梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

書き続けること(その4)

2023年05月13日 05時58分21秒 | Weblog
コラム天声人語に、村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』についての記事が載りました。「新作を読んで感銘を受けた。新人時代から40年を経て、ついに決着をつけたのだと。壁と影が主題の同作のもとは、デビュー翌年の1980年に文芸誌で発表した中編『街と、その不確かな壁』だ。だが内容に納得できず、書籍化もされなかった。85年の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で一部取り込んだが、終止符は打てなかった」。天声人語を今回担当したコラムニストは、大学時代からこの中編を知っている、村上さんのファンのようです。

「今回珍しく付けたあとがきで村上さんは、あの中編が“喉に刺さった魚の小骨のような”存在で、書き直せて“ほっとしている”と書いた。コロナ禍が始まったころに着手し、3年かけて完成させたという。改めて両作品を読み比べてみると、40年間で書き上げた物語の完成度に時の流れを実感する。新人時代の後悔も、無駄にならないと思える。小骨を忘れず挑戦し続けることができれば、の話しだが」。こう、コラムは結んでいました。

村上さんにとって、長年この中編は体内からすっきりと吐き出せない、未完で心残りの作品だったのです。他の新聞紙面では、「書きたいものを書けるだけの力がつき、書き直すべき時期が来た」と自ら語っています。40年間心の壁を抜けだす自分をずっと信じていたととれます。見方を変えれば、プロの作家でも40年間は書けないものは書けないともとれます。

レベルは低いですが、私の喉に刺さる小骨です。その私の喉の小骨は、このブログを書き終わり、そして都度解消しますが、毎週繰り返すことになります。でも、自ら書き続けてきたブログです。単に苦しみから逃れるためだけに書き終えているのであるならば、意味はありません。では私にとってこのブログはどのような存在なのか、です。

大学の現場でチャットGPTの問題点が取り沙汰されています。学生の論文などでチャットGPTを使って書くことは、剽窃(ひょうせつ)や盗用の疑いもあり、大学教育の危機といえるとの見方です。教授も生成AIが使用されているかどうかの判断がつかなくなることもある。一方、学生が多くの時間を費やしてきた調査、検索、形式を整えることをAIに任せ、論文の中身の充実に集中できる。そのような見解もあります。

賛否は分かれますが、「AI時代はもう後戻りできない」が大勢のようです。一律な利用禁止は何も生み出さず、文章の生成や相談事など実に多彩な使い方ができ、アイデアの創造や効率化などの点で極めて有用性が高いのがAIである。しかし、出力をうのみにせず、長所・短所を理解した上で利用することが大切であり、自分で考えることなしに答えのみを教えてもらう用途には利用すべきではない。人間がAIの一段上に立てとのことです。

使えたとしてもチャットGPTを使用しないと決め、書き続けようとする、改めてこのブログはどのような意味があるのでしょうか。先に示したように、やはり「自分で考えることなしに答えのみを教えてもらう用途には利用すべきではない」のです。他者の意見を取り入れ、自らの体験も生かし、正しい物事の捉え方や考え方を探究する。その視点でブログを書くことに、意味があると思います。

新陳代謝を繰り返し日々変化できる可能性を持てることは、人間の特性でもあります。その為には、インプットは欠かせません。そしてアウトプットも必要です。村上春樹さんは「小説家は肌で感じたものを書くのであって、考え過ぎると書けない。頭に情報を入れておいて、それを変容させて書くのが小説だと思う」と語っています。自分の頭で温め生成せよ、自らコンピューターになれとのことです。 

17年を振り返って、ブログがあったから、色々なことに興味が持て私の行動の原動力になったことは確かです。投稿が1000回を迎えるのは二年後です。ブログを通して、これからも自分と向き合っていきたいと思います。

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