梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

葛西の地その1

2006年08月07日 11時10分50秒 | Weblog
自宅から海までは約一キロ程、小学校の遠足でも潮干狩り行ったことがあります。牧場が直ぐ自宅の裏手にあり、あの独特な臭いはありましたが、牛の声が聞こえのどかな感じが漂っていました。家の前にはきれいな小川が流れ、ザリガニや小魚などもよく取れました。小川のすぐ脇には海苔が干してあり、秋には稲が実り、蓮田も多くレンコンもよく収穫されていました。

これは私が小学生の頃の地元の様子です。しかし私は田舎に住んで居た訳ではありません。

これは正真正銘、東京都の話しです。そうなんです、江戸川区葛西の昔です。46年前、昭和35年7月わが家は、隣の江東区亀戸から引っ越して来ました。私が小学校の3年生の時でした。

当時葛西の地は、陸の孤島とか東京の片田舎と言われたほど、交通は不便でした。代々続いた農家はそこそこありましたが、所謂一般の住宅や会社・工場など殆どと言っていい位在りませんでした。

亀戸第二小学校から、葛西第一小学校に転校しましたが、そこの卒業生はほぼ全員隣の葛西中学に進学する時代でした。亀戸は既に都会で、進学受験についても熱心な文教地区でした。

その葛西小学校への編入は3年の二学期からでしたが、そこで最初にビックリしたのがクラス男子は全員が長ズボン、半ズボンは私唯一人でした。

他にもカルチャーショックは色々有りました。反対に受け入れる側も、都会から変なやつが来てと違和感はあったのでしょうが、幸いにもいじめには遭いませんでした。いじめの概念がまだ無かったのでしょうか。
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1 コメント

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葛西 (uchida)
2006-08-08 07:18:35
梶社長は葛西で育たれたのですね。それはちなみに初耳でした。ずっと市川だと思ってましたので。。

うちの娘も来春に葛西小学校に進学します。隣が葛西中学校ですから、社長が通っておられた葛西第一小学校というのは今の葛西小学校かと思いますので、娘が後輩になるのも奇妙な縁ですね。

私が住んでいるこの辺も、今でも長島村とかおっしゃるご年配の方も多いのと、広い家にお住まいの方が多い事、また春秋に祭りが多いことなどから昔は農村であったと推察できますが確かに駅前などは全く面影はないかも知れませんね。

若い人に言わせると、いまや葛西は丸の内などへのアクセスの良い人気の街らしいですね。(でも東西線が混むのにはいつも辟易しますが。。)
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