西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

旅とカメラ・・・皆な同じ方向(笑)

2024年04月11日 | つれづれに

旅とカメラ

司馬遼太郎さんの ” 街道をゆく ” のある巻を読んでいたら、めったに写真機を持ち歩かない司馬さんが珍しく持参されて自分の頼りない記憶だけに頼るのではなく写真に撮っておこうと思われたらしい……ところがその後で ” 旅の中に身を置くということは自分自身が感受性のかたまりであることを必要とするのに、写真を撮ることに気をとられて自分自身の感度が二割ぐらいしか作動していないことに気づいた "……とあった。 私は " わかるわかる "…と司馬さんのその表現力に瞠目&賛同🤣🤣 例えば、お祭りがあって御輿が出たりあるいは大谷選手が記念のホームランをかっ飛ばそうとする場面に出くわした時などにその場にいる人達が揃いも揃って携帯をかざしカメラ撮影に気を取られてお神輿の動きやホームランの瞬間を自分の目に焼き付けるのではなくてカメラを通してしか見ていなかった…みたいなことかなぁ…せっかくの感動を半分くらいしか実感できていないなんてことをいうのでしょう🤣 何かあると皆んなが一斉に携帯をカメラにして向けている場面に出くわすことがよくあります…これって はたから見ると滑稽な風景でもあります🤣🤣 改めなきゃなぁ 

<ひとこと> ” 瞠目 ” なんて今どき使わない表現を使ってみた・・・これは故 池波正太郎さんのエッセイを読んでいると氏が良く使う言葉の影響だ。要するに ” びっくりして目をぱちくり ” という状態を表しているのだろう

*かろうじてまだ頑張ってます 桜🌸🤣

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アコーディオンの練習 ” 青い山脈 "

2024年04月09日 | つれづれに

アコーディオンの練習 ” 青い山脈 "

仕事が終わってお茶を飲み、一息ついてから誰れもいなくなった医局でアコーディオンの練習をする。鹿児島に持ち込んでいるアコーディオンも空き部屋に置きっぱなしにしていることが多かった。博多で通っているアコーディオン教室でのレギュラー練習の他に課題曲みたいなのがあって今は ” 青い山脈 " 。昭和歌謡の古い曲🤣 でもアコーディオンでは ” りんごの歌 " とあわせて定番曲みたいになっているからなぁ……軽快で明るく親しみやすいメロディ、しかもどこかに日本的な哀愁も感じられる😁哀愁に弱い私は気に入っている……歌謡曲には前奏や間奏にいいメロディが付いていることが多くて曲を引き立てているから一層気に入っている。それと歌謡曲独特のフレーズがあったりするから左手のリズムボタンが難しいと感じる。この曲が完全に弾けるようになったら似たような曲はどんどん弾けるようになる気がする。腰痛に悩まされながらの練習だ🤣🤣

いつか仕事を辞めて鹿児島を去る時にはこのアコーディオンは誰れかやってみたいと思う人に譲ろうと思っている😁

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3月、4月は別れと出会いの季節

2024年04月04日 | お気に入りのCD

3月 4月は別れと出会いの季節

 

一緒に長く働いた看護婦さんが何人か職場を去る。皆な発展的な辞め方なので送別会も壮行会といっていいかも知れない・・・淋しい気持ちとこれからも何処かで頑張ってほしい気持ちがない交ぜになって・・・

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知事辞職…口は禍いのもと…だけど

2024年04月03日 | つれづれに

某県の知事さん辞職…言葉の災禍

テレビを見ていたらある県の知事さんが辞職する申し出 をしたとのこと……なんでも県の新入職員への挨拶、訓辞の言葉に差別的発言があったらしい。本人は悪意を含んだ発言とは認識しておられなかったんでしょうが受け取り方によっては仕事に貴賎をつけられたと感じるかも知れない。

あらゆる職種は関連しているからそれぞれ " 無いと困る " というところがあるので役割分担があるから区別…ととるべきなのかもしれないけれど やはり知事という社会的立場を考えて発言しないと問題視されるでしょうね。 

近年 ( 昔からあることだけど ) 政治家に軽率な発言が多いしなぁ……私が小学校に上がる前の話ですが、ある人が農業に従事している人を馬鹿にしたようなことを言ったのに対して私の叔父が激怒して " 百姓を馬鹿にしちゃいかんよ、米食ってるんだろう!" とたしなめたことを思い出した……私の父は職業軍人だったから戦争が終わって南方から帰国して公職追放で無職の時代が長くあって持っていた畑を田んぼに変えて米作りに従事していた時期が3年くらいあった…と母から聞いていた…こんなことまで思い出してしまった🤣🤣

" 口は禍のもと " だけども まあこれだけメディアが発達し過ぎると息苦しさを感じるのも事実です。息苦しさ=生き苦しさ にも通じる

 

 

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ジョン・ウェイン探究

2024年04月01日 | 西部劇映画

ジョン・ウェイン探究😅

 

これは2007(平成19)年に発売され、” 大人の映画ファンに贈る保存版映画誌 ” と銘打ったMOVIEという雑誌です。その時ジョン・ウェイン生誕100年ということで、” 今も愛される西部劇の王者 ” と題して彼に関する情報がよくまとめられていて、私は今でも時々開いてみることがあります。その中で1971(昭和46)年にジョー・マクナニーという人がジョン・ウェインにインタビューしたものが  ” John Wayne Talks Tough( ジョン・ウエイン激白とでも訳すのかな?)” という形で載っており興味をそそられます。

今や西部劇の王者ジョン・ウェインも化石になってしまいました……若い人たちは知らない人がほとんどになってしまって🤣 時代が過ぎるということはこういうことなんだろうな😁 昔 若い看護婦さんから " 先生、嵐( 歌のグループ)って知ってますか? “ と問われて “ 知らないよ、嵐だったら嵐寛寿郎なら知ってるけど!" と答えて " 何ですかそれ?" と言われて笑い合ったのと一緒ね🤣🤣  若い人は今のことには敏感、Old man は古い知識はあるけど新しいことには鈍感……時代はこれの繰り返し🤣

私は “ 自称 " 西部劇研究家と名乗っているのでジョン・ウェインは外せない……

1907(明治40)年5月26アイオワ州生まれ 映画界に入るきっかけは南カリフォルニア大学時代にアルバイトで道具係兼エキストラとして映画会社に関わったのがはじまりとか

初めての映画出演はエキストラ時代を含めるか否かで見解が分かれてはっきりいって不明かなといったところ?  西部劇だけに限ればこの本に載っているフィルモグラフィによれば “ Rough Romance “ という1930年の作品らしい…ただし端役🤣

今は驚くべきことに " 駅馬車 ( Stagecoach ) " 以前の沢山のB級 ( C級と言ってもよいくらい🤣) 西部劇が 安価なDVD-Box 4巻で発売されていてほとんど見ることができるようになっています……だからこれから先は古い西部劇作品を見ながら追いかけてくことにします🤣 

2024年1月14日の記事ですが能登地震の時で発表を控えていた時のもののひとつです・・・一定期間が過ぎたらまた元の位置に戻す予定

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