銚子・角巳之・三代目

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翔天の碑①

2021年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、翔天の碑...。特攻隊に志願し散華された(当時の)若者たち追悼の碑...。銚子市春日台
・市立銚子高校(愛称:お山)の坂を昇り、正門の先200mくらいを右に曲がると、公園が
あり、その公園内にひっそりと...。この場所、戦時中に飛行場があったようです...。

碑には、下志津陸軍飛行学校・銚子分教場跡地と書かれておりました。志津というと現在の
佐倉市周辺の印象なのですが、本部は千葉市だったようです。千葉県内には銚子と八街に分教場
が設置され航空機搭乗員の訓練と教育を行っていたとのことです。

戦争末期、いわゆる特攻作戦が開始されると、この教場で学んだ若者が八紘特別攻撃隊を編成、
志願した若者のほとんどがフィリピン沖で散華された...。散華と言う表現、華を散らすの意から
転じて若くして死亡を表す表現ですが、死を美化するなという意見も多い事、承知しております。

表現として適切か否か分かりませんが、この地で確かに生きて学んでいた若者が敵艦に体当たり
せよ。という命令で命を落とす...。時代と言えばそれまでの事でありますが、この方々の礎の下
に今があるとするなら、今を嘆くことは英霊への侮辱ではないか...と。続きは次回に。