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大原幽学の里は、旭市(旧:干潟地区)...、九十九里側(飯岡)から中心市街地に向かい、そこ
からさらに利根川に向けて進んだあたり(写真左上)にあります。大原幽学が尾張(現在の名古屋)
の生家を出奔した理由は不明ですが、出奔、放浪の中で芽生えた感情が後の性学に繋がったものと。
性学(せいがく)...。大原幽学が説いた経済・道徳の調和を基本とした理念であります。同時期に
生きた二宮尊徳も基本的な考え方は似ていると思います。現在も干潟地区にて性学餅なる、お餅
がありますが、これも幽学の理念、収穫されたお米を大切にするという名残かと思います。
同時期に生きた、大原幽学、二宮尊徳という巨人の理念はほぼ同じ。細かく言えば相違点も沢山ある
のですが本日は省略します。幕末に向かう混乱期(矛盾期)、地方は大事だ。特に食料生産基地と
して国を支えるのだ。そんなこと言われても...。地方は疲弊していたようです。
二宮尊徳の名言、道徳なき経済は害悪であるが、経済無き道徳は寝言である...。こういう言葉が
飛び出す(地方の)時代背景だったのでしょう。のんびり暮らしている地方。藩政改革を急いで
いる幕府(中央)...。200年経っても...同じかもしれない。(続きは次回に)
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