年の瀬を迎えた去年12月25日、鉄鋼業界紙の一面を見た流通加工業の関係者は一様に驚きを隠せなかったはずです。独立系のI社とT社のグループ化の記事でした。「I社とT社、戦略的パートナーシップで合意」「I社とT社が提携」。業界紙によって表現は違いますが、二つの企業が事業継承で新体制を構築したことを報じていました。オーナー企業同士だけでの統合は中々難しいとされますが、二社はそれを果たしたのです。
わが社は21年前、メインの販売先の会社が破綻して(手形不渡り事故を起こし)、結果その事業を継承しました。正確にいえば破綻ではなく、その取引先の社長は会社の先々に明るさを見出せず、経営を放棄した可能性が大である。私は後にそう思うようになりました。仕入先の商社の担当者は、「梶哲さんが行ったことは、企業M&Aだったのではないですか」との見解を示しました。
改めてM&Aとは、Mergers(合併)とAcquisitions(買収)の略です。二つ以上の会社が一つになったり、ある会社が他の会社を買ったりすることです。企業または事業の全部または一部の移転を伴う取引を指し、一般的には「会社もしくは経営権の取得」を意味します。M&Aと聞くと、以前は外資系企業が日本の会社を乗っ取るイメージもありましたが、近年は国内の中小企業の戦略の手段としての意味合いが強くなってきています。冒頭の二社の統合は、勿論M&Aによるものではありません。
わが社が行ったことが結果的にM&Aだったのかは、次回以降で検証してみようと思います。会社は価値を創造しながら、永続のための事業継承が最大の課題です。取引先や従業員のことを考えると、突然の破綻は社会的な問題となります。T社は長年後継者(不在)問題を抱えていました。「一番大切なのは社員たち」と、T社女性社長は常々公言していたそうです。事業継承で新体制を構築した大きな要因にそのようなものがあり、記事から二社の背景や実情を詳しく見てみます。
I社はレーザ加工業で、資本金5000万円、従業員130人、売上高32億円の会社。T社はコイルセンター・ブランキング加工業で、資本金4500万円、従業員56人、売上高84億円の会社。具体的な統合策としては、持ち株会社を立ち上げ、その傘下にそれぞれの社名は残し、両社を対等な立場で配置する。しかし、その持ち株会社の社長はI社社長が就任。先々はT社のトップもI社社長が兼任し、T社社長は会長として後方支援にまわる。
両社は共に浦安鉄鋼団地に立地し、薄板から中厚板加工を手掛ける点で共通している。片やレーザ、片やブランキングプレス(欄外注釈)を得意とし、それぞれの分野で長年のキャリアを蓄積。難易度の高い技術力と独自のノウハウを有し、その市場認知度も高い。更に両社は材料売買や加工委託で十数年来の協力関係にある。特に加工面では、コイルブランキングでは非効率な昨今の少量多品種オーダーをI社のレーザ加工に外注委託するケースも多かった。
以上が記者会見の主旨ですが、更に業界紙の解説にはこうあります。「きっかけはT社からの提案だった。I社へは、何と8年前からのアプローチである。T社の社長は2004年秋に50歳となり、先代創業者から引き継いで20年になっていた。跡継ぎの最有力候補だった長男がグラフィックデザイナーとなり、後継を選ぶ過程で一時は社員を抜擢する道も考えたが、あまりにも重責と思い、この重大な決定をイチから再考せざるを得なかった。T社社長は日頃から『従業員の未来と幸福が私の使命』といってはばからず、そのためにも大資本などによるM&Aのような形態は視野に入れず、『より個人的で意味ある方法で事業継承を選択する』に徹してきたのであろう。一方、I社社長はその提案を何度も丁寧に断ったが、その熱意にほだされ快諾したのが2年前。最終的に提案を受け入れたI社社長の度量の大きさも察せられる」。
わが社はI社とは取引があり、T社とは業界団体で見識があります。今回の決断は、二人のオーナー経営者らしい判断と私は受け止めています。この統合はI社にとっても青天の霹靂だったと思いますが、同社長はT社社長をある時点から自分を見ているように思ったに違いありません。戦後、苦労があっても自由奔放に創業できて、高度成長時代に則して成功した両父親の存在があって、成熟社会に時代は変わって、会社の経営について山積する問題に対処しつつ、のしかかる企業の後継問題については、いつしか二人は危機感を共有したのではないでしょうか。
今回のような事業統合は私利私欲から離れなくては実現しません。M&Aは、譲渡する経営者は会社への思いは残しつつ、ある意味数字で割り切れるかもしれません。 ~次回に続く~
注釈:金型を造りプレス機で連続的に薄鋼板を打ち抜いていく加工法。素材にブランク(空白)ができ、残った物が製品となる。

わが社は21年前、メインの販売先の会社が破綻して(手形不渡り事故を起こし)、結果その事業を継承しました。正確にいえば破綻ではなく、その取引先の社長は会社の先々に明るさを見出せず、経営を放棄した可能性が大である。私は後にそう思うようになりました。仕入先の商社の担当者は、「梶哲さんが行ったことは、企業M&Aだったのではないですか」との見解を示しました。
改めてM&Aとは、Mergers(合併)とAcquisitions(買収)の略です。二つ以上の会社が一つになったり、ある会社が他の会社を買ったりすることです。企業または事業の全部または一部の移転を伴う取引を指し、一般的には「会社もしくは経営権の取得」を意味します。M&Aと聞くと、以前は外資系企業が日本の会社を乗っ取るイメージもありましたが、近年は国内の中小企業の戦略の手段としての意味合いが強くなってきています。冒頭の二社の統合は、勿論M&Aによるものではありません。
わが社が行ったことが結果的にM&Aだったのかは、次回以降で検証してみようと思います。会社は価値を創造しながら、永続のための事業継承が最大の課題です。取引先や従業員のことを考えると、突然の破綻は社会的な問題となります。T社は長年後継者(不在)問題を抱えていました。「一番大切なのは社員たち」と、T社女性社長は常々公言していたそうです。事業継承で新体制を構築した大きな要因にそのようなものがあり、記事から二社の背景や実情を詳しく見てみます。
I社はレーザ加工業で、資本金5000万円、従業員130人、売上高32億円の会社。T社はコイルセンター・ブランキング加工業で、資本金4500万円、従業員56人、売上高84億円の会社。具体的な統合策としては、持ち株会社を立ち上げ、その傘下にそれぞれの社名は残し、両社を対等な立場で配置する。しかし、その持ち株会社の社長はI社社長が就任。先々はT社のトップもI社社長が兼任し、T社社長は会長として後方支援にまわる。
両社は共に浦安鉄鋼団地に立地し、薄板から中厚板加工を手掛ける点で共通している。片やレーザ、片やブランキングプレス(欄外注釈)を得意とし、それぞれの分野で長年のキャリアを蓄積。難易度の高い技術力と独自のノウハウを有し、その市場認知度も高い。更に両社は材料売買や加工委託で十数年来の協力関係にある。特に加工面では、コイルブランキングでは非効率な昨今の少量多品種オーダーをI社のレーザ加工に外注委託するケースも多かった。
以上が記者会見の主旨ですが、更に業界紙の解説にはこうあります。「きっかけはT社からの提案だった。I社へは、何と8年前からのアプローチである。T社の社長は2004年秋に50歳となり、先代創業者から引き継いで20年になっていた。跡継ぎの最有力候補だった長男がグラフィックデザイナーとなり、後継を選ぶ過程で一時は社員を抜擢する道も考えたが、あまりにも重責と思い、この重大な決定をイチから再考せざるを得なかった。T社社長は日頃から『従業員の未来と幸福が私の使命』といってはばからず、そのためにも大資本などによるM&Aのような形態は視野に入れず、『より個人的で意味ある方法で事業継承を選択する』に徹してきたのであろう。一方、I社社長はその提案を何度も丁寧に断ったが、その熱意にほだされ快諾したのが2年前。最終的に提案を受け入れたI社社長の度量の大きさも察せられる」。
わが社はI社とは取引があり、T社とは業界団体で見識があります。今回の決断は、二人のオーナー経営者らしい判断と私は受け止めています。この統合はI社にとっても青天の霹靂だったと思いますが、同社長はT社社長をある時点から自分を見ているように思ったに違いありません。戦後、苦労があっても自由奔放に創業できて、高度成長時代に則して成功した両父親の存在があって、成熟社会に時代は変わって、会社の経営について山積する問題に対処しつつ、のしかかる企業の後継問題については、いつしか二人は危機感を共有したのではないでしょうか。
今回のような事業統合は私利私欲から離れなくては実現しません。M&Aは、譲渡する経営者は会社への思いは残しつつ、ある意味数字で割り切れるかもしれません。 ~次回に続く~
注釈:金型を造りプレス機で連続的に薄鋼板を打ち抜いていく加工法。素材にブランク(空白)ができ、残った物が製品となる。






まあ簡単に言うとシナジーということで
1+1=2 だけではなく
1+1=3 という世界を
数理的に表現しようとしたもののように受け止められる。人事制度なんかへの応用できないかな。