梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

双方向の情報共有(その1)

2021年05月08日 04時49分45秒 | Weblog
会社において「教育」とか「指導」という言葉は、ごく普通に使われます。社長は社員に対して、むしろ無意識に使っています。この言葉を少し分かりやすく、強い口調に置き換えるなら、「私の考えを理解していないので、教育します」「あなたの間違っているところを、指導します」と、なるでしょう。

『職場の教育』とのタイトルの小冊子を、知人から何回かもらうことがあります。会員数も多く全国的な組織で、ある社団法人が毎月刊行しているものです。この団体は、経営者の自己改革を目指し企業を活性化する目的で創設されました。社員に対し社会人としての行動指針を示し、人間関係での心の持ち方に対処するため、この冊子は朝礼で活用されているようです。

私は、その団体の主旨や冊子内容に批判的なのではありません。しかし「教育」とか「指導」の言い回しに隠されている真意を、掘り下げてみる必要を感じています。リーダーの判断や考えが絶対ではありません。リーダーは、「自分は正しい」との固定観念に陥りがちです。それが根底にあることも疑わず、抵抗も無く言葉を使っている点に問題があると思います。

“三国志”とは、中国の後漢・三国時代(184~280)に中国統一をめざし群雄割拠していた興亡史をまとめた、書物の名称になります。三国とはいうまでもなく魏・呉・蜀のことで、魏の曹操や、蜀の劉備や諸葛亮などは日本にも馴染み深い人名で、戦史を通しリーダーの哲学や在り方を人物中心に書かれたものです。時代や国を超えて、現代のリーダーシップ論として学ぶヒントが凝縮されています。 

諸葛亮は力で抑えることの限界を知っていて、無理強いするのではなく気付かせることで、蜀の国の中での内乱者や異民族を平定しました。「心を攻める」ことで、つまり相手にやましさや憐憫の情を抱かせ、戦意を失わせ心腹させ、味方に引き込んだといわれます。また諸葛亮は組織内でも、力の劣る者であってもそれなりに活かし、誉れ高い優れたリーダーとして後世に語り継がれています。

話題は変わりますが、孫娘のことです。二歳半になる孫娘が母親(私の次女)に連れられて、連休中に数日間、私達の実家に来ていました。彼女は、大よその会話はできるようになりました。食事の時は私の隣に座るので、こちらの都合や気分で彼女に介在するのではなく、しばらくはじっと観察ながら、私に問い掛けがあったら応えていました。するとある時から、私の手を触ったり私にちょっかいをかけてきたりするようになりました。

家内は「孫娘は犬より猫だね」といいます。犬は社会性を持ち群れる習性があり、フレンドリーで個人や家族に従属する傾向で、独りで過ごすことは苦手で、自分が注目されることに強い欲求を持っている。対照的に猫は孤独な狩猟型で、よそよそしさすら感じるが、相手にしてくれる人も認識していて、犬ほどではないが時間とともに飼い主に深い愛着を持つようになる。私は犬も猫も飼ったことはありませんが、調べてみるとそれぞれの特性が分かり、家内はそのような違いを言っているのです。

動物の習性はともかく、人間の大人からみれば、孫の年齢では知恵は劣ります。それだけで明らかに上下関係がついてしまいます。しかし目線を同じくしなければ、孫が発している情報は入ってきません。それも孫が私に関心を持った時に、私が反応を示さなければ、孫の心が開かないものだと今回感じました。孫から教わることも多くあります。

優れた武将の例にしても幼い孫の例にしても、共通点は、双方向の情報共有ではないでしょうか。相互の情報を交換するならば、まして心を通わせるのであれば互いにフラットの位置にいなくては難しい、とそのように思いました。会社において、一方的に上から下に諭そう・伝えようとする「教育」とか「指導」は、どうしても無理があると言わざるを得ません。わが社での具体論について、次に少し触れてみます。  ~次回に続く~
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