梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

元役員との邂逅(その2)

2018年04月07日 05時37分40秒 | Weblog
取引先で破綻した会社を、一週間弱で精査してもらっての常務の結論は、わが社がその事業を引き継いで勝算はあるとのことでした。その事業の採算や将来性を常務は洗い直し、私は最終判断を下すだけです。この時に常務が行ったのは、実態を調べ尽くし上申する、商社で培われた任務であると私は感じました。

そしてわが社は、長年の鋼板販売事業の他に、新たな加工事業に進出する決断をします。その後は決して順風満帆ではなく、それからがむしろ苦難の本番でした。金融債務を切り離し、一般債権者であるわが社がその経営者と結託して会社の再生を計ったと、そこのメインの銀行からは詐害行為だと訴えられました。係争は半年以上にも及びます。

また、その会社の従業員をほぼ全員わが社で再雇用したので、賃金体系や社風まで異なる有り様でしたので、調整には数年を費やすこととなります。しかし現在この事業はわが社の大黒柱となり、厚板流通で生きていく為に必要不可欠な機能となり、加工事業が無ければ、今日の梶哲商店の存続はなかったと言っても過言ではありません。

わが社はオーナー会社であり社員も多くありません。最低限の会社の規約や規定はありましたが、未整備のものも多く、常務はわが社に見合った規約規程を完備してくれました。嫌われ役を買って出て、幹部社員の指導や教育についても力を尽くしてくれました。
  
メーカーから商社を窓口とし材料を仕入れるにしても、買う側の立場からだけの交渉で、売る側がわが社をどうみているかは中々理解できません。その視点において、商社に在籍していた常務の見解は、大いに助けられました。会社経営にしても何か新たに事を行う上でも、常務は私の参謀として更に補佐役として支えてくれました。

溶断加工事業も何とか順調に回るようになり、前の会社から引き継いだ八街工場も浦安に集約した段階で、体力や気力の限界を感じたと常務は10年前わが社を退職されます。第一線を退いて、それ以上に本来ご自身でやりたいこともあったようです。

もとより常務は無類の読書家です。歴史、哲学、思想、宗教、経営等々、ジャンルを問わず読書を通して学んでこられました。時間があったら、喫茶店やファミレスで2時間でも3時間でも本を読むことを楽しみにされていました。

わが社を退職された後、江戸川区が主催する地域貢献を志す人々を応援するための、総合人生大学に通われました。またその後は一般の大学の通信教育部に入学され、単位も取って、見事に卒業されました。それから暫くして、筋肉が萎縮する難病に罹ってしまい、通院や退院を繰り返されます。

退職後の常務とは定期的に逢っていましたが、いつまでもわが社のことを気に掛けて下さいました。病気は回復せず、お一人で外出も出来なくなり、奥様も仕事をされていますので、一時期は介護施設に入所していました。最後に電話でお話をしたのは亡くなられる一ヵ月前のことでした。結局その筋肉萎縮は肺癌が原因だったようです。

邂逅(かいこう)とは予期しない必然的な出逢い・巡り会いと言いますが、「人生で逢うべき人には必ず逢わされる。それも一瞬たりとも早過ぎもせず、遅過ぎもせず」「人の運命は邂逅によって変わる」と、今は亡き教育者森信三氏は言っています。

振り返ってみると、常務とは「なぜこの時に、この人と」と思うような不思議な出逢いでした。私の人生を大きく変え、わが社をも変革させたのは、常務との出逢いによります。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 元役員との邂逅(その1) | トップ | 他人の視点とは »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事