西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

2015(平成27)年さようなら

2015年12月31日 | つれづれに
               
平成27年の今年、私のつたないブログを訪ねてくださいましたたくさんの方々 大変有難うございました。今年も数多くの積み残し記事(未完成記事)が出てしまいました・・・・・残念ですけど、私のブログタイトル「 懐かしのカントリー&ウェスタン 」 は全て必ず音を聴きながらその歌手についての自分なりの思い入れや感想、唄の感想等を書く・・・・・という姿勢なのでなかなか時間がとれなくて進まないことが多いです。 知らなかった歌手でも経歴の羅列だけではなくて必ず自分なりの感想を入れたい・・・・亀の歩みでしょうが絶えることなく続けていきますので来年(平成28年)もよろしくお願いいたします
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草創期のThe Sons Of The Pioneers (3)

2015年12月09日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
  
The Sons Of The Pioneers の草創期(3) 
米国盤 American Folk Music  AFM-721 Sons Of The Pioneers : Coral & Decca 
(1)Way Out There (2)Tumbling Tumbleweeds (3)Kilocycle Stomp (4)A Melody From The Sky (5)Blue Bonnet Girl (6)So Long To The Red River Valley (7)Plain Old Plains (8)Kelly Waltz (9)If You Would Only Be Mine (10)Sierra Nevada (11)The River Of No Return (12)The Lilies Grow High (13)Lonely Little Room (14)Montana (15)Somebody Bigger Than You And I (16)Mystery Of His Way 
前回の続き・・・・ 
このアルバム(1回目に載せたLPレコードのことです)に収録されている曲群はリパブリック社のスタジオに収蔵されていた最初のリハーサル段階のものや、後年ロイ・ロジャースをフューチャーしてオーバーダビングした最終テイクの歌が含まれています。ある曲ではロイのソロ、別な曲では The Sons Of The Pioneers にロイ・ロジャースをフューチャーしたものになっていたりします。中にはわずかですがデイル・エヴァンスが含まれたカットもあります。スタジオ内のコメントがそのまま残されている録音盤があったり、失敗テイク(途中でやり直すシーンがそのままの形で収録されている)をそのまま収録したりしてライブの雰囲気があるものになっていたり・・・・・です。 
 
ティム・スペンサーのベスト作と言われている特別な曲 ”The Everlasting Hills Of Oklahoma ” が含まれていますし、コール・ポーター作の ”Don't Fence Me In ”、それに ”Tumbling Tumbleweeds ” も収録されています。”Cowboy Country ” と ”Ride 'Em Cowboy ” は牧場出の仕事やロデオを見たりしたりした経験がある者ならだれにでもアピールする曲です。 Johnny Mercer の非常に優れたヴァージョンで知られる ”I'm An Old Cowhand From The Rio Grande ” もまた A面に収録されています。 
”The Everlasting Hills Of Oklahoma ” は1946( 昭和21 )年11月8日公開のリパブリック社の西部劇 ”Home In Oklahoma ”のためにレコーディングされたもので、非常に美しいバラードで Tim Spencer のとても素晴らしい作曲能力を示す見本であるばかりか、それを表現するサンズ・オブ・ザ・パイオニアズの手腕と資質を感じさせるものになっています。 

”Don't Fence Me In ” は1930年代の映画 ”Adios Argentina ” のために Cole Porter が作曲したのですが 公開はされませんでした。1944(昭和19)年のワーナー映画 ”Hollywood Canteen ” の中でロイ・ロジャースの歌で紹介され、1945(昭和20)年のリパブリック社の映画 ”Don't Fence Me In ” の中で再度ロイ・ロジャースによって歌われました。そして1944(昭和19)年のヒットパレードでナンバーワンに輝き、以来カウボーイバンドが採りあげるスタンダード曲になっています。最近では(3人組の)カウボーイコーラスグループ Riders In The Sky のファーストアルバムの中のバージョンがあります。

ボブ・ノーランの秀作のひとつである ”Tumbling Tumbleweeds ”はロサンゼルスの荒涼とした吹きっさらしの日の午後に作曲されたものでした。はじめは ”Tumbling Leaves ” というタイトルでしたが、後年 The Sons Of The Pioneers によりマッチするように作り替えられて ”Tumbling Tumbleweeds ” となりました。 

”Cowboy Country ”と ”Ride 'Em Cowboy ” は共に Tim Spencer 作の曲です。2曲とも楽天的な風味をもっており、singing cowboy 時代の軽快な心温まる姿勢があって The Sons Of The Pioneers のベストの趣きがあります。 
Johnny Mercer 作の ”I'm An Old Cowhand From The Rio Grande ” は1936(昭和11)年にビング・クロスビーの歌で人気を博し、後に1943(昭和18)年公開のリパブリック社 西部劇 ”King Of The Cowboy ” の中でロイ・ロジャースによって披露されました。ここでのロイの素晴らしい歌が目立っており、同時にちょっとコミック風な雰囲気を持っているものです・・・・・・以上 Richard Hocuff という人が書いた解説の完訳です 
(H27.12/31記載)

<私のひとこと>
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草創期のThe Sons Of The Pioneers (2)

2015年12月08日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
 
The Sons Of The Pioneers の草創期(2) 
米国盤 MCA Records MCA-1563 Empty Saddles / The Sons Of The Pioneers
(1)I'm An Old Cowhand ( From The Rio Grande ) (2)Tumbling Tumbleweeds (3)A Melody From The Sky (4)One More Ride (5)Over The Santa Fe Trail (6)Westward Ho (7)Cajon Stomp (8)Empty Saddles (9)When I Leave This World Behind (10)Blue Prairie (11)Roving Cowboy (12)Blue Bonnet Girl (13)Kilocycle Stomp (14)Echoes From The Hills  

前回の続き・・・・・ 
カントリーミュージックがアメリカ中へ広がってゆく役割を果たしたのはラジオ放送局でした。地方ラジオ局がひしめき合って競合している地域をたくさん抱えているロサンゼルスも例外ではありませんでした。南カリフォルニアのミュージシャンの数はすごいといえるほどではなく、その技量・質も一部例外を除けばそれほどではありませんでした。ただ、十分な意欲と洗練さをもったバンドであれば確実に成功を収めることが出来たし、実際 Roy Rogers、Tim Spencer、Bob Nolan のトリオも確実に成果を収めつつあるのでした。 
 
Bob Nolan の卓越した Song writing によってトリオはほとんど他の競争相手を凌駕しつつありましたし、最終的にはロサンゼルス地区での成功を達成したのでした。The Trio はハードワークと一生懸命さだけが成功への鍵であることを悟って、1週間に7日、1日に8~12時間も活動することにしたのでした。トリオが自分達のトレードマークである Harmony yodeling を形作ったのもこの時期でした・・・・・それ自体は素晴らしいヨーデルを歌うロイ・ロジャースの創意テーマに基づいているものだったのです。 
 
1933(昭和8)年12月初めにグループは活動を始める決断をし、ロイのロサンゼルス地区でのコネを利用して 当時 KFWB 放送局と契約を結んでいた The Texas Outlaws と称する有名バンドの一翼を担うことになったのでした・・・・・。しかしながら、3人はすぐにそのバンドの中では自分達の独創的なカラーを発揮できないことに失望感を感じはじめたのですが、幸いなことにトリオの優れたアレンジメントを気に入ってくれる人達がいて その危機的状況をとりなしてくれて KFWB局の経営者側に注意を促してくれた結果 グループは自分達のショウを持つことができるようになったのでした。 
 
1934(昭和9)年3月にロイ・ロジャース、テイム・スペンサー、ボブ・ノーランそれに新しく加入したフィドラーのヒュー・ファーからなるラインナップが揃ったのです。ヒュー・ファーの華麗なフィドル演奏テクニックがトリオの素晴らしいボーカルに添えられてグループは今や目標近くまでに達していました。1935(昭和10)年の中頃には音楽的にさらなる熟練度をめざしてヒューの弟 Karl Farr を加入させます。カール・ファーはヒルビリー、ジャズ、クラッシク等(幅広く)に基礎をもつスタイルの優れたギター奏者でした。 
 
Singing Cowboy の時代に The Sons Of The Pioneers が映画界に進出するのは驚くにあたらない当然の成り行きのことでした。正確にはグループは1935(昭和10)年10月に Liberty 映画社の ”The Old Homestead ” という映画に初めて出演しています。その後すぐにコロンビア映画のチャールス・スターレット主演の2本の映画 ”Gallant Defender ”と ” Mysterious Avenger ”に出演。ノーランとスペンサー作曲の曲が色々な B-Western 映画に散見されるようになり、グループのあまたの映画出演に抱き合わされる形で The Sons Of The Pioneers はアメリカ国内に名声を轟かしていったのでした。 

ジーン・オートリーのリパブリック映画社との軋轢(あつれき)問題があって、その後にロイ・ロジャースが同社に雇われたことはよく知られており周知のことです。ロイ・ロジャースがパイオニアズを去ると Bob Nolan、Farr 兄弟、Lloyd Perryman、Pat Brady というラインアップになりました。ロイド・ペリマンは Tim Spencer が1937(昭和12)年に長い休止期があった時にその代役として加入した人で、Pat Brady はロイ・ロジャースの代わりに入団した人です。 Pat Brady の声がトリオのボーカルに合わなかったことで Tim Spencer に復帰するよう求められて Tim が再加入したのでした。ロイ・ロジャースのリパブリック映画社時代の多くの作品で歌ったのは基本的にこのメンバーでありました。

The Sons Of The Pioneers の成功は大部分はロイ・ロジャースの夢と Bob Nolan と Tim Spencer の卓越した作曲能力とアレンジメントに依っています。Bob Nolan はしばしばバンドを牽引する立役者として Tim Spencer のことを立てていました。しかし、Bob Nolan と Tim Spencer が共作者として揚げられる曲がごくわずかしかないーというのは驚くべきことです。実際は多くの曲を共作しているのに 二人は作品の大半を担ったと感じる方に全ての権利を譲っていたからということなのです・・・・・・(H27.12/30記載)次回へ続く 

<私のひとこと> 今日のレコードジャケットのメンバーは前から順にTim Spencer、Bob Nolan、Roy Rogers、 Hugh Farr で、極く初期の The Sons Of The Pioneers です。下に掲げた写真はもっと後年のメンバーになりますが前方の白いハットが Ken Curtis、その上から時計回りに Karl Farr、Hugh Farr、黒いシャツの Tommy Doss、Lloyd Perryman、右側に座っているのが Shug Fisher です。日本にも彼らの名前がスイスイと出てくるくらいに好きな人が出てくるといいなあ
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草創期のThe Sons Of The Pioneers (1)

2015年12月07日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
  
The Sons Of The Pioneers  の草創期 (1) 
米国盤 Varese Records 81212 Roy Rogers & The Sons Of The Pioneers / The Republic Years 
(1)My Saddle Pals And I (2)Silver Stars, Purple Sage, Eyes Of Blue (3)The Everlasting Hills Of Oklahoma (4)Rainbow Over Texas(5)My Adobe Hacienda (6)Cowboy Country (7)I'm An Old Cowhand (8)Medley・・・Springtime In The Rockies~Tumbling Tumbleweeds~Highways Are Happy Ways (9)Mexicali Rose (10)Git Along Little Dogies (11)Don't Fence Me In (12)Utah Trail (13)The Cowboy Jubilee (14)Ride 'Em Cowboy (15)Lights Of Old Santa Fe (16)It's An Old Custom (17)Ride Ranger Ride (18)The Lonesome Cowboy Blues (19)Red River Valley (20)On The Old Spanish Trail  
 
年の瀬も押し迫ってきて今年の最後を何で飾ろうかな・・・と考えていました。1年すぎるのて早いなあ、あれも載せたいこれも載せたいと希望は限りなくあっても仕事の忙しさに時間ばかりが流れ去っていく感覚が強いです。年の瀬は ” 懐かしの~ ”ではハンク・ウィリアムスかなぁ・・・・・と思ったけれど秋から冬にかけてのカウボーイ・ソング(特に秋)は自分的には合っているように思っているので大好きなサンズ・オブ・ザ・パイオニアズにしました。 遠い昔の話です・・・・・ 
往年のアメリカのカウボーイ コーラス グループ 「 ザ・サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ 」 については今はドイツの Bear Family Records 社から大部の CD-Box 集が数巻出されているのでその詳しい解説書をみると歴史がわかります。今回のレコードにはちょっとした小伝が載っていますので今年の締めとして省略せずに3回に分けて訳して載せることにしました。 私が思い入れの深い大好きな The Sons Of The Pioneers についてですのでいろいろ自分なりの補足や写真を入れました、これからの若い世代の人たちに The Sons Of The Pioneers のことを少しでも興味を持ってもらえればなあと思っています・・・・・・以下解説訳 
 
1934(昭和9) 年に 南カリフォルニアでは有名な The Pioneer Trio という名前のバンドがロサンゼルスにあるKFWBラジオ放送局の番組に出演準備をしてひかえていました。The Pioneer Trio はこれまでも時々KFWB局で演奏したり、局のスタジオミュージシャンをつとめたりしていたのでしたが、今回のショウは彼等にとって特別な出来事となったのでした。トリオの素晴らしいボーカルとヨーデルのハーモニーに補う形で素晴らしいフィドル(カントリースタイルのバイオリン)伴奏をつけてくれるフィドラー(= Fugh Farr )が加わることで 自分たちの努力を発展させたいという長年の希望がとうとう実を結んできたのでした。The Pioneer Trio はこれまでにも確固とした人気を得てきておりましたので、KFWB局のアナウンサー Harry Hall が自分達のことを The Pioneer Trio ではなくて The Sons Of The Pioneers と紹介したのを聴いた時には驚きを( 原文では shock と表現 )隠せませんでした。 The Pioneer Trio の4人( ボブ・ノーラン、ティム・スペンサー、レナード・スライそれに新加入のヒュー・ファー )の怪訝そうな表情が想像できますね、ショウが終わってから Harry Hall へ激しく抗議したのです。なぜ The Pioneer Trio ではなくて The Sons Of The Pioneers と紹介したのかについて Harry Hall の失言ではないか-と問い正して説明を求めたのでした。すると Harry Hall は、君達トリオは厳密には開拓者ではなくてその次の世代 つまり ” 開拓者の息子達(the sons of the pioneers)” だから The Pioneer Trio は明らかにふさわしくない名前だと感じたからそう紹介した-と説明したのでした。  Hall の説明をじっくり聴いてみると なるほどもっともなことでそちらの名前の方がふさわしいと感じて、The Pioneer Trio から The Sons Of The Pioneers という名前にすることに決めたのでした。

グループは主に Leonard Slye ( またの名を有名な Roy Rogers という)の独創性にありました。ロイ・ロジャースは1930年代初期にオハイオ州からやってきて以来 急成長する南カリフォルニア カントリーミュージック界の一分子であり続けました。彼はロサンゼルスを本拠とする The Rockiy Mountaineers というバンドのギタリストとしてキャリアをスタートさせています。ロイは競争の激しい地方のカントリー&ウェスタン界で張り合っていくためには一流ボーカリストのトリオを結成することだ-と心に決めていました。 当時は、ほとんどのカントリー( 時としてヒルビリーとも呼ばれた )のバンドが実際は楽器演奏(=instrumental)だけのものでしたし、The Rocky Mountaineers もそうしたバンドでした。ロジャースは説得に説得をかさねた末に自分以外のバンドメンバーを言い含めたり説得したりしてひとりの歌手のオーディションにこぎつけることが出来たのです、その人こそ類いまれな歌手ボブ・ノーランだったのです。こうして 後年成長してくる The Sons Of The Pioneers への萌芽の種が撒かれました。 
 
The Rocky Mountaineers 内の意見の食い違いからすぐにボブ・ノーランはバンドを去ることになり、ボーカルトリオをそのままの形で維持したかったロイ・ロジャースはノーランの後釜にティム・スペンサーを雇い入れました。ロイ・ロジャースとティム・スペンサーそれにロイ・ニコルス(=この人は Bob Nolan の友人で、トリオのオリジナルメンバーの一人です。ただ後年の The Sons Of The Pioneers のメンバーにはなっていません )もまた The Rocky Mountaineers を辞めてしまって それほど有名ではない Bennie Nawahi's International Cowboys に入団して演奏活動を続けたのですが、この試みは短期間しか続かず、Roy Rogers、Tim Spencer 、Roy Nichols の3人は新たな活動のために The O-Bar -O Cowboys というバンドを結成しました。そのバンドが行なったテキサスでの演奏ツアーは全て失敗に終わり、バンドとしての創造性・経済性の両面で破綻してしまい、ロサンゼルスに帰ってくるなり3人は分裂してしまってそれぞれの道を歩んでいくことになったのでした。 
 

The O-Bar-O Cowboys の分裂から1ヶ月もしないうちにロイ・ロジャースは新たな singing cowboy trio 結成を試みます。控えめな振る舞いの割りに事業家としてやり手のロイ・ロジャースはさっそく Tim Spencer を探し出してきて 二人で Bob Nolan を上手く説得してもう一度ボーカルトリオに挑戦していったのでした・・・・・・・(H27.12/26記載)
次回に続く

<私のひとこと>・・・
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デルモア・ブラザーズ(3)

2015年12月01日 | 懐かしのカントリースター
 
The Delmore Brothers (3) 
日本盤 ビクター VIM-4017 The Delmore Brothers / Alton And Rabon Delmore
(1)Silver Dollar (2)There's Trouble On My Mind Today (3)Old Mountain Dew (4)In The Blue Hills Of Virginia (5)Make Room In The Lifeboat For Me (6)Gathering Flowers From The Hillside (7)She Won't Be My Little Darling (8)Will You Be Lonesome Too? (9)Precious Jewel (10)Gospel Cannon Ball (11)I Now Have A Bugle To Play (12)Last Night I Was Your Only Darling (13)Baby Girl (14)I Wonder Where My Darling Is Tonight?
前回の続き・・・・ 
 一見矛盾しているようですが、兄のアルトンは気むずかしい性格で気性が激しく、うつの傾向があった反面、優しく紳士的な男でもありました。弟のレイボンは人の好い性格でしたがとてもシャイで片方の目が斜視だったせいか人目を気にするようなところがありました。二人ともとても信仰心の厚い人間でした。アルトンは Athens 出身の Thelma Neeley と結婚し、弟のレイボンはテネシー州 Carthage 出身の Nola King と結婚、レイボンは死ぬすこし前には離婚していました。 
 
アルトンの ”Gonna Lay Down My Old Guitar ”という曲は暗く内省的な雰囲気を持っており、厳しい巡業公演の生活から一息入れる-といったような( 息抜き的 )内容になっています。夫婦間のいざこざはしょっちゅうで、デルモア・ブラザーズのレパートリーには報われなかった愛の唄が目立っており、それを説明をしたような唄、例えば ”Broken Hearted Lover ”、”Til The Roses Bloom Again ”、”Honey I'm Ramblin Away ”、”Don't You See That Train ”といった曲にトラブルから逃れる姿勢が示されているように思います。また、” Fugitive's Lament ”という曲などはアルトン自身が法の目から逃げる西部のアウトローになったようなイメージを思わせるものになっています。 

アルトンはテナーギターのリードに乗ってデルモア・ブラザーズの多くの曲を作曲しました。このアルバムに収録されている曲の半分以上は弟レイボンが弾くきれいなテナーギターピッキングがフューチャーされています。アルトンは1000曲以上も作曲している多産のソングライターでしたし、小説をも書いていました。自分の死に際して自叙伝を書きつつあったのでした。 
 
レイボンも兄同様に有能な作曲家で百曲以上の自作曲を持っていました。The Delmore Brothers の全盛期には13のラジオ放送局にレギュラー出演をもち、37州にわたって公演を行なっていました。、兄弟のデュエットとしてはメジャーレコード会社に400曲以上のレコーディングをし、それに加えて The Arthur Smith Trio のメンバーとして Fiddlin' Arthur Smith とレコーディングもしています。 Uncle Dave Macon のレコーディングにも付き合ってバック演奏を務め、時々は Merle Travis, Grandpa Jones, Red Foley 等とゴスペルカルテット The Brown's Ferry Four としてのレコード録音を残したのも輝かしい経歴です。 
 
スターと呼ばれる人達のほとんどは全盛時代と忘れ去られていく時があるものですが、デルモア・ブラザーズに限ってはそうではありません、Alton と Rabon Delmore のことは何年にもわたってカントリーミュージックファンの記憶の中に輝き続けているのです。The Delmore Brothers は繰り返し Country Music Hall Of Fame にノミネートされてきました、そして1971(昭和46)年に彼等は Nashville Songwriter's Hall Of Fame に選出されたのでした。   -Bill Harrisonー  という人の文章でした

<ひとこと> 3回に分けて載せましたデルモア・ブラザーズの解説訳でしたが、兄弟のレコーディング歴が詳しくは載っていません。1回目のレコードに1933~1941年となっているので彼等の初期の頃に当たるんでしょうが、全盛期は2回目に乗せた写真の King レコード時代にあるんだと思います。今回のLPレコードはデルモア・ブラザーズとしては珍しいデッカレコード時代に当たるようで日本で発売になったこと自体が稀有なことだったんだと思います。 聴いての感想は後日に書く予定・・・なお、デルモアブラザーズのCDは外国ではけっこう出されているようなんですが日本盤CDは見たことがありません。私はCDを全く持っていないので何とも言えませんがこれから聴いてみたいという人にはやはりCDの方がいいんだと思います
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