銚子・角巳之・三代目

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ツバメの季節!

2022年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、某所にてツバメを見ました...。飛んでいる所でも、巣作りの最中でもなくコンビニにある
郵便ポストにて...。コンビニの軒先には高確率でツバメの巣が掛けられておりますので、この
ツバメは巣作り場所の吟味中であったかもしれません...。ツバメの巣...幸運でもあるし迷惑でも..。

ツバメは人間の育てている穀物は食べずに、その周囲にいる害虫を食べてくれることから、稲作
における益鳥であり、古くから様々な言い伝えの有る鳥であります...。多くの場合は幸運や豊穣
と関連付けられておりますが、そこは野生動物...。糞の被害等、これまた困ったものでもあります。

ツバメが低く飛ぶと雨なる格言あるようです...。雨が近づくと湿気が多くなり、湿気が多くなると
ツバメのエサとなる虫の羽が重くなって低い場所で飛ぶようになる...。自然、それを捕まえようと
するツバメも低く飛ぶ...。人間と長年共存してきたツバメだからこその逸話と思います。

ツバメは野生動物であり、鳥獣保護法で守られている...。民家であってもツバメの巣を破壊したり
卵を割ったりすると法に触れる可能性があるのだとか...。私の知人はこの季節、ごめんなさいね...と
言いながらアルミホイルを軒先に貼っております。ツバメの巣防止のやむを得ない措置だそうです。

生命力!

2022年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

写真...、事務所入り口にあります南天の木...。事務所入居の際、知人のご住職にビル一棟を
お祓いして頂いた際、この場所は水に関わる人(漁師さんとか、水産加工業者さんとか)が
沢山来るようになります...。入り口に南天の木を。南天の木は水難除けです...と。

南天は難転に通じ、災いを転じて福と為す...等々の縁起物。何よりもそう信じることが大切
と思っております。縁起物として大切にしながら、一階は海からの強風が直撃するところ。
特に入り口付近は、ちょっと雨風が強いと翌日は一面、潮が噴いたように真っ白くなり...。

冬場は完全に葉が枯れ落ち、もはや死んでしまったのかと思っておりました。どう見ても
枯れており、かと言って捨てるに捨てられず...時間だけが過ぎて行きました...。ところが、
春を迎える頃に新芽が出て、あれよあれよと言う間にご覧の姿(写真)...に。

“生命力”ということを感じた次第です...。見えるところは完全に枯れておりましたが、見え
ないところ(根っこ)では他日を期していた...。そんな闘志が木に宿っていたのか...と考え
るとこれは感動ものであります...。人(私)もかくありたい...。南天の生命力に接し...。



初物!

2022年05月14日 | 銚子のうまいもの

先日、いつもの漁師さんのところで...。初物頂きました(銚子・磯ガキ)。これを食べると
夏が近づいているな~と。例年よりちょっと早い気がしましたが、細かなことはともかく
銚子の夏の風物詩...。カキ...、銚子の場合は養殖物ではなく天然磯ガキを指しております。

毎年、このカキの美味しさについて記事にしておりますので、今年は主役をカキ殻にして
みます...。カキの殻...、美味しい中身にのみ目が行って、この殻は無用の長物のような扱い
を受けるのですが、実は非常に優れもの。飼料・肥料から水質浄化、建築資材、様々な用途で...。

先日TVで、江戸川・河口部のとあるところで、カキ(漁業権が付いていない場所にて)の
採取者がその場で剥いて殻を捨てる...大迷惑。という放映を見ました。由々しき事態であり
ますが、いずれはお宝として、この殻の争奪戦になるのではないか?とさえ感じております。

銚子でも昔はカキ殻屋さんと言って、広い敷地にカキ殻を広げ様々な用途に加工・販売して
いる方々が沢山おりました...。最近は殆ど見掛けなくなりましたが、昨今の世界情勢です...。
未来に目を向ける時...、昔の人の知恵に想いを致すと新たな何かが見えるのかもしれません。


だからよ...。

2022年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

出張や魚市場等に行くことが無い日...、始業前の15分はNHKの連続テレビ小説を観るのが半ば
習慣化しております...。振り返ると“ごちそうさん”あたりから...。調べてみると2013年9月
の放映でしたので、もう10年近い習慣になるのかと...。そして今は沖縄が舞台...。

ドラマの中で、主人公の兄の口癖...“だからよ” これを聞いてハッとしました...。銚子でも良く
使われる言葉だからです(少なくとも私の同年代・海の近くの出身者)。沖縄と銚子...何か接点
があるのかと思ったりしますが、いまのところ詳細は分かりません...。

“だからよ”...。相手の言葉に相槌を打って、そうですよね...。くらいの意味かと思います。広い
ニュアンスを含んでいるので一概には言えませんが、良い意味でも悪い意味でも使われている
ような...。実際の活用方法は是非、銚子へお越しになってお確かめ下さい...。

恐らくこれも“黒潮繋がり”なんだろうとは思います。銚子の場合はさらに“利根川繋がり”(上流
の群馬~埼玉繋がり)茨城以北・北関東繋がり(~だっぺ)あり...。言葉の繋がりは、それぞれ
の地域と地域、人と人の繋がり。繋がりとは要するに共生(流行言葉で言えば)のことか...と。

上野東照宮!

2022年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

上野東照宮...。徳川家康(東照大権現)、(一説によると徳川吉宗・徳川慶喜も)を祀る場所...。
家康の遺言により、天海大僧正と藤堂高虎によって創建されたと書かれておりました...。藤堂
高虎...、築城の名人と言われた武将であり、人生で7度も主君を変えながら最終的には徳川重臣。

当時の思想・教育からすれば、主君を何度も変えるのは宜しいことではなく、むしろ悪いことと
捉えらえていたかもしれませんが、それを上回る才能の持ち主ということだったのでしょう。
それと家康の器量...。才覚あっても主君が許さない...と言う場合もありますので。

幕末の上野戦争、関東大震災、第二次世界大戦でも焼失を免れた強運から、強運の神様と呼ばれ
勝負事への祈願に効く...(これは先日TVで見ましたが...)。写真下は御神木...。樹齢600年を
越えると言われている大楠であります。こちらも何とも言いようのない威厳に満ちております...。

かつて東京で生活しており、山手線で言うと東京~新宿の上半分に縁が深く殊に上野界隈は良く
散策したところでした。上野から秋葉原方面に向かい、そこからお茶の水方面へ...。駿河台のその
先は千代田のお城(江戸城)...。歴史情緒溢れる場所...。東照宮門前の売店もレトロでした...。


両大師!

2022年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

東京国立博物館からの帰途...。すぐ隣に東叡山・寛永寺開山堂(別名:両大師)があるのを
思い出し、ちょっと寄り道...。前回訪問から約7年ぶりでありました。両大師とは慈眼(じげん)
大師と慈恵(じえ)大師のお二方を祀っていることに由来しているのだそうです。

慈眼大師とは、時代劇でお馴染みの天海大僧正であり、上野寛永寺を開いた天台宗の僧侶...。
慈恵大師とは、天海大僧正が尊崇していた僧侶だと縁起にありました。慈恵大師には別名
角(つの)大師なる称号あり...。独特のお姿で描かれ厄除け大師としても知られています...。

この地の滞在も僅かな時間ではありましたが、いつ訪れても非常に気持ちの良い場所であり
ます...。周囲には歴史的な建造物や、独特の雰囲気に包まれており、目を閉じると江戸時代
にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るところ...。鬼平とすれ違うような...。

両大師を後にして、上野公園を抜ければすぐそこがJR上野駅。その2階の駐車場に車を入れ
てありましたので、帰途を急いでおりましたが...。目に入ってしまいました..上野東照宮。
これは立ち寄らねばと思ってしまい...さらに寄り道となりました...。



過日、国立博物館にて

2022年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

GW中のある1日...。東京国立博物館を訪れました...。これまた弾丸ツアーで、目的の場所一か所
を拝観しすぐに戻るというものでしたが...。目的は“空也上人と六波羅蜜寺展”...。わずか1時間
ほどの東京滞在でありましたが、数年ぶりの東京博物館を堪能致しました....。

空也上人像...。歴史の教科書には必ずと言って良いほど掲載してありますあの像であります。
今年は空也上人・没後1050年にあたり、空也上人が活躍された時代(平安中期)も疫病が
まん延し、人々の心が荒んだ時代...。人々の心の安寧を願い一心に南無阿弥陀仏と唱え続ける...。

六波羅という地は、鳥辺野と呼ばれ亡くなった人を送る葬送地であったようです。自然、信仰の
地となり、空也上人がこの世とあの世の境界線であるこの地に、六波羅蜜寺を建立。あのお姿で
南無阿弥陀仏...と。口から噴き出しているのは六体の小仏...。南無阿弥陀仏の六文字であります。

空也上人像...。天才仏師・運慶の子、康勝(こうしょう)作。国の重要文化財に指定されており
ます。薬師如来、四天王像、平清盛像...等々、多数の展示物ありましたが、どれも物凄い迫力で
今にも動き出すのではないかと...。GWのささやかな一時...、心の洗濯でありました...。






ツツジ

2022年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

これツツジだと思います...。遠くに見えるのは銚子のお隣・旭市の(新)庁舎...。庁舎の周囲は
このようなツツジで囲まれ、一斉に咲き誇っているその姿はお見事の一つであります。この奥
には散歩コースが整備されており、早朝・夕方には大勢の方々がウオーキングなどを...。

さてツツジ...。漢字で書くと躑躅となるようです。非常に難しい漢字であります。音読みで、
(ていちょく)と読み、佇む(たたずむ)...の意。ツツジがあまりに綺麗なので、人はその場に
佇んで、しばし見とれている...そういう情景を表しているのだそうです...。

それにしても難しい漢字です...。躑はテキ..と読み、意味は“たちもとおる”...これまた難しい。
躅はチョクと読み、意味は足踏みする...ということらしいです。合体して躑躅...。上記の通り
あまりに美しく見とれている様を表す...。この季節、納得の表現かと思います。

ツツジの由来はその他、花が筒状になっているから...。或いは花が連なって次々と咲いていく
ことから等々...。いずれにしてもこの季節、各地で綺麗なツツジを見ることが出来ます...。
桜が終わってツツジ...。そしてアジサイ...。季節は変わって参ります...。

今年も藤棚③

2022年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

山門・入り口付近で名物:タコの滑り台が目に飛び込んで参りました...。これは何代目なのか
分かりませんが、記憶を辿れば...50年前もこの位置にあったように思います。これは懐かしい...。
そして木国会(もっこくかい)碑...。銚子人のルーツであり、産業基盤を作った方々を称える碑。

碑には、“銚子港もと海浜の一僻地・今日の繁栄はひとえに我が紀国人の開拓の功による”...とあり
ます。この碑は明治36年に建てられたそうです。銚子港は現在、11年連続水揚げ量全国一と
言われておりますが、これは...、この碑のこの文章にすべての答えが詰まっているのです。

私も先祖を遡ると紀州・和歌山県に辿り着きます。天保2年と家系図にありましたので、比較的
新しい方ですが、その何百年も前に黒潮に乗ってやってきた木の国(和歌山県は木の名産地なの
で...)の方々が、それこそ命懸けで銚子港の建設や漁法の基礎を作って行ったのであります...。

水が飲めるのは・井戸を掘ってくれた方がいたからだ...という名言あります。先人たち(開拓者)
の苦労に想いを馳せると...。もともと海の突端の僻地だったじゃねえか。自分達だけで何でも
やってきたと思うのは大間違いよ...この子孫どもめ...。そんな声が聞こえて来るようであります...。



今年も藤棚②

2022年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム

銚子・妙福寺...。開創700有余年の歴史の中で、菊や葵御紋の使用を許されるなど時の皇室
幕府とも非常に深い関係があったようであります。江戸時代、銚子は高崎藩の飛び地であった
関係から、山門は高崎藩士の警護で固められ、各地からたくさんの人が集まり隆盛を誇った...と。

臥竜の藤はその名の通り、竜が臥せたような形に由来しているそうですが、樹齢は750年と
非常に古く、もともと京都御所にあったこの藤を、京都から川下りで大阪湾まで運び、海路
銚子まで運んだのだそうです。関西由来の“野田藤”と呼ばれる種であります...。

境内はそれほど広くはありませんが、この空間は何かに見守られているような独特の雰囲気
があります。龍神様に因んだ逸話も多く、写真は龍神の滝と呼ばれ今でも滝行が行われており
ます。竜(龍)に“さんずい”を付けると滝(瀧)...何か関係ありそうです。

藤棚を見に行ったのですが今回は他所に目が移り...。それも藤棚のご縁と、もうしばらく園内
を散策...。懐かしい遊具が目に飛び込んできたり、銚子人のルーツである碑を久しぶりに眺め
たり...、僅かな滞在時間でありましたが非常に有意義で...(続きは次回に)


今年も藤棚①

2022年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

今年もあの藤棚(銚子・妙福寺:臥竜の藤)を見に行って参りました...。コロナ禍の始まった
数年前から散策を兼ねて...。そしてあの標語も健在...“下がるほど・人は見上げる・藤の花”
恐れ入りました...という感じであります。久しぶりに園内を散策して参りました...。

ここに併設されている幼稚園に通っていた...と以前掲載しました...。50過ぎのオッサンが...
ということでありますが、事実であります。そしてこのお寺の詳細に付いても知らないこと
が多いのも事実...。そこで縁起等を読み返し、往時を想い行く末を考えた...と言う次第です。

縁起によると、このお寺の正和3年(1314年)日蓮上人の直弟子・日高聖人を開基とし
(千葉県の)中山法華経寺の日祐聖人によって開創されたとありました。開基とは寺院開創
の設立者のことを指し、開創とは寺院を創設することと辞書にありました...。

もともとは銚子のお隣、匝瑳市(八日市場)にあった真言宗の寺院であったようですが、
その後この地に移され、日蓮宗の古刹として700有余年...。銚子では妙見様と親しまれて
おります。そして名物“臥竜の藤”...。もともとは京都御所にあったようで...。(続きは次回に)



ご馳走...。

2022年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

これを何と表現したらよいか...。過日、お客様方が急きょ、銚子へ宿泊されることになり
ました...。遅い時間で飲食店の予約もしておらず、そんな中・仲間の一人がそれでは私が
...となりまして...。即興でお寿司を握ってくれました...。一同ビックリでありました...。

元々和食の料理人さんで、現在は魚の仲買人...。魚や料理に付いてはプロ中のプロである
ことは知っておりましたが...。白身はキンメ、マコガレイ、タイ。赤身はマグロ...。すべて
銚子港水揚げで、これらを思い立ってから1時間ほどで作り終える...。凄いの一言です。

ご馳走の馳走という字は、元来、お客様をもてなすために馬を走らせ、食材を集めて回る
という意味が含まれているようです。鮮魚商で魚が身近にあり、腕も確かと言う前提は
あったにせよ、これが出来上がるに至る道筋は、ご馳走(おもてなし)そのもの...。

急な依頼だったので、ごはんが無く、レトルトパックのご飯をシャリにしたり、工夫も
随所なのですが、完成したお寿司は何とも贅沢であります。これをお店で食べたら一貫
いくらになるのだろうというのは野暮と言うもので、ご馳走頂き、感謝・感謝です...と。


ギャップ分析

2022年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

ギャップ分析と言う用語があります...。ジェネレーション・ギャップという概念ありますので
感覚的に何を意味するのか分かりますが...。ギャップを辞書で引くと、割れ目とかすき間等と
出て参ります...。また、大きな隔たりや食い違いと言った意味も内包しているようです...。

先日、銚子へ遊びに来てくれた都内在住の20代....。せっかくなので銚子市内を車で案内して
おりました。外川’(とかわ)周辺で、このあたりNHK澪つくしの舞台です...と言ったら...無言。
ここは銚子商業、雨の中の押し出し逆転勝ち、あの江川投手からと言ったら、それ誰ですか?...。

まさにジュネレーショん・ギャップを感じた瞬間でありましたが、冒頭のギャップ分析と言う
用語。時間軸を伴って、なりたい自分と今の自分の差を知り、それを埋めるための様々な手法
を指しております。SWOT分析とか、専門的な用語は本日は省略致します...。

今の自分となりたい自分のギャップを埋める...。ここで言いたかったのは時間軸...。何事にも
限りがあります...ということ。そして恐らく、なりたい自分には決して到達せずに終焉を迎え
る...。しかしながらそのギャップを少しでも埋めようとする日常は尊い...。ふとそんなことを...。



無知の知④

2022年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

この話題、この辺にしようと思っておりますが...。メタ...ということ、これはギリシャ語の
metaに由来し、意味は高次の...或いは超えるということらしいです。さらにメタファーと
いう言葉の略語としても捉えられているようです。メタファー...暗喩(あんゆ)と...。

暗喩(あんゆ)とは、上手く伝えられるかどうか分かりませんが辞書を引くと、物事のある
側面をより具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え簡潔に表現すること...と。一種の
比喩(ひゆ・例え)表現と言って良いと思います。反語には明喩(めいゆ)...と。

あいつはマグロのような男だ(明喩)、あいつはマグロだ(暗喩)...。この違いらしい...。
メタファー(暗喩)とは私の勝手な解釈になりますが、曖昧な言葉を排し、問題の所在に
気付かせる手法の一つ(異論あろうかと思いますが)...。

(必ずある)一つの答えに早く正確に辿り着くことよりも、(正解の無い)領域に何故?
を繰り返しながら、問いを立てる能力が問われている時代(と言われております)...。
いつものように迷走しましたが、無知の知ということ...。肝に銘じて参ります...。

無知の知③

2022年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

無知の知ということ、関連する書籍をパラパラと見ておりました...。無知の知...自分は何も
知らない...と思ってる人は、だから学ぶべきは自分(自責)であって、平時より謙虚で、
自ら学ぶ...。知っている方の居場所、尋ね方...を知っている。(思考回路は活発化)

他方、無知の無知という言葉があるようですが、これは正反対の概念で、自分は何でも
知っている...。これだけで凄く傲慢な感じがします...。自分は常に正しく、悪いのは他人
や環境である(他責)...。悪いのは自分以外であるから、そこで(思考は停止する)

かつてある会合で、あまりに理不尽な要求を突き付けられ、憤慨し、暴言を吐きそうに
なった時、隣に座っておられたキリスト信者の方から、意識を高くお上げなさい...。
そしてそこから見降ろすような感覚で目の前の風景を眺めて御覧なさい...と言われ...。

正直に言ってその場では理解できず...。強引に感情を押し殺して知人の物理的制御に
よって(要するに押さえつけられて)事なきを得たのですが、後になって...あの意識を
高く...といこと、最近盛んに聞こえて参ります“メタ思考”と知りました(続きは次回に)