々の Festival がより一層私を有名にしてくれたんだと思います。遅すぎなくてよかった・・・・と何度感謝したことか(つまり Festival がなかったら自分は再起できなかったということか)。  私は Festival で歌うのが好きですし皆さんに会うのも好きです、ただ 旅行があまり好きでなくて行ったり来たりが苦手で 出番を待ってブラブラするのも嫌ですね。退屈する時は魚釣りやゴルフをしたくなります。

人前で歌ったり、人に会ったり訪問したりするのは好きではあるんですが そのために旅行しないといけないとなると なるべくセーブするようにしています・・・・出来る限りやろうとは思いますが(この辺りにも Country Boy としての彼の欲の無さが出ているように感じます・・・私感)。

以前にも言いましたが、人生やり直すならまた同じ道を選びます、多少の違いはあっても根本は同じですよ・・・・・・・次回に続く

( ひと休み & ひと言: このLPレコードについて・・・・・フロリダ州にあった Palomino レコードのオーナー Don Cleary という人は Cowboy Song とか西部調の音楽がとても好きだったようです。Yodeling Slim Clark の歌手生活50年を記念して出されたもので盤面は黄色になっています- Gold Record という意味なんでしょう。オーナー自ら解説を書いています・・・・・曰く「 私達の Palomino Records 社が貴方の ”50周年記念アルバム ”を発売することをとても誇りに思います。貴方は半世紀もの年月をファンと友人達のために捧げて、純粋でクリーンなカントリー音楽を保ち続けてくれました。 True meaning of Country music を守り続けた貴方の努力はファンは十分理解していますし、あまりに Authentic Country Music であるが故に the Annual Awards (毎年行われるカントリーミュージックの受賞)から外されるのを私達はよくわかっています。私達ファンと友人はこれからも長く Slim Clark Music を聴けるように貴方に敬意を表して楽しみにしています。 Palomino Records 社もモダンなサウンドにレコーディングしようと思えば簡単にできますが、でも私達は貴方が歌う正統派のカウボーイソングの方が好きなのです。この50周年記念アルバムも Palomino Records のために18年間レコーディングしてくれて、楽しませてくれた証しなのです。私達は色々な Country Music Awards (賞)をテレビで見るにつけ、貴方の名前が出てこないのを悲しく思っています。でも、それは Wilf Carter や Kenny Roberts をはじめ他の偉大な Country Music の多くの先達達も同じことですものね。私達ファンと友人達は貴方がtrue Super-Star であることを知っています。この Gold Record は貴方の50年にわたる足跡に対する私たちの感謝の印です、そして Palomino Records に貢献してくれたことへの私個人の感謝の印でもあります、心から有難う。」・・・・・・・・となっています )
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ヨーデリング スリム・クラーク物語 (2)

2010年09月11日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (2)
イギリス盤 Jasmine Records JASMCD-3567 Yodeling Slim Clark  Cowboy & Yodel Songs

(1)When You're Blue Just Yodel (2)Big Rock Candy Mountain (3)Rocky Mountain Sweetheart (4)Rye Whiskey (5)Rambling Hobo (6)Trail Drive To Missoula (7)Saddle In The Sky (8)Alpine Love Call (9)The Rocky Mountain Yodeler (10)She Taught Me To Yodel (11)Cowboy's Lullaby (12)Remember Me (13)My Lulu Gal (14)The Last Letter (15)Swiss Lover's Lullaby (16)The Old Rugged Cross (17)The Last Yodel (18)Yodel Train (19)The Cat Came Back (20)My Happy Cowboy Life (21)My Calgary Home (22)Stampede The Outlaw (23)Yodel Demonstration (24)Mockingbird Hill (25)Old Chisholm Trail (26)Cactus Sue (27)The Trail Rider's Call (28)The Swiss Yodelers

(このCDにも詳しい解説が載っていますがスリム・クラーク自身の解説の方にこだわりました)

前回の続き・・・・・・・
「 Wilf Carter( Montana Slim )は自分が作った唄とそれを披露するやり方、歌っている内容などについて熟知していましたね。
Wilf Carter はカナダのノヴァ・スコシア州生まれでしたが、成長すると西部地方へと旅立って、その地でそれまで経験したことがないカウボーイ生活について多くのことを学んだのでした。その地で聴いた数々の唄は public domain (版権のないもの)のものでした。

牧場(range の訳は難しいです) について書かれた唄があって、誰かが実体験をもとにアイデアが浮かぶと それを歌にしたのです・・・・・とりとめもない内容だったのですけどね。幸いなことに大抵は誰かがギターやバンジョー等の楽器を持っていて 夕暮れ時になるとキャンプファイアーを囲んで演奏して楽しんだのです。誰かが何かアイデアを思いついて歌詞を1~2節書きとめると 別の誰かがまたそれに別の歌詞を付け足す・・・・・といった具合で唄ができていったのです。唄の内容にストーリー性なんか無くてもとっても面白い歌詞だったりでしたよ・・・・中には物語性に富んでいる唄があるんですが、そうした唄は大抵は悲劇的な内容のものでしたね。

唄の多くは夕暮れがせまって牛や馬の気分を落ち着かせるためだけのものでした。音楽があるとたくさんの家畜の群れは落ち着くようでしたし、牛達を静かにさせておくための演奏(歌=night herding song)でしたが 一日中馬に乗ってハードな毎日を送るカウボーイ達の休息時の楽しみでもあったのです。 そのような生活が私にはとても合っているように思われてカウボーイになる決心をしたのです。 カウボーイであるためにはなにもテキサスに生まれ育つ必要はありません、私が知っている荒馬乗り( bronco riders )の幾人かはニューイングランドの出身でした・・・・まあ大抵は西部の出身者なのは当然ですがそれはどうしてもそうなる自然ななりゆきでしょう。

皆さんは西部に行かなくても Cowboy のことについて知ることが出来ますが、私はもっと多くのことを知りたくてサスカチワン(カナダ西部の州名)とカナダの西部に行きました。エンターテナーとして旅して回ったロデオでカウボーイの真髄ともいうべきあらゆる事を体得しました。大きなロデオ大会が終わった後の夕暮れ時にトレーラーの周りやキャンプ、トラックの周辺に座ってカウボーイ達に向かって何時間も歌ったものです。彼等に一晩中 Cowboy Song を歌わされたこともありましたが、反対に私の方から歌いまくって彼等を一晩中寝かせなかったこともありました。すっかり西部の生活と唄や話に馴染んでしまったことで西部への興味が大きくなりましたし、カウボーイ歌手として生きる道を育んでくれたと思っています。

Pete Roy は song-writing の面でとても手助けしてくれて私のキャリアに大きな影響を与えてくれた人物です。私達にアイデアが湧くと彼が歌詞を書いてそれに私が曲をつけたり vice versa(?訳が不明) をしました。時々歌詞とメロディを合作しましたが、二人の間で歌詞とメロディのやり取りをしたこともありました。私の主要な曲である ”Calgary Stampede ”をはじめ、カナダで大ヒットした ”Young Mounty's Prayer ”そして ”Stampede, the Outlaw ”など2人で作った曲は Cowboy Music のスタンダード曲になった唄も沢山あります。 私は少々くたびれてしまってもう作曲に身が入らなくなっているのに Pete は相変わらず精力的に曲作りをしています。私も時々唄のアイデアが浮かびますが 座ってテープに録らないと忘れてしまうのです・・・・・何年にもわたって何百と歌を習い覚えてきているので頭の中が一種の飽和状態になってしまってそれ以上余裕がなくなっているというか、少し疲れておざなりになっているといったらいいでしょうか。

私は観光牧場( dude ranch )で歌ったり trail ride(馬に乗って一列になって山野を廻る)を率いたり、そのツアー客をもてなしたりもしたものです。大きな興業元やラジオ局等との関係ができたことで 自身のキャリア向上に繋がるかなりよい機会に恵まれました。映画出演の契約さえあったのですよ。現在のナッシュビル ( テネシー州の州都で Country Music 産業のメッカ ) のように当時はニューヨークが音楽産業の中心地でした。ニューヨークはたいしたところで、レコーディングするならそこだったのです。昔は、レコード会社が貴方(歌手)を雇って契約してレコードを作るのであって、貴方(歌手)がレコード会社のスタジオを借りてレコーディングをする-なんてことはありませんでした。私はレコードを作りましたが、会社が歌手と契約して雇ってその貢献度に対して報酬を払う・・・・そのためのレコードでした。とにかく私はニューヨークで沢山の知己を得て大変ポピュラーになったのです。当時はビッグバンドやニューサウンドや電気的なアレンジメントが今ほど発達していなかったのでカウボーイソングはうってつけだったんですね。事実、私は78回転レコードを作りましたし、エコーのかかったレコード製作や多重録音も経験しました。出来はあまり良くなかったですが ちょっとした実験的試みでしたね。

私は1946(昭和21)年にニューヨークの Continental レコード社でレコーディングをし始めて10年間続けました。50数枚の78回転レコードを出したのですが、45回転シングル盤やLPレコードの時代になると 会社はそれまでの曲をシングル盤やLPに復刻して発売したのです。 Continental レコード社は Master Seal とか Playhouse、Paris、Remington、Altone といった多くの子会社レーベル( subsidiary labels )を持っていたので そうしたところからも私の作品が出されました。また、ウェストバージニアのWheeling やカナダの Quality とか Arc といったレコード会社、フロリダの Palomino レコードにも録音しました。また私自身の Elmwood Station レーベルにも独自に録音した3~4本のカセットテープを持っています。」・・・・・・・続く

(ひと休み:訳しにくいところを直訳のままにしておいて後でじっくり推敲しようと残していたところをそのまま発表・・・なんてことが時々有ります、後で読み返してみて自分でも何のことだかさっぱり解らない・・・ということがあり、そんな時は頭がボーッとしてしまっている証拠で そんな時は Bourbon Drinkin' Time ・・・かな!)
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ヨーデリング スリム・クラーク物語 (1)

2010年09月10日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (1)
米国盤 Old Homestead Records OHCD-4015 Yodelin' Slim Clark

(1)My Little Swiss Miss (2)Big Rock Candy Mountain (3)When The Work's All Done This Fall (4)The Cat Came Back (5)Sweet Little Bluebird (6)Sittin' In The Saddle (7)The Mountie's Prayer (8)Yodel Your Trouble Away (9)I Should Have Known (10)Yodel Train (11)The Wedding Of The Little Swiss Miss (12)Yippee Ti-Yi-Yo (13)My Happy Cowboy Life (14)Yodeling Mad (15)My Calgary Home (16)Billy Venero (17)The Swiss Yodeling Cowboy (18)Yodel Demonstration(19)Just One More Yodel (20)Little Sod Shanty (21)Matilda Higgins (22)Swiss Dream (23)Rocky Mountain Yodeler (24)When You're Blue, Just Yodel


以前 「 Yodelng Slim Clark Sings Jimmie Rodgers 」 を載せた時に やがては彼についても述べたい-と書いたのですが時間がなくて後回しの運命に・・・・・それでも毎日毎日すこしづつ訳を書き溜めていって今回やっとまとめて載せることが出来るまでにこぎつけました。  ジミー・ロジャースに憧れ、ウィルフ・カーター(Montana Slim)に憧れてカントリー&カウボーイ歌手になった Slim Clark (1917~2000年) の小伝です・・・・・ヨーデルが出てくると 日本盤の解説などに ” Country Yodel といえばエルトン・ブリット、スリム・ホイットマン、ケニー・ロバーツ、スリム・クラークなど沢山いますが・・・・・ ” と書いてあるのをよく見かけました。 でも 最後のスリム・クラークだけは絶対といっていいくらいお目にかかれませんでした。 Country Yodel が好きだった私はずっと気になっていた歌手で 私が初めて手にしたのが先の Palomino Records 社の ”ジミー・ロジャースを歌う ” アルバムだったのです。 日本では Cowboy Song や Country Yodel に興味をもっている人達以外にはほとんど知られていない歌手で、レコードも弱小のマイナーレコードばかりのせいか手に入りにくいのは当然だったのかも知れません。

1999(平成11)年にアメリカのマイナーレコードの老舗である Old Homestead レコード社から出されたこのCDにスリム・クラーク自身が書いた小伝が載っていますのでそれを4回に分けて載せようと思います・・・・・・・・読んでいると、カントリー界にあって 流行におもねることなく控え目ながらも信念を貫いた彼の Cowboy Song や西部調の唄への変わらぬ純粋さが見事なほどに出ていて( 関心がある人無い人にかかわらず )是非載せておきたくて・・・・・初期のカウボーイ&カントリー歌手の苦労なども解って興味深いものです。 Yodeling Slim Clark のような歌手はマニアックというよりは日本では紹介されず知らされていなかっただけ・・・・・・といった方がいいのかも知れません。 もし関心を持たれたら 幸いなことに彼の唄も今はCDになって比較的手に入りやすくなっています・・・・・。
以下スリム自身の解説訳です(所々に補足を加えました)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「 私のショウビジネス人生に関することとその他色々なことの背景について興味を持って下さる人達があればいいな-と私はずっと思っていました。ファンタスチックなものとか偉大なもの(great)などといったものは一つも有りませんが満足はして頂けると思います。

私は1917(大正6)年12月11日マサチューセッツ州 Springfield に生まれました。生まれて2週間後にはマサチューセッツ中部の田舎に移ってそこで育ちましたが、そのことが荒野や森林、小川といった自然に親しむようになった私の性格形成に大いに関係があると思います。 ゼンマイ巻きの旧式蓄音機から流れてくる歌の内容が解かるようになった年齢の頃から私は Cowboy Music に興味をもっていました。7~8才の頃には将来 cowboy singer になろうと決めていましたが、芸術家にもなりたい-とも思っていました。将来その両方をやるんだと言い張ってはそれを信じきっていました。私は物事は成せばなる-と信じてひたすらそれに突き進んできたのです。もし人生をやり直すとしたらまた同じことをするでしょう・・・・多少は違うかも知れませんが根本的には同じ道を選ぶことでしょう。

13才の時には 旧式のビクター社製蓄音機で習い覚えたカウボーイソングを歌っていました。ロッキングチェアに座って揺らしながら Charlie Blake とか John White、 Jimmie Rodgers 、Bradley Kincaid 、Vernon Dalhart といった人達の古い歌を何時間も聴いたものです。  丁度その頃、ある友人がギターを持ってやって来て ほんのちょっとですが幾つかのコードを教えてくれたんです。私が今でも弾いている僅かばかりのコードはその時のものと同じなんですよ(難しいギターの弾き方はしていない・・・・ということを云いたいんだと思います)。 ギターの技量は大したことはありませんが、私が演っているようなタイプの唄や 粗削りで素朴なスタイルには私のようなギターの弾き方の方が全てに於いて合っていると思っているので、もっとギターが上手く弾けなきゃ・・・・といったことで悩んだことはありません。

僅かばかりのコードを学んだ私は幾つかのローカルバンドに加わって歌い始めました。1931(昭和6)年14才でプロとしてデビューしたのです。一晩に2ドル-とかなりいい額を貰いましたが、もちろんそのためには演奏場所までギターを入れたズタ袋を抱えて4~5マイルも歩かないといけなかったもんです。  Dance Time の時に私があまりギターを上手く弾けなかったもんですから ショウの合い間に Cowboy Song を数曲歌うように仕向けられました。 当時は local show とか town show とかがあって・・・・そのようなショウの中には ” Cowboy Shows ” と称するものが時々あって・・・・人々が望むとマネージャーが私を指名して夕暮れ時の余興として歌うようにいわれたものです。幾つかのバンドが来ているのに 私の受けがいいものですから私が歌わされたものでした。おかげで あるバンドに誘われて参加することになり一緒に演奏して回ったものでした。

私は ” Kerosen Circuit ” と称するショウでも演奏しました、それはローカル組織がスポンサーになってやっているイベントで 私が住んでいる町から半径30マイル以内の町や農場の納屋などで演奏するものです。 当時13才だった私は Model A Fords 車や馬車、馬やソリに乗って近所の人達や友人達と一緒に会場に連れて行かれたものです。当時を振り返ると 会場に電気設備があるところはほとんどなくて照明はケロセンランプ、暖房は木製ストーブというのがほとんどでした。大恐慌(The Great Depression)時代の最中のことで、みんな私の唄を聴きに何マイルもかけてやって来たものです。私の他に演奏グループはなく、しかもマイク無しで1人で2時間歌ったのです。みんな座って聴いているんですが素晴らしい人達でしたよ。 大恐慌の頃は多くの人が仕事が無くて働けなかったのに ショウを見るための50セントを何とか工面して聴きに来てくれたのですね。毎週そのようなショウを2~3やった結果一晩に25ドルという当時としてはかなりいい収入を得たものです。
同時期に16~17才の頃ですが、社会人ないしはセミプロの野球チームのピッチャーとしてもプレーしました。私は生まれつき身体が大きくて頑丈だったのでチームで上手くプレー出来たのです・・・・腕を痛めてからは辞めてしまったのですが。

当時私よりも1~2年先にプロとしてスタートした Wilf Carter(Montana Slim) という名の歌手がいました。 皆なが私に ” あんたは Montana Slim のようだね ” と言うので(彼は当時既にアメリカでも有名だったんですね)、”それは一体誰れだい?” と尋ねたものです。その頃はラジオを持っていなかったので私は Wilf Carter のことを知らなかったからです・・・・ラジオで Montana Slim の唄を聴いていた近所の人が私にそういったのでした。 私は Wilf Carter が出ている朝9:00~9:15の番組を見つけると、家族や生活のために木を切っていようが、干草集めの作業をやっていようが とにかく何をやっていようが作業を中断して 彼(Wilf Carter)の唄を聴いたもんです。なぜって、Montana Slim が歌っていることの全てがそっくりそのまま自分が理想とする Cowboy Singer だったからなんです。
”great” と呼べるものがあるとすれば私にとっては Wilf Carter(Montana Slim) はまさに”greatest”と呼べるものでしたね・・・・・・・・・・次回に続く
(2010=平成22年8月7日 記)
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小紀行 ( 唐津の街を訪ねて )

2010年09月06日 | 旅はいつもおひとり様(古城を訪ねて)
唐津城
9月5日(日)まだまだ残暑が厳しい中 博多駅から地下鉄に乗って肥前唐津まで行った。普通電車で1時間15分くらいで着く一人旅・・・・・途中からはJR筑肥線になるので海沿いを走る電車からは玄海灘の風景を眺めることが出来る。夏の海は海面の照り返しが強くて青い海には見えない・・・・きっと秋から冬がいいのだろう。

唐津駅で電動自転車をレンタルして市内を廻り、目的だった唐津城に行った。立派な高石垣をもった平山城で天守閣(昭和41年建設)もある・・・・豊臣秀吉の家臣 寺沢広高が1602(慶長7)年から7年かけて築いたとのこと・・・・・ 別名「舞鶴城」。立派な石垣群を見ていると7年かけただけのことはあるなあという感じで、天守閣からだいぶ離れた市内のあちこちに石垣が見られるので 規模もかなり大きかったに違いない。城主の変遷が激しかったようで 寺沢氏以後は全て譜代大名で~大久保氏~松平氏~土井氏~水野氏~小笠原氏(で幕末)と書いてある、江戸時代にこれだけ城主が変われば藩風とか土地の気風とかはじっくりとは培われなかったのでは・・・・・という気がしますが(島津氏なんか同じところに700年ですから)。 市内を廻っても武家屋敷らしいところはなくて、博多と同じようにどっちかといえば商業都市として栄えたのかもしれないな-という印象・・・・そういえばたくさんの曳山がくり出す ”唐津くんち ”というお祭りが有名です・・・またいつかゆっくりと訪ねてみたい。 

司馬遼太郎さんは同じ佐賀県でも佐賀藩と唐津藩は藩風がまったく違っていたーみたいなことを書いておられたのでそうなんだろうなと思う。 記念に唐津城主の変遷を示す姓氏と家紋を染めぬいた日本タオルと唐津焼の湯のみを買った
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映画 「センチメンタル・アドベンチャー ( Honkytonk Man )」

2010年09月05日 | つれづれに
センチメンタル・アドベンチャー( 原題 Honkytonk Man )  監督: クリント・イーストウッド  1982(昭和57)年 製作・公開
(1)San Antonio Rose・・・・・・・・・Ray Price
(2)Turn The Pencil Over ・・・・Porter Wagoner
(3)Please Surrender・・・・・・・・・Frizzell & West
(4)When I Sing About You・・・・Clint Eastwood
(5)Ricochet Rag・・・・・・・・・・・・・Johnny Gimble & The Texas Swing Band
(6)Honkytonk Man・・・・・・・・・・・・Marty Robbins
(7)One Fiddle, Two Fiddle・・・・・ Ray Price
(8)In The Jailhouse Now・・・・・・・Robbins, Anderson, Frizzell, Eastwood
(9)No Sweeter Cheater Than You ・・・・Clint Eastwood
(10)These Cotton Patch Blues・・・・・・John Anderson
(11)Texas Moonbeam Waltz ・・・・・・・・・Johnny Gimble & The Texas Swing Band
(12)When The Blues Come Around This Evening・・・・Linda Hopkins


クリント・イーストウッドが監督して作ったカントリー&ヒルビリー歌手をテーマにした1982(昭和57)年の映画 「センチメンタル・アドベンチャー」 を観た。
Country Music が好きという人は絶対に観ておいたほうがよい映画です。題名が横文字題名なのでパッとどんな内容なのか判らなくて非常に損をしていますが、あるカントリー歌手の「栄光を求めて」とでも云ってよさそうな なかなか見ごたえのある作品です。 カントリー好きの私達から見ると主人公のカントリー歌手レッド・ストーヴァル(Clint Eastwood)は肺を病んだ大酒飲みで まるでジミー・ロジャースとハンク・ウィリアムスを足して2で割ったような生きざま・・・・・とでもいう感じで、破天荒な人生を生きる人物に描かれています。 このレコードはそのサウンドトラック盤で映画と同時に出されたもので、出演したカントリー畑の人達の歌や演奏が収められています。

映画の時はわからなかった時代設定が いつの頃なのかのヒントはある場面で映画館前に貼ってある soon coming(近日上映)というポスターが Buck Jones /”When A Man Sees Red ”( バック・ジョーンズ主演の西部劇 )となっているので調べてみたら1934(昭和9)年頃でした・・・・・・( DVD静止画像ならではの有難み )。
レッドの出身が生活に困窮するオクラホマ州出身の poor white であって、家を出てカントリー歌手として成功を夢見て放浪をくりかえした人物であることは画面から判ります。昔のカントリー歌手のバックグラウンドが垣間見えるようで Country Music が生活に根ざした音楽であることも色々な場面からひしひしと感じられるものとなっています。

レッドの知人として Western Swing の王者ボブ・ウィルス( カントリーフィドルの名手ジョニー・ギンブルが演じている )も出てくるし、ボブのバンド The Texas Playboys のメンバーのボーカルにレイ・プライスがいて「 San Antonio Rose 」を歌いますし、演奏陣にマール・トラヴィス(ギター)、ゴードン・テリー(フィドル)等がいて和気あいあいと楽しそうにレコーディングしている場面は見ていてワクワクしてしまいます( みんな往年のCountry Music 界のスターですから )。     これは私の想像ですが、ジョニー・ギンブルは実際に Bob Wills のテキサス・プレイボーイズに在籍したことがある人なのでこの役は嬉しかったんじゃないかなあ・・・・・Ray Price はボブ・ウィルスの Western Swing に憧れていたそうなので Texas Playboy member としての歌う役はこちらも嬉しかったでしょうね。  

Grand Ole Opry(有名なカントリーミュージック ショウ)のオーディションを受ける場面ではレッドの前にポーター・ワゴナーが誰もいないステージで歌う新人歌手役でちらっと出てきますし、レッドの後に David Frizzell & Shelly West があるデュエットグループとして歌うなど・・・・・楽しいシーンです。  レッドのオーディションを見たあるレコード会社のスタッフがレコーディング契約を持ちかけてくる場面などもあって色々なカントリー界の内幕も判るようなところも面白く見ました。
レッドが結核の病をおして最後のレコーディングをするシーンではバックの演奏陣の中にマーティ・ロビンスがいて レッドの健康状態を気遣いながらギターを弾いているんですが、録音途中で倒れるレッドに替わって歌い続けます・・・・・・涙なしには見られない場面です。  カントリーミュージック ファンは絶対に見た方がよいと思います・・・・・。

話が前後しますが Grand Ole Opry のオーディションを受けるために姉の子供ホス(クリント・イーストウッドの息子 Kyle Eastwood が好演)と祖父と共にナッシュビルへの旅に出ますが、その途中での色々な出来事が話の核になっています。  走っている車の中でギターを手に3人でアイデアを出し合いながら歌を作ってゆくシーンなどは思わずニンマリとしてしまいます。 Great Run を経験してオクラホマに住みついたという祖父が 生まれ故郷のテネシーをもう一度見たい(そこで生涯を終えたい)と孫のホスに話して別れてゆくところなど・・・・・哀感があってよい場面。   
最初の頃にレッドが行きつけの酒場で(4)When I Sing About You をギター弾き語りする場面はいつ見ても好きなところで曲もとてもよい。 そこに来ている人達や酒場の雰囲気とともにホロリとさせられるシーンです・・・・・イーストウッド自身の歌ですがなかなか上手です。サントラでもギター1本での弾き語りだったらよかったのに。 ユーモアあり、笑いあり、悲しみあり、哀感(ペーソス)ありの映画でお勧め・・・・・DVDが出ています
(2009=平成21年4月27日の記事 再録)
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