銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

バイパスの名店

2008年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3571 銚子のお隣、飯岡バイパス中ほどに出来た焼肉店。120席の大型店ながら、連日超満員が続いているようです。いつ行っても入れなかったのですが、先日念願かなって入ることが出来ました....。牧場主さんの直営だけあって、こだわりも半端ではありません。銚子周辺では魚、野菜に牛肉....。実は豚も鶏も名産品...。やっぱり豊かな土地ですよ。朝夕は涼しい浜風....。私、本日午後から東京なんですが、あの殺人的な暑さに遭遇しなければならないといけないのか?と思うだけで、憂鬱です.....。


海ゆかば③

2008年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3575 本日終戦記念日。銚子忠霊塔においても戦没者慰霊祭が行われました。この数年ずっと、8月15日はここに来ておりますが、年々、参加人数が減っている。昨年あたりから“激減”の様相を呈しております。もはや8月15日に何の意味も見出さない世代が殆どの昨今...。戦争の是非はともかく、日本人として、今自分がここにいる意味を問う日かと。3日前にたまたま“海ゆかば”に関する話を仲間としていた折、その作曲者が信時潔(のぶとききよし)という方であると聞き、その方が、母校銚子一中校歌の作曲者という事を知りました。興味を持って調べていたら、この方、凄まじい反骨精神の持ち主。いくつかの書物を読み進めていくうち、その生き様に感服しております...。音楽はその時代を象徴する....。その音楽は人間が作り、その人間の創作活動は、その人の才能、生き様もさることながら、時代の雰囲気とも融合する.....。人は死んでも、音楽は残り、世代を超えていく....。その音楽が出来た時代背景も、その象徴的な詩とともに......。忠霊塔に行き、しばし自らの意思とは関係なく死んで行かねばならなかった方々に思いを馳せると、今の苦しみなど....。更新が遅れすいませんでした。


海ゆかば②

2008年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3556 昨日、投稿以外にもいくつか連絡を頂きました。かつては日本の“第二国歌”と呼ばれていた曲。いや曲と言う表現はあまりにも陳腐すぎる....。現代の繁栄が先達の犠牲の上に成り立っているとすれば、その犠牲になった方々のレクイエム(鎮魂歌)....。宗主国(植民地を支配する国)の方々が....。という投稿を頂きました。私もそんな経験をしました。これ日本人に教わったんだよ、これも、あれも....現代の繁栄は統治時代の日本人がその礎を築いてくれたんだ....。かつて台湾で....。台湾のおじいさん、おばあさん方、当時25歳前後の私に教育勅語知ってるか?などと言い、海ゆかば口ずさんでました。“海ゆかば”....、もう知らない世代の方が圧倒的。かくいう私も知らない世代に属しますが、聴くと何故か涙が出そうになるのは何故なんでしょうか?むろん私、思想的に左右でない、そう中道の一般人であります...。しかしながら、この詩を口ずさんだり、想う事は偏狭な国家意識を芽生えさせ、軍国主義礼賛に繋がる危険思想なんだとのご指摘も頂きましたが、本当にそうでしょうか?最近は、地域の誇り....。なんて言葉もダメなんだそうです。地域エゴに繋がり、最終的にはこれまた軍国主義に.....。何で....???。考える事を止めてしまい、何事にも無関心な方々が、とりあえず日本は戦争で悪い事をしたんだと言えば角が立たないから....という理由で歪曲されて自虐的な日本史を否定しない....。で、無関心が横行すると、極右、極左が出てしまうこと、洋の東西・今昔を問わず歴史が証明しております。地域問題も然りかと....。これから高校も大学も全入時代を迎え、殆ど競争らしい競争をしないまま入学を許可される。何の揺さぶりにもあっていない世代が18歳、或いは22歳を越えて社会に出る.....。選挙権は18歳に引き下げられる。憲法改正の手続きが容易になっていく時代に.....。昨日掲載しました“世代”の問題を強く感じている昨今であります。続きは明日。


海ゆかば①

2008年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3367~海ゆかば・水漬く(みずく)屍(かばね=死体の意)・山ゆかば・草むす屍~。海で戦えば水に漬かる屍ともなろう、山で戦えば草の生える屍とも....。一身を省みず、お国の為に.....。さて、本日お盆の入り。と同時に終戦記念日を迎える週であり、太平洋戦争の特集などTV・雑誌でも大変多くなっております。現在、昭和にすると84年。戦争を知る世代がどんどん少なくなっていく...。ある編集者さんによると、今の日本人の中で、この世代が唯一、人間が“鬼”になることを体験した世代。人間が“鬼”になって死に、そして生き抜く....。戦後の復興はこの世代が“鬼”になって礎を作った。その前の世代が戦地に出て、その前の世代が日本を戦争の惨禍に引き摺りこんでしまう.....。大正後期~昭和初期の生まれの方々はどんな思いで時代を生きたのでしょうか? 何かと不満の多い昨今でありますが、この世代の方々の事を考えたら.....。冒頭の“海ゆかば”太平洋戦争の象徴的な詩。軍歌というより抒情詩であります。原典は万葉集・大伴家持(おおとものやかもち)・防人(さきもり)の詩。子供の頃、近所に旧帝国海軍大佐殿が住んでおられ、夕方になるとこの詩を口ずさんでいたのを思い出します。私は昭和44年生まれですが、何故かこの詩に懐かしさを覚える....。思想的な左右ではなくて、日本人としての郷愁のようなもの。国の為に戦って死んだ方々への鎮魂歌であります。ちなみにこの詩、作曲は信時潔(のぶとききよし)、日本の学校の校歌を多数手掛けた方であります。母校・銚子一中の校歌“朝は松風朗々と....”も、作曲は信時潔.....。母校の校歌と海ゆかばが同じ作曲者....。歴史を感じます。続きは明日。


観福寺にて....。

2008年08月12日 | 千葉再発見

Img_3568 Img_3569 印旛に向かう道中、東庄を抜けちょっと寄り道.....。写真は佐原にある光明山・観福寺。伊能忠敬の菩提寺として、また川崎大師、西新井大師と並ぶ、関東三大厄除け大師の一つ。真言宗豊山(ぶさん)派の名刹であります。昼なお暗い参道を抜けると、本堂前に蓮の花が咲いておりました.....。銚子周辺には本当に神社・仏閣が多い....。何となく以前から気になっていた場所。一人寂しく印旛までの道中、スーっと吸い込まれるように入ったのが関東三大厄除け大師とは.....。伊能忠敬の菩提寺でも....。56歳で全国の測量を開始し、74歳で亡くなるまで徒歩での測量を続ける。おぬし、まだまだね。修行しなさい.....。との啓示と思い、しばし静寂の中で思索しておりました.....。


ある日曜の風景

2008年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3565 日曜日、新盆等の所用あって印旛方面に....。写真は道中、銚子の隣・東庄(とうのしょう)の風景。東庄には友人・知人が多く、穴場スポットをいくつも教えてもらっております。写真もその一つ....。しばし息抜きしておりました。行き方は?.....当分、秘密にしておきます....。久しぶりの印旛方面。ついつい話し込み、最後は安食(あじき)のエンターテナーに拉致され、帰宅は深夜に....。最近ブログの更新が遅れがち。何かあったのか?とメール等も頂いております。本当に有り難いことであります。ご心配をお掛けしておりますが体調は万全ですので。そういえば、あと1ケ月を待たずに連載1000回を迎えます。1000回(日)か~。と、一人で悦に入っております。開始当初から比べれば“確実に”自らとその周辺に変化が起こっております。


夏の雲...その②

2008年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3560 Img_3564 利根川河口にて...。冬の“凛とした”緊張感ある風景は素晴らしいですが、夏は雲の形が面白い.....。左は茨城県神栖(波崎)から架け替え工事中の銚子大橋付近、右はかもめ大橋の中腹から利根川上流を望む。かもめ大橋の通行料・200円(新しい銚子大橋は無料なんでしょうか?)....。が、しかし、その風景・プライスレスであります.....。夏のひと時、都会は殺人的な暑さなんだろうな?と思いつつ、利根川河畔の涼風を浴びながら.....。銚子(周辺地域含む)の気候・風景....、これは立派な財産であるし、ここに住んでいて良かったな~。と思える瞬間であります。


北京オリンピック

2008年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3545 花火からもう一週間....。お盆を迎え、それが終わると一気に秋風が.....。夏の喧騒が終り、またサンマのシーズンがやって参ります。今週末は富士山登頂の予定でありましたが、諸事情あり延期....。TVを付けたら、そう北京オリンピックでありました....。4年に一度のイベント。私事ながら、4年に一度のオリンピックイヤーは何かが起こる。境遇に大きな変化が出るのが不思議とオリンピックの年....。自分の思い過ごしだけかもしれませんが、24年前のロサンゼルスオリンピック(中学3年でした)から、4年ごとに大きな境遇の変化が起こる....。来し方、行く末を考えながら、北京オリンピックを(TVで)観戦する事にします。それから、24年ぶりに関東大会へ出場した銚子七中。善戦むなしく、緒戦で惜敗....。の連絡を受けました。勝負は時の運。誇りに思いこそすれ、恥じる事は微塵もありません。七中男子バスケット部の快挙、心より、お疲れ様と.....。この悔しさは後輩に、そしてドルフィンズの面々に受け継がれ、再び大舞台に上がる原動力となることでしょう。七中男子バスケット部の皆さん、お疲れ様でした。そして有り難うございます。


屋上から...。

2008年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3553 花火大会の日、某所・屋上より.....。銚子の平日は確かに人が歩いていない....。人がいない、人が減った.....。でも“いる”.....。少なくなっているのかもしれないけれど、確実に人はいる....。問題はそれら人が日常的に集う“場”が無い事かと....。“場”は知恵と工夫でどうにでもなる。あと“心”....。“心”は無限大だそうです....。確かに....。青臭い書正論と言われようと、時代を動かしてきたのは人間の情熱....。吉田松陰曰く、時代の変革は“情熱”と“狂気”だと....。東京に住もうと、銚子に住もうと、嫌な事を引き摺ろうと、何も考えなかろうと、等しく時間は過ぎてゆく。気付いたら“動け”.....。これまた確かに....。本日もまとまりなく、申し訳ありません。


ひびき&やっぺ

2008年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3519 Img_3516 先週のひびき連合会のお囃子と、“やっぺ”踊りの風景....。ひびき連合会のお囃子はいつ聴いてもいいものですし、東京時代はこの笛の音を聴くたびに郷愁に誘われました.....。やっぺ踊り....、何故“やっぺ”なのか?....。小学生の時にその由来と踊り方を教わった記憶があるのですが....スッカリ忘れました。銚子弁で、~しましょう?の意で、~やっぺ....。と言いますから、恐らくそこからかと....。お囃子も踊りも年々参加人数が減少しているようですが、確実にそこで行われている。34回とのことですから、34年続いている....。数が少なくなってもゼロではない。ゼロではないし、少ないながら子供も参加している....。要するにゼロではなく、後継世代が参加している。とにかく継続していけば、知恵も湧き、打つべき一手も見えてくる.....ハズ。お囃子、踊りは地域の伝統文化の一つ。その地域なるものの象徴であります。その継続は、その地域をその地域たらしめる原動力....。地元に誇りを。と言うと、それは危険発言。過剰な愛国心教育に繋がりますよ。と、反論する方がいるようです。本当にビックリですが、実際そういう方、いるそうです。地元に誇りが持てず、日本人として誇りが持てずに、何を頼りに立つんでしょうか?これこそ由々しき問題であります....。写真左がひびき連合会の雄姿。右が“やっぺおどり”市内最大グループ、風の会.....。こういう方々の存在が地域を地域たらしめる原動力の一つ。それを再確認致しました。


大局観....。

2008年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3487 先週の行事...、“やっぺおどり”など掲載しようと思いましたが.....。これ後日に。本日、市立病院閉鎖に関する話からちょっと思ったもので.....。さて、幕末の日本(いつも唐突ですいません)....。現在、NHKで篤姫が放映されておりますが、その時代....。徳川幕府が薩長を中心とした新勢力に破れ、敗走に敗走を重ねる。薩長にとっては最後の仕上げ、江戸城総攻撃....。洋の東西を問わず、歴史の転換点は大きな血が流れ、象徴的な城などが破壊される....。が、しかし、日本には徳川方に勝海舟、薩摩に西郷隆盛という二人の巨人がいる....。(中略)....歴史上名高い、江戸城無血開城が行われる訳です。これには篤姫が大きく関わっているようですが、これはTVにて....。(勝)西郷さん、あんた何が望みだ....。(西郷)江戸城を頂きます...。(勝)やるよ....。(西郷)何と....。(勝)だからやるよ....。やる。だから総攻撃は中止して欲しい。やるっていってんだ、余計な血を流す事はない...。今江戸を火の海にしてみろ、この混乱に乗じて、北はロシア、本州以南は米英仏に攻め込まれ植民地となるぞ。あんたそのくらい分かるだろ.....。何が徳川、薩摩だ、日本は一つにならなければならない時じゃないか.....。くだらない意地を張って、外国の餌食にされてみろ、西郷さん、あんた後世の日本人に何て詫びる!.....。勝海舟、西郷隆盛ともに、新しい時代の幕開けを知り、徳川、薩摩という小さな世界に囚われず、世界の中の日本という大局観を持っていたが故の英断。この二人がいなければ、江戸は火の海になり、日本の歴史は大きく変っていたかもしれません。徳川か?薩摩か?ではなく、それらを含めた“日本”が生き残る道。“対立”ではなく、“一つ”になって日本人を守る事.....。AかBかではなく、“第三の選択”の道は常にあるものです。くだらない拘りを捨て、一つになれれば....。そしてリーダーが“大局観”を持っている場合は....。お前、まどろっこしい書き方で、何が言いたいんだ....と。.....、そう、ご賢察の通りであります.....。


類は友を....。

2008年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3499 類は友を呼ぶ....。その人を知りたかったらその友を見よ....。 さて先週末、行事が盛りだくさんではありましたが、一番長く関わっていたのがミニバス交歓会。一生懸命な小学生、それらをサポートする大人たちの姿を見て、実に様々な思いが交錯致しました。あるチームのコーチから、一生懸命な子には一生懸命な仲間が出来る。適当な子には適当な仲間しか集まらない....。バスケは団体スポーツ、仲間を信じて.....。そのまま大人に当てはまるな....と。そんなの子供向けの話で、大人の世界は騙し、騙され.....。その時、その時が楽しければいいのよ.....。と反論される方もおられるでしょうか?さて、さて....。でも、その人を知りたかったらその友を見よ。私はそう確信しております。今回のミニバス見て、さらにその思いを強くしております。頑張る小学生の姿....。清々しいだけでなく、大人こそ....。写真は小学校4年生以下の試合。つい最近バスケを始めたばかりで、体よりボールの方が大きいと思えるような子もおりましたが、試合に臨む“姿勢”は真剣そのもの....。類は友を....、これ物事を見る目、取り組む“姿勢”なのかもしれない。と思った次第であります。芸事であれ、職人的な食品製造であれ、何であれ、その道の“達人”と呼ばれる方々と全くの“素人”は目線が同じだと言われます。中途半端が一番いけない.....。達人にならなくても、物事を肯定的に見よう....。そういう仲間には不思議な事にそういう仲間が集まる。自虐的な方々にはこれまた不思議な事に自虐的な仲間が集まる.....。出逢いも偶然と思いきや、実は物事に取り組む“姿勢”によって、出逢いも変わるんだそうです。出逢いが変わると人生そのものが変わる....。一生懸命な選手達が、よき出逢いに恵まれる事を.....。


先週末

2008年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3539 先週末は行事が盛りだくさん.....。ミニバスの招待試合に、花火大会&お神輿....。プロ野球のスタッフによる野球教室も開催されていたようです。....その他諸々......。こういう時は何から掲載すべきかと思いましたが、花火が上手く撮れましたので....。酔っ払っている割には上手く撮れた....会心の作であります。先週末の出来事はこれからボチボチ掲載して参ります。本日は写真をご堪能下さい。


橋の上にて

2008年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_3481 かもめ大橋から利根川上流を....。素晴らしい風景です。さて本日は、ふと思い出した事....。司馬遼太郎さんの代表作の一つ“坂の上の雲”の一節に以下のようなくだりがありました。国力数十倍という大国ロシアと戦わねばならなくなった明治(時代の)日本。すでに戦いは不可避の状態の中にありながら、軍艦、大砲を買うお金がない....。海軍の責任者・山本権兵衛が同郷の先輩、西郷従道(隆盛の弟)へ相談に行く....。万策尽きた....お金がなくて軍艦が買えません....。西郷さん何かいい知恵は?....。(西郷)山本さん、その軍艦がないと日本はどうなりますか? (山本)日本海は完全に制圧され、日本は滅びます....。(西郷)では買わないといけません...。(山本)ですからお金がないと....。再び西郷さん....、あなたは軍艦が無ければ日本は滅びるという。それにも関わらず、お金がないからという理由でそれが買えずにいる。滅びたら終りじゃないですか...。お金は何としても捻出するんです。正規の手続きなんかとっていたら間に合いません....。だから誤魔化すのです....。それが発覚し、議会に追及され、それを許してくれなかったら、あんたと二人、二重橋の前に行って腹を切りましょう。二人が死んで、日本が(軍艦が買えて)救えるのなら本望です.....。この決断によって建造されたのが戦艦・三笠(みかさ)。明治海軍の旗艦(きかん)であり、日露戦争の勝利を決定付けた日本海海戦の象徴的な軍艦。たしか今でも横須賀港に停泊していると思います(記念艦として)、その三笠から、本日天気晴朗ナレドモ波高シの電文が打電され、艦橋にはZ旗(ぜっとき)が....。皇国の荒廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ.....。と。それがなかったら....滅びる....。という状況にあって、お金がないから.....。司馬遼太郎さんの言葉をお借りすれば、日本の歴史において、もっとも勇気があり、知恵の限りを出し尽くした明治人の覚悟.....。腹を切って日本が救えるなら本望だ....。平和な(本当でしょうか?)現代の夏の午後、納品先に向かう道すがら、橋の上で大河・坂東太郎(利根川)の河口域にて....。ふと思い出した本の一節を.....。