銚子・角巳之・三代目

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シブウチワ

2008年03月15日 | 銚子で揚った珍しい魚

Img_2897 写真はブログ開始以来、2回目の掲載。本名シマガツオ。別名、エチオピア、またはシブウチワ....。前回はエチオピアとして掲載し、銚子の大先輩から、これはシマガツオ、別名シブウチワとも。と投稿頂きました。さすが浜の大先輩、何でも知ってる....。ところで何故エチオピアなのか?いまだに分かりません。またシブウチワとは、魚市場で表示されている名前。シブウチワ....、シブいウチワ...う~ん、何となくそう見える。最近、大量に揚がってます。


鹿嶋の夜景?

2008年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2900 写真は神栖市知手(しって)付近から鹿島臨海コンビナートを臨んだ夜景。この風景を見て、綺麗だと思うか?気味が悪いと思うか?....。日本を代表する工業地帯、このお陰で多くの雇用の場が生まれ、神栖市など莫大な税収による社会福祉の充実が地域住民の豊かな暮らしに大きく貢献している....はず。銚子からも多数の方々が働きに行っており、これがなければ過疎化が更に加速度的に進んでいたであろうことは明らかであります。が...。昨年末、このコンビナート内で非常に大きな爆発事故があり、4名の尊い命が失われました。原因は未だに判明せず、地域の方々は不安を隠せない様子。川崎でも北九州でもかつて訪れた工業地帯で必ず出てきた言葉....不安だ。これに対する反論、お前ら化学製品使わないで生活できるのか?使ってんだろ? これがあるから働く場所が確保され、その莫大な税収があるから社会福祉が充実してるんだろ...。これも必ず出てきた言葉....。でも不安だ....。という意見多数。いくら論理的に~だから“安全”だと言われても...。これ食品の安全・安心の議論に近い。また原子力発電の有無とも。いくら科学的な根拠を並べ、~だから安全だ。と言われても、一般人にそんな難しい言葉分からないし、不安の反語である安心は心の問題。不安だと言っているのに安全だ。という会話。当事者には良く分からないかもしれませんが、これ論点が食い違っております。原発の問題、そんなに安全なら一番電力を使っている東京に作れば?こういう意見、どう思いますか?荒唐無稽な論旨ではないと思いますが....(右欄書籍参照)。労働災害に付いて盛んに叫ばれているハインリッヒの法則。別名1:29:300の法則。1つの大災害には29のヒヤッとした事件があり、その背後には300もの微細だけれど放置された問題が隠されている....。この300を生むもの、馴れ合いの労使関係、緊張感の欠如、下請けいじめ....等と、ものの本やネットにありました。ラインを1時間止めれば~億円の経済的損失....。経済とは経世(世をおさめ)・済民(民をすくう)の意味なんですけど....。


グレート・ピレニーズ

2008年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2925 直売所に通う醍醐味は、同年代の農畜産後継者との心の交流。食糧危機が強く叫ばれている昨今、それは単なる励みなどではなく、使命感の共有とも言うべき領域に達しているように思います。新しい出会いも多い。昨日の鈴やさんもそう。多くの生産者、お客様もそうであります。そもそも休日を潰して直売所に参集する方々はどういう方々か?と考えれば一目瞭然。食に対する優先順位が高く、食糧生産に強い関心を持ち、国内生産者を応援しようとしている方々が殆ど....。通い慣れた場でありますが、いつも新鮮な驚き、出会いに満ちております。出会いは何も人間だけに留まらない...。写真は先週末に会ったグレート・ピレニーズのカール君。オス5歳の男盛りだそうです。グレート・ピレニーズ。別名ピレニアン・マウンテン・ドック。私は無類の犬好きでもありますが、いつか一緒に生活してみたいと切に願っているのが、このピレニーズであります。成犬の体重は70㎏以上にもなる大型犬、フランス・ピレネー山脈のきつい斜面で家畜を守るために改良された犬種。フランス王侯貴族に愛され、優雅で堂々とした体躯。飼い主やその家族には献身的な愛情を注ぐ穏やかな犬ですが、それらに危害を加えようとする人や野生動物には命を賭して立ち向かう勇敢さを持ち合わせております。オオカミや時に熊にすら向かっていくのだとか。そのピレニーズ、カール君が売り場に来た時、周囲の小型犬は興奮し、あちらこちらから一斉に吠え掛かられる....、がカール君、一切無視。全く動じない...。さすがピレニーズと思っておりました....。が、良~く見たら、カール君、周囲の人が差し出したヤキトリに夢中で、ヨダレ流しながら写真のようなポーズ....。フランス王侯貴族に愛された....、誇り高く....慈愛に満ち溢れ...勇敢な....犬。のはず....。それがヤキトリ1本で....。何事も過度に飼い慣らされるのは宜しくないようで.....。


一杯のうどんから

2008年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2933 写真はいつも印旛グリーブさんでご一緒させて頂いております、印旛郡・栄町の名店“鈴や”さんの肉うどん。写真ではこの美味しさが伝わり難いかと思いますが、食いしん坊の私をして、何だこの美味さは...。と言葉が出ない逸品であります。この美味しさは、毎年11月、東京日野で開催される収穫祭で、日野の小学生が地元産100%の小麦で作った手打ちうどん以来かと。“鈴や”さんも、日野の小学生も共通項があります。まず原料がほぼ国産100%で、素人が手間を惜しまず一生懸命に作る....。素人というと、鈴やさんのご主人に大変失礼ですが、この方も脱サラ組。何故うどんなんですか?と聞くと、自分が好きだから....。ここで言う素人とは、作り手の都合で考えず、ただ食べる人のことを思って手間を惜しまない人。とでも定義しましょうか。さてこの一杯。鈴やさんや日野の例は別格として、一般的に言えば輸入品の塊となっているはず。殆ど輸入の異常さに気が付かない異常...。小麦の自給率は14%で、大豆に至っては5%前後しかありません。このうどんで何故大豆?という事ですが、ダシの醤油です。醤油は大豆と小麦で作るんですね。結構ご存じない方多いです。東北大学の学生さんが本年1月に行った、日本SHOCK!フェアが波紋を呼んでおります。日本の食糧輸入がストップした場合、日本人の食卓はどうなるか?をメニュー化し、自給率39%の危機的状況を多くの人に知ってもらおうという事を目的に開催されたんだそうです。それによると、耕作放棄地や後継者問題がクリアになったとして、3食殆どがイモ主体のメニュー。昭和20年前後、戦後の食糧難の状態に限りなく近づくと。危機を煽るわけではありませんが、食糧危機はもはや、今そこにある危機であります。食糧危機は株安より円高より切実な問題だ....。農水省はこの4月から食糧安全保障課(仮称)の新設を決めたとか。今まで何度も議論されてきた食糧安保論が再燃しております....。まずはカネ払えば何でも買えるという傲慢さを反省すること、生産者への感謝の念を持つこと...。それらに気付けばおのずと行動が変ってくると思います。それから“労働の対価”について良くお考え頂きたい。これ、農畜水産業の後継者といつも話すことであります。詳細はいずれ掲載致します。一杯のうどんの中に、大きな問題提起があります。


スギ花粉....。

2008年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2869 東京で生活していた時、花粉症で悩む人が余りに多いのに驚いてました。自分は田舎出身。そんなの無縁だよ...。お気の毒に....。と思ってました。会社の後輩諸氏にも花粉症が多かった。東京、埼玉出身者に多く、お前ら都会のモヤシっ子で、根性ナシだからそんなもんに掛かるんだよ...と体育会らしい対応しておりました...が、3年前、自分も発症....。花粉症ってこんなに辛いのか?...。目はかゆい、鼻水は止まらない....。何事もその立場になってみないと分からない。後輩の皆さん、この場をお借りしてお詫びします。特に職場の後輩Y君、君の辛さが良~く分かりました。何も分からず、根性ナシと言ってしまった自分を恥じております。どうかお許しを....。写真は印旛グリーブさんで撮ったもの。テント張ってイベントしてたら、突然くしゃみが止まらなくなりました。強風で木々が揺れておりお店の方にあの木何ですか?と聞いたら、スギですよ。しかも花粉タップリ...。写真で臨場感が伝わるでしょうか?花粉症の方々にとっては恐怖の一枚。強風に煽られて、スギ花粉の直撃を受け、活動停止に追い込まれました....。完全に花粉症...。ただ最近、自分なりの対処法を見付けました。それが効いているのかどうか分かりませんが、私の対処法は“岩盤浴”であります。何故か、岩盤浴に行くと症状が軽くなる....。自分の体で追跡調査して参ります。


花筏さんリニューアル

2008年03月08日 | 花筏倶楽部

Img_2913 いつもお世話になっております、花筏さん。お店をリニューアルされました。店内は竹のディスプレイ....。粋であります。今回からは衣服の展示が多くなりました。衣食住、衣食足りて礼節を知る.....。ここは単なる販売店ではなくて、衣食住に関わる生活提案の場所であり、私も毎回勉強させて頂いております。昨年5月は印旛グリーブさんにて、花筏さんによる“暮らしの創造展”が開催されました。本年も開催予定だそうです。さて、本日土曜日。私は本日、明日とグリーブさんに出没予定であります。今回は新製品持参で。乞うご期待。


月亮代表我的心

2008年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2831 “月亮代表我的心”(ゆぇ・りぃあん・たい・ぴぃぁお・うぉ・てぃ・しん)....。直訳すると、“月は私の心を表す”....。鄧麗君(トン・リー・チェン:テレサ・テンと書いた方が馴染み深いですね)の美しくて優しい歌声が聞こえてくるようです。写真は犬吠埼から見たある日の月光。今まで見たり、聞いたり、感じたりした事、聞いた歌、記憶....全部が重なって、犬吠の月光を見ながら、何故か月亮代表我的心のフレーズが出て参りました...。本当にテレサ・テンの歌声が聞こえるようでした....。妙に合っている....。你問我愛你有多深・我愛你有幾分(あなたは私に、私への愛がどのくらい深いかと聞いた)我的情也真・我的愛也真(私の心は真実だし、私の愛も本物だ)月亮代表我的心(この月が私の心を表しております).....。中国・台湾を代表するラブ・ソング。テレサ・テン人気とも相俟って、50代以上の方でご存知の方も多いかと思います。これ東京の師匠がお好きな歌で、歌詞の意味は分かりませんでしたが、綺麗な旋律が忘れられずにおりました。それが犬吠の月光とともにふと頭を過ぎる....。君ヶ浜から見た朝日、ここではエルガーの“威風堂々”。イギリス第二国歌と呼ばれる曲。別名:land of hope and glory(希望と栄光の大地)...。そういえば犬吠埼とポルトガルのロカ岬は姉妹岬らしい...。イギリスとは関係ないですが...。銚子大橋の夕暮れ時はサイモン&ガーファンクルのlike a bridge over troubled water(明日に架ける橋)....が良く似合う。銚子は港町、ど演歌が似合う街....ではありますが、自然の偉大な営み、朝日、夕陽、月光....。こんな風景と共に世界各地の名曲が奏でられると、震えが止まらないほどの感動を覚えます。本日は柄にもない事を書いたでしょうか。でも銚子の自然はただ見るだけで終わらない...。犬吠埼で月光を浴びながら、月亮代表我的心....。しびれます.....。


桜梅桃李(おうばいとうり)

2008年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2889_2 桜と梅と桃と李(スモモ)...。春先に咲く花を合わせて桜梅桃李(おうばいとうり)....。桜には桜の、梅には梅の良さがある....。桜はそれ自体素晴らしいのであって、梅になろうとか、桃になろうとか、そう思ってはいけない。桜は梅になれないし、なる必要もない。桜はそれ自体、素晴らしい。同様に梅、桃、スモモも。から転じて、人もそれぞれであり、他者と比べる事はない。その人、独自の人生を行けば良い。という事を表した言葉なんだそうです。桜梅桃李....。日本の先達は本当に粋な言葉を残します。さて、そんな事を考えながら何気なくTV見ていたら、長岡藩・河井継之助の生涯を特集しておりました。司馬遼太郎さんの名著・“峠”の主人公である継之助....。幕末期、逼迫する藩財政を建て直し、若くして家老に抜擢された俊才。どこまでも故郷・長岡を愛し、どうすれば領民が豊かになるか?それだけを願った優秀な行政マン...。が、時代は幕末の変革期。薩長を中心とする新政府が旧幕府を倒しに攻め上ってくる。従わない藩を次々と武力制圧...。継之助は、日本人同士が殺しあう事は無意味で、それぞれの藩が協力すれば、より良い国が作れると説きますが、一顧だにされない....。そんな綺麗事言って、あくまで薩長新政府に逆らうなら、長岡を潰すぞと無理難題を吹っかけられ、そこまで長岡を貶めるなら戦うまで。と継之助はガトリング砲(最新の連射銃)など最新兵器を揃え対抗する。維新で最も苛烈と言われた北越戦争の始まりであります。新政府の力を失墜させかねないほど長岡は強かった。が、しかし兵力、物量が圧倒的な新政府軍に押し潰され、継之助も戦死。殆どの藩が新政府に逆らわず、屈辱的な地位に甘んじる中、会津と同様、義や地域の誇りを訴える。死後、継之助は沢山の犠牲者を出した無能なリーダーとして多くの長岡の遺族から罵倒され、その墓は石で割られ、ムチで叩かれた....と。が、現在は評価が一変。最後まで地域の誇りを持ち、日本人同士が殺しあう不条理を解く。その先には新しい日本という国の形を明確に描いていた偉大な指導者とされております。長岡の方々に聞いても、今は偉人として郷土の誇りだよ。との事。桜梅桃李という記事を書きながら、継之助の事を考えました。桜には桜の、長岡には長岡の良さがある。中央には中央、地方には地方の良さがある。比べることもないし、力ずくで屈服させることもない。地方は中央にはなれないし、なる必要も無い。地方は中央のミニチュア版を目指さずとも、無いものねだりせず、あるもの探しを...。と思った次第であります。


異体同心(いたいどうしん)

2008年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2885 “異体同心(いたいどうしん:体は異なるが心は一つ)なれば万事を成し、同体異心(どうたいいしん:体は同じだけれど心がバラバラ)なれば諸事叶うことなし”日蓮聖人のお言葉です。異体同心...、東京で勤務していた会社で何度も言われた言葉。退社して3年、今その意味が良く分かるような気がしております。お言葉は次のように続きます。殷の紂王(ちゅうおう)は七十万騎なれど、同体異心であったが故に戦に負けた。周の武王(ぶおう)は八百騎なれど異体同心であったが故に戦に勝った。殷、周は中国の王朝の名、紂王、武王は当時の為政者の名前かと。殷の紂王は強大な軍隊を持っていたが、傲慢で悪政をしいたために人心が離れ、兵士は真剣に戦わない。一方、周の武王の軍はわずか八百騎ながら、相手を倒すという明確な目標を全員が共有していたために少数なりとも強大な敵を倒した...。どうも紂王は殷王朝最後の王であり、それを倒したのが周の武王だったようです。昨日の桃園の誓い。とも近いお話。洋の東西、今昔を問わず、すべては人の行う事。人が沢山いたら...、お金が一杯あったら....という事の前に、異体同心の心。すべては心の持ちようと、それを共有する仲間で決まるようです。じゃないと、人が減って、お金がない地方都市は生きて行けないという事であります。ここでいう体とは、肉体そのもののことであると同時に、これまた昨日の地縁、血縁なども指しているように思います。血が繋がっていても心がバラバラなら何事も成就しないが、血の繋がりは無くても心が一つならば不可能はない。そういう事だと思います。


桃園の誓い

2008年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2893 “不求同年同月同日生、只願同年同月同日死......” 我ら同年同月同日に生まれることを得ざりしも、願わくは同年同月同日に死せん....。三国志に描かれた劉備、関羽、張飛の3人による義兄弟の契り・桃園(とうえん)の誓いであります。さて、桃の節句が終り、梅の花が命の胎動を見せ始めた今日この頃。冬の寒さから時に春の穏やかさを感じる...。出逢いと別れの季節でありますが、自然の営みは一年で最も華やかな季節。咲き誇る梅や桜に感動し、散り際の見事さに感嘆する。まさに日本人に生まれてよかったと思える瞬間であります。冒頭の言葉、正史・三国志には描かれておらず、三国志演義など庶民受け狙った作り話とも言われておりますが、この際、真偽はどうでも良い事。桃の花が咲き乱れるその下、志を立てた男達が義兄弟の契りを結ぶ。目の前に3人の息づかいまで聞こえてきそうであります。腐敗した世の中を嘆くだけで、自らは何もすることが出来ない....。その虚しさに打ちひしがれている時に劉備は関羽、張飛に出逢う....。“我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困っているものたちを救おう。国家に報い、民を安んずる事を誓う。我ら同年同月同日に生まれること得ざりしも、願わくは同年同月同日に死せん....。” 俗に地縁、血縁などと申します。血は水より濃いとも...。反対に遠くの親戚より、近くの他人...。本年から年間80万人というペースで未曾有の人口減少局面に入る国で暮らしております。血が水より濃い...本当でしょうか? 縁(えにし)とは何なんでしょう? 桃園の誓い...。人口減少率千葉県ワースト1位の街に暮らしておりますと、実に様々なものが見えて参ります。血は繋がっていないけれど、一緒に過ごす形式はちょっと違うかもしれないけれど...、それでも繋がりを感じる。繋がっていると感じられる安心感が、日常生活をより豊かに変えていく....。写真は水戸・偕楽園の梅。まだ一分咲きくらいでしょうか。水戸の黄門様の辞世。花は散りそろ・人は死にそろ・この世は夢よ・ただ狂え.....。狂うほどに熱い人生を送ってみたいものです。それを既存の概念ではバカというのかもしれませんが....。


ブル・ウィップ効果

2008年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2850 ブル・ウィップ(牛のムチ)効果と呼ばれる現象があります。ムチは手元を少し動かしただけで、先に行くほど振れ幅が大きくなる....。SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)という言葉を説明する時、その障害となる与件として登場致します。SCMに付いてはいずれ掲載しますが、要するに、見込み生産を止めて、お客様の動向を小売が掴んで、卸に上げて、それに基いてメーカーは計画生産...。メーカーから小売に至るすべてが情報を共有し、ロスを無くしたり、効果的な販売を行っていこうという画期的な手法。ただこれが伝言ゲームのように遠くに行けば行くほど真意が伝わり難くなる。ある地域で運動会がある。小売はそれを掴んで、その日の飲料水の発注は通常10ケースだけれど、30ケースにしようと卸しに告げる。卸は万が一にも欠品起したらいけないと思い、余裕を持って50ケースとメーカーに告げる。メーカーも、せっかくの機会、これまた万が一売れ逃しがあったら大変だと100ケース製造する....。30ケースで良かったものが100ケース....。実際の現場はこんな単純ではありませんが、情報は遠く離れれば離れるほど振れ幅が大きくなる傾向がある。さて、先週末も直売所さんはじめ各地を訪れておりました。各地の青年部会の方々とお話しすると、あちらこちらで中国の農薬問題を鑑み、これからは国産。の声が上がり、今すぐ中国商品の代替を。という依頼が沢山舞い込んできているようです。今、種撒いたって、収穫は半年後ですよ。と言ってるんですけどね~。のど元過ぎたら熱さ忘れ、やっぱり価格。中国産だよね~。と言い出すんじゃないんですかね...。と疑心暗鬼。で冒頭の、ブル・ウィップ効果を思い出した次第であります。距離が離れれば、離れるほど真意が伝わらない....。週末に訪れた数箇所の直売所。どこも大盛況でありました。農家レストランは開店1時間前から行列....。この現象は何を意味しているんでしょうか?


ジョナサン②

2008年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2859 カモメのジョナサンは空を飛ぶのはただエサを獲るため“だけ”にあらず。と、群れを離れた...。でも、エサは絶対に必要。兵庫県豊岡市のコウノトリの話があちらこちらで話題になっております。コウノトリが舞う風景...。それは単なる情緒の話ではなく、地域のあり方、果ては人間の生き方まで示唆している....。コウノトリなど野生動物が生きて行くためにはエサが必要。田んぼのカエルとかドジョウとか。田んぼに農薬撒くと、害虫を殺してくれるけれど、野性動物のエサとなるカエルなども死んでしまう。農薬撒かないと雑草などで反当りの収穫量が減る。それでなくても1俵1万数千円の低迷する米価。生産者はやっていけない...。どんどん離農する。管理が行き届かず、耕作放棄地への産廃不法投棄問題など副次的な問題も発生する....。発想を根本から変えて....、地球上には人間“だけ”生きていければいいんだ。という傲慢な発想を改める。野生動物が生きて行くためのエサがある環境を作る。その環境を作っているのは多くの場合、農家のみなさん。何故離農するか? 米価が低すぎて食べていけないからだ。ならば直接支援の輪を広げられないか?農家の方々が米作るのは、単に食糧生産に留まらず、地域環境を守っている。同様に食べる方もただ食糧を腹に詰め込むのではなく、その米を食べる(妥当な対価を支払って)という事は野生動物が舞う、地域環境を守ることに繋がると意識し始める....。支援の輪がさらに広がる....。食糧自給率39%と諸外国から笑い飛ばされている国。食い物も自給出来ないで何が大国だ?と....。唯一自給出来る米が大量に余り、米価が低迷している....。この期に及んで、まだカネで解決できると思っている....。カモメも野生動物。エサがあると知っているから漁港に集まる。海の環境が守られて、魚を獲りに行く人がいてはじめて成り立つ図式...。農業も漁業も従事者の平均年齢が60代の後半に近づきつつあります。ジョナサンはエサがふんだんにある社会であったが故に、より高く、早く飛ぶという思いを持つに至ったのだろうと思います。エサが無ければ死んでしまいますから....。カネがあっても買うことが出来なければ無いのと同じ...。最近、食糧危機という事、盛んに叫ばれてますね。


ジョナサン①

2008年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_2847 カメラを構えて風景を撮っていたら、偶然目の前を一羽のカモメが通り掛り、運良くカメラに収まってました...。で、ふと、ジョナサン....と出てきました。カモメ=ジョナサン、ああそうだ、カモメのジョナサンね。と...。1970年代に大ベストセラーとなった本でしたでしょうか。カモメのジョナサン。今の50代くらいの方々が青春時代にお読みになられた本でしょうか? 薦められて何度か読んだ記憶はあります。殆どのカモメはエサを取るために空を飛んでいるが、ジョナサンというカモメ(寓話なので)はエサを取るためでなく、早く、高くを目指すことを目的に空を飛んでいる。そんな彼の姿は仲間から異端扱いされ、やがて群れを追放される....。それでも早く、高く飛ぶことを目指して鍛錬する彼の前に、仙人のような別のカモメが現れて、彼をより高い次元へと導いていく....。たしかそんなお話。1970年代のヒッピーとか、学生運動とか、生活の為に理想を忘れ、飼い慣らされていく事に反発を感じた世代が熱狂的に支持した書。そのジョナサン世代の方々もそろそろ定年を迎えるようです。その世代の方々との交流が多いのですが、家族とか、事情あって飼いならされる生活を選択したけれど、定年後はもう一度、ジョナサンに。そういう方、かなり多いです。それが荒唐無稽であれ何であれ、時代、時代を懸命に生きた方々には大きな魅力が備わっております。お腹はちょっと出て、昔のような馬力は無くなったけれど、大きな知恵をお持ちの方々、自らは動けなくても、その影響力で周囲を動かしてしまうという方、何人も存じ上げております。そんな方々はどんな20代、30代を過ごしたんだろう?という事ですが、燃えるような50代を過ごしている方は間違いなく、燃えるような40代を過ごしており、燃えるような40代を過ごしているている方は、燃えるような30代を....。少なくとも、どうせ~だから...。しょうがないよね~。なんて言葉は出てこない方が殆どです。仕事も遊びも一生懸命。先日50代後半の尊敬する先輩に会いました。満面の笑みで、でも目は鋭く....。全然かなわない。と思いました。まだまだ修行です。