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武蔵 江戸城を訪ねて
7/18(土)に亡くなった姉の年忌と弟を祖霊社に祭る式があったので鎌倉へ出向いた。こんなことでもないと東京地方へは行く機会がなくなった・・・・・あわただしい小旅行だったので短いけれど空いた時間に東京駅から歩いて皇居外苑を歩いた。何度も来ているけれど江戸城内に入ったのは全く初めてだった。江戸幕府~皇居と変遷してきた日本の中心なので以前から一度はと思っていた。東京駅からまっすぐ歩いていくと堀に行き当たる、和田倉門があったという橋を渡るのだ
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橋の上から見た右側の石垣と左側の石垣。渡ると正面の石垣に突き当たり、そのまま左に入っていくとその奥はほぼ広場になっていてあまりさえぎるものがなくて炎暑の中汗だくで歩くのはつらい。しばらく木陰で休んでから広場を出て道路を渡ってもうひとつ奥の堀端に出た、すぐ目の前の角に巽櫓がある
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巽櫓を右手に見ながら堀沿いの道を奥の方に進んでいくと突き当たり右側に桔梗門( 内桜田門ともいう )があって警官が駐在していてそこから先には入ることができない。堀端から桔梗門が右手にあり、奥の方の一段高い位置に緑に囲まれた富士見櫓が見える。
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桔梗門の前に来て撮影、小さな門だ。門に行く通りの反対側にも堀が続いていてそこから後方に堀沿いに坂下門を目指して行く。堀沿いは丈の低い松ときれいな芝生がいっぱいできれいだ。松と芝生の先に見える石垣の角を右手に見ながらさらに奥の方に歩いて行くと突き当たりに坂下門が見えてきた。門の正面の通りがコンクリート道なので日の照り返しが強い、それよりも城門の前がコンクリートというのは情趣がない、せめて砂利道くらいにはできないのかなあ。坂下門は幕末の1862(文久2)年に老中安藤信正が水戸浪士等に襲われて重傷を負ったところでもある( 桜田門外の変のあと出来事 )。
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坂下門を右手に見ながらジャリ道を外桜田門の方に歩いていく、ここは堀の手前がきれいな芝生に松ノ木で、堀の向こうに石垣が続いている。そうこうするうちに右手に有名な二重橋が見えてきた、一番見えやすい堀端近くには大勢の人達がいて騒がしい。中国からの団体観光客のようでしきりに写真を撮っている。何とか人が映らないように写真を撮るのに苦労する。この二重橋はいつの頃に出来たんだろう、江戸時代にはなかった橋では・・・・・と思ったりする。というのはこの橋がなければ遠くに見える伏見櫓が昔のお城という雰囲気があって写真アングルとしては最高なんだけどなあ。
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二重橋のお堀と石垣を右手に見ながら外桜田門の方へと歩いていく。欧米人の観光客もけっこう見かけるし、城内をジョギングしている人も多かった。
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お堀を直角に曲がって外桜田門の方へ行き、門の城内側に到着した。ひっきりなしにジョギングの人達が門をくぐって城内の方に入ってくるので門だけを写すのに時間がかかってしまった。門を城内側からくぐって外に出るとさらに小ぶりの城門があった・・・・・どうもこの二つの門とも桜田門というらしい。幕末の1860(万延元)年に大老井伊直弼が水戸浪士達に暗殺されたことで有名になった桜田門だ。
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二つの門を城内側からくぐって城外に出た。外側から見る桜田門、井伊大老襲撃に薩摩からたった一人参加した有村冶左衛門(22才)も見たであろう桜田門・・・・・鹿児島生まれの私にはちょっとした感慨がありました。雪の降る頃に見てみたい
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桜田門を出てお堀の外縁を歩いて東京駅へ戻ったのでした・・・・・規模が大きいのでテクテク歩くのはつらい、せめて自転車くらいが丁度いいと感じました。
江戸城はとにかく堀、門、櫓などがたくさんあった巨大な縄張りを持ったお城なので今回私が回ったのはほんの一部でしかありません。全て見てからでないと判断できないんでしょうが、回った範囲でみると私にはそんなに興味を持てるお城ではありませんでした。洗練されすぎているんですね、お城にはある程度の野趣がないと魅力が削がれてしまう気がします。ただ、色々と歴史的な事件があったことを知っていると少しは興味がわくかもなぁ・・・・・残りはまたの機会に訪ねよう