銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

郵便ポスト②

2024年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

犬吠埼灯台にあります“白い”ポスト...。巷の噂ではここで手紙を投函すると夢が叶うとか、幸せが
巡って来るとか...。ある種の都市伝説のようです。昨日の話ではありませんが根拠など不要です。
郵便ポストが赤いのは社長責任で、白いポストに投函すれば夢が叶う...これで良いのです。

因みに気軽に都市と記載しました。銚子は都市なのか?街づくりは都市計画なるものがあるし、
別に...ということですが。一般的には一次産業から二次、三次へと地域内産業が移行し、人々が
生活の利便性などを求めた結果、人口が集中した規模の大きな街...だそうです。(脱線しました)

さて郵便ポストは何故赤い?。ネットの普及等で郵便の数は減少しているようですが、それでも
全国に20万本弱の郵便ポストがありその集配システム、正確性は世界トップクラスであること
は承知の通りです。郵便ポストの色や形には何か制限がある訳でなく比較的自由のようです。

圧倒的に赤くて円錐形が多いのは、目立つ色(赤)であり、交通の妨げにならない形(円錐形)
からというのが一般的で、100年以上に渡る郵便の歴史そのものは非常に面白いのですが、本日
は省略。赤いのは社長の責任、銚子・犬吠埼の白いポストは夢が叶う...。これでいいのだ...。

郵便ポスト①

2024年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもすべて社長の責任だ...。という有名な台詞あり
ますが...。久しぶりに犬吠埼灯台に参りまして、話題の“白い”郵便ポスト見まして、何故か
冒頭の言葉を思い出しました...。私より一回り以上の先輩方から良く聞かされた話で...。

本日はそのポストの話題にしようと思いましたが、冒頭の言葉を思い出してしまいました
ので最初に少し脱線...。電信柱が高い、郵便ポストが赤いが何故、社長の責任になるのか?
ということですが、結論としては“当たり前でしょ”ということ...。今はそれが腑に落ちる。

一見、無茶苦茶な論理と思いきや...。(社長)自らが知らない外部環境の変化による業績
悪化、社内の不祥事...等々、すべて社長の責任です。社長をリーダーと言い換えても同じ。
それくらい強い責任感でことに当たれ...。と先輩方から教えられて参りました。

秘書が、会計責任者が、はたまた前任者が行ったことですので...。最近よく聞きますが、
そもそも逃れられないです。リーダーですから。逃れられないのに、逃れようとする行為
を傍から見ていると...実に滑稽です。さて、郵便ポストは何故赤い...(続きは次回に)

懐かしい(曲がり角)

2024年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、銚子第一魚市場から第二魚市場に向かう途中にある(曲がり角)...。私個人的にとても
懐かしい場所であり、この場を通過する時、かつての風景ごと蘇って来るような気がしており
ます。ちょうど銚子第一魚市場から船が出て行く運河(航路)正確には利根川河口かと...。

ここは実家から徒歩圏内で、この曲がり角は銚子第二魚市場で魚を積み込んだ大型トラック
が勢い余って魚をこぼしてしまうところ...。運転手さんに過失、悪気なくとも魚を満載にした
トラックがほぼ直角に曲がれば...。落ちているのは鮮度の良い魚...所有権は...分かりませんが。

利根川のような大きな河川、その河口。1kmくらい進めば太平洋に注いでおりますが、こう
いう地理的特徴、魚釣りの絶好のポイントであります。特にスズキ...。写真下に街灯があり
暗闇の中でこれが灯るとある種の集魚灯のような役割を果たしてくれるのです...。

中学生の頃(40年ほど前ですが)、金曜夜7:30から釣り番組を見る。8:00から
プロレスを見る。見終わったらここに行って夜釣り...。そこに行けば近所の大人が沢山いて
仕掛けの作り方やら釣り場のマナーやら教わる...。目を閉じるとその風景が浮かんで参ります。

建国記念“の”日

2024年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

本日2月11日...。建国記念“の”日...。つい建国記念日と言ってしまいそうになりますが、
正しくは建国記念“の”日だそうです。詳細は省略しますが日本の歴史は神話の世界にまで
遡り、その起源を探るより建国されて“今”があることに思いを致し感謝する日と致したく。

都市とか地方とかそういう区分け一切なしに日本と言う国...。その繋がり(歴史、地域
人...)や、何よりも“時間を掛けて作り上げられた”今...。このことを想い、以ってこれから
を考える一助としたく思います。海岸に若者たちがおりました...。手には双眼鏡...。

車を止めて、何してるんですか?と聞いたら、カモメの観察をしております...と。野鳥の
会の皆さんですか?、いえ地元・千葉科学大学の学生です...。銚子のカモメこれは立派な
観光資源ですね。良く観察してみると様々な種がいて“多様性”と言うこと考えています...。

ご縁あって他地区から銚子の大学に通われている学生さんたち.。地域に溶け込もうと様々
な活動をされております。開学から20年となるそうです。歳月はただ数字の羅列ではなく、
人が生きてきた積み重ね...。建国、開学、すべて“始まり”に思いを致す日であります。

大人③

2024年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

小人に由来することわざ...少し続けます(自ら戒めとして)。“小人は始め有りて終わりなし”。
始めても長続きしない。結果が出せない。散らかしっぱなしで始末が出来ない(これは頭痛い)
次に“小人の過つや必ず文(かざ)る” その場を取り繕う...(これまた頭の痛い話)

“小人窮すればここに濫(らん)す” 器量・徳の無い人は行き詰まったら必ず悪事を働くもの。
(窮した時にこそ、その人間の本性が曝け出されるといいますので)。“君子行いを以って言い
小人舌を以って言う” 大人は行動をもって示すが小人は口先だけで行動が伴わない...(確かに)

“君子は和して同せず、小人は同じて和せず” 大人は意見が一致すれば協調するがむやみに同調
しない。小人は深く考えず同調するが上手く強調することが出来ない...。“合意形成”という現場
で良く見掛ける光景です。そして最後に“小人の勇”(蛮勇、妄挙とも:軽はずみな行動...)

それにしても、小人に由来することわざ...無数です。それだけ古より戒めにされてきたのだろう
と思います。ここ数日、大人(たいじん)と...。歳を重ねただけでは大人になれず、恐らく一生
掛かってもなれそうにないけれど、生きてきた経験を少しは知恵に変えて...と思う次第です。

大人②

2024年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

大人(おとな)の反対語は子供であるが、大人(たいじん)の反対は小人(しょうじん)...。
前者はただ月日の経過とか、法律上の区分とかそんな“便宜的”な印象で捉えられますが、
後者は生き様、...。その人が生きてきた証とか、結果として生じる滲み出る人格とか...。

何となく違いが分かるような気がします。昨日の感想、歳を重ねれば大人になれると思って
いた(しかしながらそうではなさそうだ)と言う感覚は、上記2つの違いから生じている
ものと感じております。恐らく前回掲載の“これでいいのだ”と思える人は大人(たいじん)かと。

ものごとを反対から眺めると、対象物のイメージが伝わりやすくなる場合があります。
小人(しょうじん)という言葉に由来することわざ等を調べていたら、出てくること出て
くること...。(たいじん)という言葉を小人に由来することわざから眺めてみます...。

小人閑居して不善を為す。これらことわざでいう小人とは、心が狭く思慮深くない。器量が
小さく品性に劣る...。徳が無い...自らに言われているようで心が痛いですが...。行頭の意味
小人物は暇があるとろくでもない(良からぬこと)をするものだ...(続きは次回に)


大人①

2024年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数日の写真は、私が勝手に“裏屏風ヶ浦”と呼んでいるところ。確か“通漣洞(つうれんどう)”
と呼ばれる由緒あるところ。安倍晴明伝説あり、地質学的にも“海と陸との戦いの”跡を残す、
銚子でも知る人ぞ知る場所であります(写真と本文は無関係ですが清々しい風景でしたので)

さて、今年55歳になりますが、歳を重ねれば大人(おとな)になれると思っておりました。
法律的には“おとな”でありますが、自ら顧みて未熟さと言うのでしょうか、あの時あんなこと
そんなこと...。.大人げないことばかり...どうも歳を重ねただけでは大人になれないようです...。

“人は男に生まれない。男になるのだ”...。という有名な台詞あります。昨今この表現も不適切
に当たるのかもしれませんが、歴史書の引用という感覚とご理解を。上述の文脈で言えば
“人は大人に生まれない。大人になるのだ”...。過程を経なければ...と言うことかと。

大人と書いて“おとな”ですが、別の呼び方で“たいじん”...と。人物が大きいとか実に東洋的な
視点でありますが、大人(おとな)の反対は子供(こども)なのに、大人(たいじん)の反対
は小人(しょうじん)そんなのどうでも良いじゃないですかということですが(続きは次回に)

没法子(これでいいのだ)②

2024年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

これでいいのだ...。言わずと知れた“天才バカボン”の決めゼリフ。作者であるギャグ漫画の
巨匠について言及あり、その破天荒(と言われた)人生から紡ぎ出された非常に深い言葉と
理解致しました。そして“これでいいのだ”と唱えると何故か心が軽くなるような気がします。

笑いの反語は何であるのか?すぐに答えが出ませんが、悲しみとか泣きたくなるような辛さ
とすれば、それを癒すのは究極的に笑い...。堂々巡りのようですが、振り子の揺れと同じように
一方へ(極端に)揺れた振り子は、反対方向に揺れることでバランスを取ろうとする...。

バカにされること...誰だって嫌ですが、あえてバカにされようと振舞う方がいます。ただ目立
ちたいだけの方もいらっしゃるかと思いますが、私のささやかな経験上こういう方、天才的な
方が多く、心の奥底に悲しみを抱えるも仮面を被り、バランス感覚に秀でておられます。

自らの力ではどうしようもない事態に遭遇すること、誰にでもあることと思います。現実を
受け入れ難くとも、仕方が無いと思えるようになったら一歩進んで“これでいいのだ”...。
自らの力量を越えた内容に言及してしまいましたが、これでいいのだ...。


没法子(これでいいのだ)①

2024年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

没法子...、中国語でメイファーズと読み、意味は“仕方がない”...こういうニュアンスを表して
いるようです(発音難しく間違っていたら申し訳ありません)この言葉、ある会合で紹介され
意味としては“仕方がない”というより“これでいいのだ”...が妥当であろうと。

さて、いつものように突然何のこと...ですが。年度末が近づいており本年度の総括やら来期の
予定などを話し合う機会が増えております。DXとか横文字が並び、変わらなきゃ、と言う声が
あちらこちらで聞こえるのですが、そんな簡単に変われませんし、不可抗力もありますよ...と。

自然災害や病気、事故...、自らの力ではどうしようもない現象が(突如として)降り掛かって
来た時、受け入れるなんてこと容易にできる訳がないのであります。お気の毒に、お大事に、
頑張りましょう...等々、当事者以外から発せられるそんな言葉の数々...むしろ苦しいかもしれない。

誤解を恐れずに言えば、“仕方がない”で済ませてしまわねば前を向けないこと多々あります。
但しこの言葉、どうもモヤモヤする...。現実を受け入れたくないけれど、やがて受け入れざるを
得ない状況となった時、仕方がないではなくて“これでいいのだ”(続きは次回に)



過日、某所にて

2024年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、某所にて...。会合の終わりに食事でも...と言うことになりまして。馴染みの居酒屋さんへ。
“普通の”と言ったら語弊あるかもしれませんが、地域内(銚子周辺)では普通の...。大きな違い
は周辺に漁師さんや、野菜・果物生産者さんが多く鮮度抜群の素材が提供されている...。

ちょうど当日も漁師さんが釣ったばかりのタイ持参。同行者の中に常連客がいて、他愛もない
話の後でお祝いだ...と活け造(写真)。何のお祝いか不明なのですが、明るい酒飲みの会話...、
何でも良いので今日はお祝いだ...。私まですっかり美味しいもののお裾分けを頂きました。

タイ持参の漁師さん。もう高齢になってきたので無理しない。天候が良ければ海に出て自分が
始末できるだけの量を釣ったら帰る。自分の食べる分、近所へのお裾分け、馴染みの飲食店等
に販売はするけれどごく少量(経費が賄える程度)、獲り過ぎて始末できず廃棄は絶対にない...。

漁師さんこれで満足だ。飲食店さん、お客さん、こんな鮮度の魚有難い(しかも廉価)。同席者
の中に東京在住者が多く一同、羨ましい...。美味しい魚と言うより高齢漁師さんの生き方...。
隣の芝生は何とやらの例えもありますが、生き方と言うこと...鮮度抜群の刺身食べながら...。


かとり&つくば

2024年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに巡視船・“かとり”を見ました。しかも”つくば”と揃って...。かとり、つくば共に
銚子を母港とする海上保安庁の巡視船...。両船ともに(船体は何度か作り替えられており
ますが)銚子の海で船舶の航行安全を見守ってくれる有難い方々(船・乗組員)であります。

昨今は海難救助に留まらず、災害対策や密漁船の取り締まりなど業務範囲が広がっており
乗組員の皆さん、相当な激務にも関わらず常日頃から万全の備えを行っております。まさに
“常に備えあり”...。両船共にジェットエンジンを備え、荒天時に強い特徴あるようです...。

銚子沖は船舶航行の要衝で、衝突事故等が起こりやすくまた海は荒れることが多い。それを
救助に行く訳ですから、両船の出港は過酷な自然環境下に常に晒されているということに
なります。いくら荒天に強い船と言っても、この船には生半可な覚悟では乗れません...。

知人に船の雑学、ちょっと教えてもらいました。船が右に曲がる時は面舵(おもかじ)、
左は取舵(とりかじ)。これ子は(干支のネズミ)を真上に時計周りに干支を配置すると
右は卯(卯面舵:変化して面舵)、左は酉(とり:変化して取舵)...だそうです。



節分!

2024年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

本日、2月3日...。節分であります。毎年掲載しておりますので、詳細はほどほどに致し
ますが、立春・立夏・立秋・立冬...、この時期の1日前を季節を分ける。節分...と。最近
は何かと話題の恵方巻(売れ残りが廃棄となりもったいない等)の話題多いですが...。

節分と聞いて思い出すのは、鬼、豆、イワシの頭、ヒイラギ...。季節の変わり目には邪や
鬼が入り込んでくる恐れがあるので、鬼が嫌いな豆をまく。豆(穀物)には生命力が宿り
邪を払う呪力があると古来考えられていたそうです。イワシの頭は邪が嫌いな匂い...。

そしてヒイラギはあのトゲトゲ...。物理的に痛い...ということで、これも鬼が嫌がるそう
です。少々前、鬼門の方角にヒイラギ南天と言う木を置いておりましたが、確かにこの葉
物凄く痛い...。ちなみにこの場所に置いたヒイラギ南天は数か月で枯れてしまいました...。

生育者(私)のお世話が十分であり、その植物の生育環境が適していたとすれば何者かの
仕業...。見えないところで邪と闘い、身代わりとなって枯れた...。邪(鬼)は想像上の生物
ではなく“人の心”と考えるのが一般的で、季節の変わり目に当たり自省をと思う次第です。

虹②

2024年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

虹を見ながら、オーバー・ザ・レインボウ...。オズの魔法使いに言及してしまい、断片的な
記憶が蘇って参りました。ある少女の不思議な冒険の物語...。旅の途中で“何かが”欠けている
(と思っている)仲間に出会い、共に助け合い困難を克服し絆を育んでく...というお話かと。

80年以上前の作品のようですが、まさに名作は不朽。そのものであります。私のような
50を過ぎたおっさんの脳裏に今、案山子やブキリの木こり、ライオン...が。それぞれ、
知恵や心、勇気が無いと思い込んでいるが、旅の終わりにみな“持っている”ことに気付く。

全て正確な記憶ではありませんが、そこはオーバー・ザ・レインボウの世界観。虹の向こう
に〇〇な世界が待っていると思えるか否かであろうと思います。馬鹿らしい、いい歳して...。
こういう声が聞こえたとしても、虹の向こうには何かがある。こう思いたいものです...。

物語の解釈は人それぞれながら、幼少期に見た作品を50も半ばになったある朝、虹を見た
のをキッカケに思い出した...。作品そのものと言うよりも自らが歩んできた人生そのもの...。
足りないものがあったとしても、生きて来たじゃないですか。虹には不思議な力があるようです。



虹①

2024年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム

過日の朝...、綺麗な虹が掛かっておりました...。場所は旭市・中央病院付近です。あまりに
鮮明で綺麗でありましたので車を止めて、暫し眺めておりました。虹...英語でrainbow...、
直訳すればrain(雨)のbow(弓)。そう言えば虹のことを天弓(てんきゅう)とも。

虹を科学的に定義すれば、大気中に浮遊する水滴の中を光が通過する際、分散することで
特徴的な模様が生じる“大気光学現象”となるようですが、この際そういう定義は脇に置き
僥倖、吉兆、幸運の前触れ、はたまた干支の龍の化身...根拠なし。そんな感覚で眺めたく...。

世界各地にて虹に関する言い伝えや伝承、数え切れないほどあるようです。現象を科学的
に解明することは重要ですが、時として全く異質な、人智を越えた世界観とでも言いますか、
(荒唐無稽とも...)そんな精神世界に浸るのもまた良しと思っております。

Somewhere over the rainbow way up high ...。虹の向こうの空高いどこかに子守歌で聞いた
国がある...。オズの魔法使いの主題歌“虹の彼方に”ですが、この曲を聞くと本当にそんな
国(場所)があるような気がする...。さて本日から2月です(続きは次回に)