銚子・角巳之・三代目

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黒潮会

2007年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1231 銚子は黒潮と親潮の交差点。魚もそうですが、太平洋岸の(人の)交流も数百年に渡って活発に行われていたようです。飛行機も電車もトラックも無い時代、モノやヒトの運搬には船が用いられる事が多く、江戸時代くらいまで、その水路の要衝が人の集る交差点であったようです。ヒトが集るとおカネや情報なども集り、益々栄えていく....が、水運の衰退と共に街が衰退を始め......。現在、環境に優しい運搬手段として水運業が見直されておりますが、今すぐに江戸時代のような世界に戻れる訳でなし...。ただ人の交流は今でも続いております。特に黒潮の流れに沿った交流。宮崎、高知の延縄船が銚子に多く寄港している事は既報の通り。和歌山と銚子(というより千葉県)の交流もかなり深いです。南紀勝浦(和歌山)、勝浦(千葉)、南紀白浜(和歌山)、白浜(千葉)と同じ地名があるのもそうですが、銚子でも祖先を遡ると和歌山に当たる。そういう方、かなり多いです。市町村単位、漁協単位等での交流も活発のようです。銚子は九州出身者が結構多い。実は東北出身者も多い。男なら・銚子へ行くを・東慶寺。確かこんな歌があったと思います。東慶寺とは鎌倉にある縁切り寺。女性は尼僧にならなければ俗世間のしがらみから逃れられないが、男は銚子へ行けばよい(そこで新たな生活が始まる)そんな解釈になるのでしょうか。黒潮・親潮の交流や、江戸から東を目指した方々が長い年月を掛けて独特の雰囲気を醸成してきた。これまた銚子の魅力なのかもしれません(最近は出て行く方が遥かに多く寂しい限りですが....)