西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

お岩さん

2019年08月24日 | 医療の仕事

お岩さん......時代なんですよ😵
数日前に転倒して顔面打撲、前額部挫傷の男性が来院されて対応した。県外でのケガで出先の医療機関を受診......" ケガして顔がお岩さんのようになりました" と言ったところ若い看護婦さんがキョトンとして反応がなかったらしい。鹿児島に帰って治療の引き継ぎで来られた時そのことを言われた......" 先生、今はお岩さんと言っても解らないんですね😵"
" そうでしょうね。昔は夏になると決まって怪談物の映画が上映されましたしね、四谷怪談とか番町皿屋敷とか怪猫◯◯◯なんて題名がついた怖〜い時代劇映画が上映されましたしね。行燈の前を黒猫が横切っていくシーンがあるだけで何となくゾーッとしたりするんですよ(^^) 今はそんな映画がないから若い子が知らないのも仕方ないでしょうね😵"......なんて話をしながら傷の手当てをしたのだった(^^)
これも時代だなぁ🤣

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今日から8月

2018年08月01日 | 医療の仕事

今日から8月( 葉月 はづき )
Where Are You Going, Cowboy? Nowhere, but I Wanna Ride Again!
時が経つのは早い、色々とやっているはずなのに一週間や一カ月があっという間に過ぎる。南国生まれはやっぱり夏が好き、そういえば去年の今頃は勤め先の医局のクーラーが故障して寿命ということで全館入れ替え作業のためまるまる1ヶ月蒸し風呂のような日々だった......「心頭滅却すれば火もまた涼し」と墨書して診察室に貼っていたら「それは悟りを開いた坊さんでしょ、先生は...」と看護婦さんに軽くいなされてしまった(^^) 「そうかもわからんけど それくらいの気構えで...ということだよ」と一件落着。 寒い冬よりかまし

夜は9/2のカントリーフェスタ出演に向けてバンジョーのハリー樋口君と2人で演奏曲4曲を打ち合わせ練習をした
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ちょっとしたことで(馴染みの患者さん)

2018年07月24日 | 医療の仕事
ちょっとしたことで
(H30)7/24朝 職場に着いてみると早速病棟の看護婦さんから電話があった。いつも外来を受診している(名物?)おばあちゃんのTさんが腰椎圧迫骨折で入院したので主治医をお願いします......とのこと、いつも診ているのが私だかららしい(^^)。いつの頃かわからないけど私の診察日に合わせて来るようになった......"先生が相性がいいから" とか勝手に言われてしまって(^^)。

元々口も達者で元気な方だけれど、入院して色々と家庭事情を聴いてみると可哀想な状況がみてとれる......Tさん頑張って1ヶ月くらい療養しましょうか...と話すと安心した様子、子供さん達が遠くへ行ってしまって高齢者のひとりぼっち、最近はこんな人がたくさん
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あーそうなんだ( 医療の仕事)

2018年06月19日 | 医療の仕事

あーそうなんだ( 医療の仕事 )
いつも月曜日に行っている博多天神近くの渡辺通りにあるHr病院はもう勤め始めて10年すぎた......長くいると非常勤といっても自分に付いている患者さんが沢山いる。どうしても高齢者が多いのはどこでも一緒、" あーそうなんだ " というのは " 先生だと昔の古い話もわかってくれるから...." だって。 私自身も歳とってきたのでかもしれないけれど、医療以外の色々なことを話す時 若い先生だと話をしても解ってもらえないことが多くてつまらないんですよ......などと言われる。
私が生まれた鹿児島の出身の人も博多では多くおられるようで( 指宿、大口、宮之城...)こっちに嫁に来て50年になる....なんていうおばあちゃん達にも何人も会った(^^) そんな人達は故郷の昔話をされる......故郷といっても代替わりして縁遠くなって孤立しているのか私が鹿児島がメインの勤めだ......と話すと話が止まらなくなる(^^)
自分は健康で仕事が出来るからいい-と思っているけれど思わぬところで役立っているんだ......と感じて "あーそうなんだ " ...というわけ😁
写真は博多駅横にある黒田武士の銅像 " 日本一(ひのもといち)のこの槍を〜呑みとるほどに..." かな!
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I 先生の突然の退職

2018年05月17日 | 医療の仕事
( 平成30年 )5/17整形外科の若いI 先生が唐突に退職された。交通事故でのこと、残念😵
事情があっての退職ながら現役バリバリの I 先生の離脱はただでさえ不足しているマンパワーにダメージが強い。いつの日かどこかで復活されるよう願っている
👋
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K先生の死

2018年03月27日 | 医療の仕事

K先生の死
私は人生の回り道をして医者になった......高校でたての人達からしたらひとまわりくらい年が上だったのでこのまま大学の附属病院に入ってもストレスがいっぱいと感じていたので自ら決めて市中のT病院に研修医として入職した。その駆け出しの頃の右も左もわからない初めの4ヵ月に指導してくれたのが内科医の K先生だった。
人伝てに 数日まえにK先生が亡くなったことを知った。

救急医療や外傷、整形外科が希望だったが初期研修で4つの科をまわることになっていた。初めての時 " 医療は内科が基本だよ " といった K先生......自分はその後 救急医療から整形外科医になったけれど、 K先生の言われたことは正解だったと今でも思っている。患者さんに対しても歯に衣着せずイヤなこともズケズケと言う先生だったけれどそれでも慕って来る人達が多かった......よく働く先生でした。5年たって自分がT病院を去ってから間もなく K先生は開業されたと聞いた......まだまだ10年は仕事できる年齢だったのに、 " K先生 働き過ぎなんだよ! " ( 涙 )
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逢うは別れの始め

2017年05月27日 | 医療の仕事
 逢うは別れの始め
H29.5/26(金)はいつも月曜日に行っている博多のHrs病院の看護婦さんが2人辞めるのでその送別会に出席した。鹿児島での仕事が忙しくてずっと休まずに続けてやっと仕事を終わらせて新幹線に飛び乗ったので疲れ気味だった・・・・・それでも、長い間私の整形外科の診療に付き合ってくれた2人だったので送別会には出てあげたかった。 病院にとっては重要スタッフだと思ったけれど2人も同時に辞めるのは事情があるのかも知れない、私も診療日数を増やして欲しい-と思っていたけれどどうも無理のよう。1次会は25人くらいで話が弾み、2次会に行きましょうと誘われてカラオケスナックに行った、10人くらいだったかな-ほぼ貸切りだった。辞めるO村さん、O野さんの二人も元気で屈託がなく カラオケを歌って踊って乗りにのってパワー全開、ほかの皆も同じだった。おかげで自分の疲れも吹き飛んで3曲歌ったのだった・・・・・歌い終わった時そのうち2曲についてママさんが何かコメントをくれた、酔ってはっきり覚えていないけれど歌われることのない珍しい歌だったから聞いてきたんだと思う。 気軽に話したり相談し合ったりした2人が辞めてしまうのはとてもとても淋しく 心に空洞が出来る。 二度と会うことがないかも知れないな・・・・・と思いながら帰った  (花は野の花)
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心強いナースたち

2017年02月28日 | 医療の仕事
 
ある日に 
朝起ききれず6:45発の鹿児島中央駅行き新幹線に乗り遅れる・・・・長い間には何度かこんなことがある、次の新幹線の中で 普段なら本を読んだりCDを聴いたりするのに 着くまでずっと車中 sleeping。
 
外科系には包交当番というのがある。手術後のまだ糸のついている創部を毎日消毒する役目。 大きな病院なら大体は若手の先生達がやる役目だけれど、HD病院のように90床前後のところはそんなこと関係なくて院長はじめみんなで日替わりで担当している。 
ある日の急性期病棟 ( 手術後の患者さんたちが多いところ )、その日は私が当番だったから 「 包交( ガーゼ、包帯交換のこと ) に行くよ~、誰れかついてきて~ 」 と呼びかける。 3~4人ついてきたナース達、顔ぶれを見るとみんなベテランナースばかりだったので 「 あれー、今日の顔ぶれは7~8年前の病棟のような気がする、若い人はいないのー? 」 と冗談交じりで言ってみた。 すると キッとにらまれて「 先生そんなこと言っていいんですか? 」 と言われた。 とはいってもこのメンバーも当時は若いナース達だったから・・・・今でも君達がいて心強いよ とかいってフォローして笑いあいながらの包交当番・・・・皆んな結婚して子供生んでもきれいで元気に仕事している、女性はやっぱり強い・・・と感じる
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プラモデル作りが役立って

2017年02月23日 | 医療の仕事
  
子供の頃のプラモデル作りが役立って 
今の小学生の男の子たちはどうか知らないけれど、私が少年の頃はおまけ付きグリコキャラメルというのがあって切手だったりちっちゃなプラモデルだったりが入っていた。今から思うとささいなことですがお菓子を買う楽しみの一つがそのおまけだった。 
私は飛行機が好きだったのでおまけの箱に飛行機が入っていると嬉しくて結局10数機集めたと思う・・・・・そこから発展して少し小さな、それこそ手のひらに載るようなプラモデルを何回か買った。 少年のことだから昔の軍用機に自然と目が行って「 零戦 」とか「 隼(ハヤブサ)」、「 雷電 」、「 紫電改 」、「 彗星 」 などと名前の付いた戦闘機を作ったりした。 いまでも覚えているけれど 「 零式艦上観測機 」 というフロートがついた水上複葉機が気に入ってかなり大きくなるまで机のスミに残っていた。 濃緑色の機体に白地に赤の日の丸がついていて旧式の複葉飛行機だけど何となくかわいいながらも風格があって好きだったのに何度かの引っ越しでいつの間にか捨てられてしまっていた。 
 
去年の暮れにカラオケに行った話を載せましたが、その時にいたお客さんのひとりが ”ちょっとやわな唄が続いたようですので日本の唄を歌います ” とかいって 「 暁に祈る 」 とかいう軍歌を歌ったのです。 その人が歌っている歌詞が映る動画に 私が少年の時に作った「 零式艦上観測機 」 という飛行機が出てきました。 昔のモノクロ映像ですがまさしく本物で、軍艦からカタパルトという装置で甲板なしでも飛び出していく映像が出ていた、 「 あぁ、あの時の飛行機だ 」 と思ってジッと見入ったのでした。歌った人は自分の父親が昔 海軍にいたとかで、親が歌っていたとかで歌ったらしいんですが僕には飛行機の映像が珍しかった・・・・少年の頃に作ったプラモデルの飛行機。 定宿にしているホテルで2/22の夜そんなことを思い出していた 
 
今日(2/23)全く久し振りにTさんが奥様に伴われてヨタヨタ歩行で受診に来られた。 
”先生、89歳だから仕方ないんですけど主人は脚が弱ってしょっちゅう転ぶようになりました、若い頃は零戦に乗っていた人なんですよ何とかなりませんか ”・・・・と。 なんと、”零戦 ” という響きも私の少年時代のプラモデルの響きだ 、ビックリして ”Tさんの年だったら今でいえば中学卒業してすぐ飛行兵志願するようなことだったんじゃないですか ” というと ” じゃんど、そえな時代じゃったでなあ( そうです、そんな時代でしたから )” と典型的な鹿児島弁で言われた。 私の少年時代にはたくさんいたコテコテの鹿児島弁を喋るおじいちゃん達も少なくなっていることに気付かされると同時に 若く元気ハツラツだったであろう時代の面影がその人に残っているのにちょっとほほえましい気がした 。 
奥様はおとなしく控えめだけどちゃんとご主人のことを心配されて何とか元気になって欲しい-と気遣っておられるが、当の本人は ”ワイヤだまっちょれ( お前はだまっていろ )” と・・・なかなかの亭主関白ぶりだ・・・・身体は弱っているのになあ(smile)  結局 介護保険を申請して認可がおりたらパワーリハビリをすすめます・・・と話した。 私が少年の頃に「零戦」の模型を作ったことも話をしたのだった。 久し振りに 「 薩摩隼人 」 を思わせる人に逢った気分だ、こんな人には長生きしてもらいたい
 
 
 
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仕事のこと

2017年02月20日 | 医療の仕事
 
仕事のこと 
今日(平成29年)2/20(月)HRS病院の仕事帰りの道、ずっとこれからの仕事のことを考えていた。博多に仕事の中心を移すべく就職活動のことをボンヤリと考えていた・・・・・上手くいかない時は全部辞めてしまってリセットしてどこかに移らないといけないかも・・・・・と思ったりもする。途中コーヒー店に入ってコーヒー、迷っている時はまだ健康で仕事が出来るだけで幸せと考えるべきかな・・・・・。 ただ、医療の仕事というのは長く居ればいるほど自分に付いてきてくれる人達 ( 患者さんを主に ) がいる。 実際 今日来られた人の中にTさんという男性がいて 右手指と腰のほか心臓に悩みを抱えている。 
初めの頃は結構うるさ型の人でけっこうシビアにたくさん質問をしてくるやや攻撃型の人だったので ”やりにくいなあ ” と感じていた・・・・・それでもいつも丁寧に説明をして対応していたせいか 来院のたびに他に抱えている健康上の悩みを相談されるようになった。 専門の整形外科領域のことだけではなくて心臓血管系の手術も受けているとのことで相談のような形で質問してこられるのだ・・・・・口調はぶっきらぼうだけど心から心配されていることが言葉の端々に感じられる。 ”Tさん、整形外科領域で命にかかわるようなことはあまりないからやはり心臓のことを一番に考えたほうがいいですよ、そのためには○○病院とか△△病院とかの専門にいくべきですよ ”・・・・・と話す。 当たり前のことで解ってはいても 本人はやはり誰れかに背中を押して欲しかったんだと感じ取る・・・・・やっと一段落して帰る時に 「 先生はずっとここに居るんでしょう? 辞めたりはしないですよね? 」 と言われた。 こういう言葉を聴くと その人にとっていつ行っても私がそこに居るということが大事なことなんだ・・・・・と教えられます。 思わず 「 大丈夫、心配しなくてもずっとここにいるから 」 と答えた。  
その人にとって ” 常にそこに居る ”・・・・・という安心感というのが必要なことなんだと思ったと同時に 微力ながらまだ続けないとな・・・と背中を押された気がした。 自分の中ではたくさんの迷いがあって苦しいことの連続  早く暖かくなってほしい 
*写真は今日のこととは無関係
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