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(平成25年)4/28(日)、29(みどりの日)は連休。 28日はとてもいい天気だった、近いけれどなかなか行く機会がない久留米に行ってみた。JR久留米駅で降りて筑後川の方に歩いていくと20分くらいのところに久留米城(別名 篠山城)がある、今では久留米が有馬氏21万石の城下町だったことを表わす唯一の名残りともいえるものになっています。 現在は高石垣で囲まれた本丸しか残っていませんが なかなか立派な石垣群です、本丸内には有馬記念館という歴代藩主に関する展示場があって久留米の歴史についてビデオ上映があったりしていました。係りの人と色々話をしていたら久留米城の古地図をくださいました・・・・それを見るとかなり大規模なお城だったようで、現在のブリジストン工場(タイヤ)と久留米大学医学部は全部城内に位置しているようで 堀がほとんど埋められたことが分かります。
写真を散策ガイドのパンフレット通りに行くと トップの写真はつつじが咲いた本丸入り口左にある石垣です。
次の2枚は本丸入り口をはさんで左側の大きな堀と高石垣 そして右側の小さな堀と石垣です
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城内に入ると石垣が何段かあっていずれもしっかりした石組みで風格があります。 久留米城は戦乱に巻き込まれた経験のない( 天下分け目の関が原合戦以降の )近世城郭です。 城内には有馬氏以前に豊臣秀吉からこの地を与えられて最初に城を築いた毛利秀包(ひでかね)公を祭った小早川神社というほんとに小さな小社がありました、毛利秀包さんはキリシタン大名でもあったらしく、祠(ほこら)の扉に×印の十字が彫ってありました。西国の雄 毛利元就の末子だったそうで 関ヶ原で西軍についたため失脚したと書いてありましたが、まさに栄枯盛衰は紙一重、時の運というところでしょう・・・・・こんなことは今の時代も変わらないと思います。
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城内には色々沢山の記念碑が建っていますが、久留米出身の有名な画家 青木 繁の碑がありました。
お城は筑後川のほとりにあるので本丸から川と筑後平野を見渡すことが出来ますし、久留米大学医学部と病院もみえます。
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石垣以外に遺構はないですが本丸だけでも8つの櫓があって(天守閣はなかったそうです)明治初期に撮ったという古写真に写っています
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連休だけれど久留米城は静かでした、お城を出て久留米大学沿いを市街地の方に歩いてみましたが城下町という趣きは全くというほどありません、途中に武家屋敷の遺構として長屋門がありました(写真)・・・・・他に、競馬の有馬記念というのがここの藩主末裔と関係があること、作家の故 有馬頼義(よりちか)さんがここの殿様の直系であること等を知りました。 歩き回って疲れたけれど有意義な1日だった、 29日は仕事
<ひとりごと>
昔2年間 久留米から近い鳥栖市(佐賀県)に住んでいたことがある、その頃の久留米大学より大きく立派な建物になっていた。私が整形外科医として駆け出しの頃に鹿児島で同期だったM君がここのICU(集中治療室)に入院しているのを知って見舞いに行ったことがある。
私が国家試験に合格した時にM君は研修先の東北仙台から祝福のハガキをくれた、その時はとても嬉しくM君の優しさをいつまでも覚えていた。私と似たような経緯で遅れて医師になったM君だったけれど 何か悩みがあったのかパラコートを飲んでのこと・・・・・生きていたら優秀な内科医になっていたはず・・・・・久留米城から大学病院を眺めながらアンパンマンそっくりで人なつっこい顔をしたM君のことを想った。