銚子・角巳之・三代目

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まだ見ぬ誰か...①

2024年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の続きのようになってしまうかもしれませんが...。既存の制度や仕組みに疲労が溜まり、
前例踏襲ではなかなか適切な答えに辿り着かない昨今です。これは昨今の特徴というより、
20年以上前から予兆があって昨今それが顕在化している...と言った方が正確かと思います。

何が正解か分からない中、組織や個人間で合意形成を図るのは非常に難しいことです。殊に
長が付く“偉い方”、リーダーなどと呼ばれている方の苦悩は察して余りあるものですが..。
それでも意を尽くし、みんなの意見を聞き、合意形成を“はからなければ”ならない...。

その際に視線の先に感じるべきもの...、“まだ見ぬ誰か” 難儀な合意形成から逃れようと、
理事会等の多数派工作に明け暮れる。肩書にしがみつき周囲にはそれに忖度させる...。何と
おぞましいと思いきや、周囲からは良く聞こえて参ります〇〇一任!これはまずいです。

〇〇一任、本当にこれはまずいです。合意形成ですから。そして多くの場合、合意形成された
事項は現在ではなく未来の方々がその影響を大きく受けるもの...。そんな先のこと知るか!
だったり、考えたフリしているが言葉が軽かったり...(続きは次回に)

祈る他なし...(最終)

2024年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

木の削り方には特徴が出るようです...。昨今は削り過ぎ等の失敗を恐れ、また上手にやろう
として、少しづつ削っていくのだそうですが、解体され修復を待つ部材を見た棟梁。この削
り方、心に全く迷いない。何故?どうして?と考えた時、師匠の言葉が分かった気がした...と。

創建当時の職人(TVでは“工人”と)の気持ちになって...。これだけの大事業に関わる職人たち、
適当に誤魔化して...こんな方は皆無だろう。上手くやってやろう...。だったら少しづつ削って
行くはず。この迷いのない削り方、大切な方を無くした等、祈る他ない心境であったのだろう...。

上手にやろう。後世に名の残る仕事をしよう。これだって良い仕事をするに十分な動機。しかし
ながらそれらを越える“不朽”の仕事は、その創建当時における人々がもはや祈る他ない理不尽な
出来事の中でもなお、逞しく生きようとしていた証が垣間見れるものなのかもしれません。

歴史を振り返ったり、まだ見ぬ(現在は生まれてもいない。これから生まれ・生きてく人々)
そんな誰かを想ったり。ここにあるもの“畏れ”であり、この対極にあるのが傲慢さかと思います。
そしてその傲慢さから発せられる副作用が昨今周囲で多々見受けられます...。

祈る他なし...③

2024年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

そして本日、9.11...。“祈る他なし”という心境、その象徴的な日のひとつかと思います...。
写真は二日ほど前...。会社出勤中に空を見上げたら非常に綺麗な(清々しいというべきか)
風景が飛び込んで参りまして、海沿いに迂回し何か所かで写真を...そんな次第です。

さて友人の言葉、後世の銚子人(日本人でも、千葉県人でも、はたまた地球人でも)まだ
見ぬ方々...。現在の最新設備もやがて老朽化し解体され再建される(かもしれない)その時
その(仕事)の足跡を見て何と言うだろうか?。このこと極めて重要と感じました...。

国宝(薬師寺・東塔)の再建をTVで聞きかじり、そのことと一緒にするのはおこがましい
と感じもしましたが、根底に流れる精神世界は同じ...。創建当時の方々に思いを馳せるという
ことは、現在生きている我々が(まだ見ぬ)後世の方々のことを想うことと同じでは...と。

温故知新...まさにこの言葉がピッタリと。薬師如来は人の病気平癒など心身の健康を司る...。
故にこの薬師寺が建立されるに至る理由は、疫病蔓延した1300年前の奈良・平城京の姿。
人々がもはや“祈る他なし”の心境の中で救いを求めて...(この話題、次回で一区切りと致します)

祈る他なし...②

2024年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム

写真は銚子第一市場...(写真が遠くて申し訳ありませんが、遠くに見える五重塔の前面すべて
魚市場(近海生マグロ専用・高度衛生管理型市場です)。もともとこの場所が銚子港(市場)で
現在は外港に第二、第三と市場が拡張され機能は分散しております。

私が銚子で学生生活していた頃(高校生まで)銚子の魚市場とは、この第一市場(旧市場)が
中心。第二は出来ていましたが、第三はまだありませんでした。そして出戻り(約20年前)
中心は第二、第三となっており第一は老朽化した市場のままマグロの水揚げのみ行ってました。

ブログのバックナンバー15年以上前、ここに旧市場の写真あります。創建当時は最先端で
あったであろう旧市場が機能を失い、しかしながら解体もできず、風雨にさらされただ朽ち果て
て行く姿...。そこに東日本大震災...。柱が折れて激甚災害指定となって...。建て替え工事が。

ここで同級生の言葉...。魚市場という建造物は30年~50年使うもの。その後は改修や建て替え
需要もあるだろうが、その時我々世代は生きている可能性が少ない。後世の銚子人が見るのは
その“仕事(の痕跡)”のみ。その時、何と思われる仕事を今行うのか...(続きは次回に)

祈る他なし...①

2024年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

本日、9月9日...。重陽(ちょうよう)、菊の節句...はたまた99(救急)の日...。9という
数字が重なり、縁起が良い日という人あれば、不吉だという人も...。何かに付けて“祈り”と
関連付けられた行事や言い伝え多いです。99は語呂合わせと思いますが...。

さて先日、またしてもプロジェクトXにて..。今回は薬師寺・東塔の全面改修。数年前に
掲載しました法隆寺・伝説の棟梁(宮大工)のお弟子さんが挑む改修工事。これは非常に
示唆に富んだ内容でありました...。修復は創建当時の方々の気持ちになって...と。

少々話は飛びますが写真、銚子大橋。昭和30年代後半に掛けられた銚子・波崎(鹿島)
を繋ぐ大動脈です。そして明日、銚子第一・第三漁港付近を掲載予定ですが、番組を見て
この2つが私の頭の中で重なって見えました。再び...創建当時の気持ちになって..と。

以上2つの建設(大橋、漁港の改修・立替)に私の同級生が携わっておりました。普段は
冗談ばかり言っているような人なのですが、仕事への姿勢はプロ中のプロと感服しており
ます。建造物はやがて修復を必要としたり建て替えが行われたりする...その時(続きは次回に)

正五九...。

2024年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

まだまだ残暑厳しいですが、9月に入りすでに1週間が過ぎました...。暑い・暑いと嫌気が
差しておりますが、今年も秋が短くあっという間に冬が来て、今度は寒い・寒いと暑かった
日々を懐かしく思うのだろうと思います。そうやって日々が過ぎて参ります...。

さて最近“祈り”ということを考えております。考える...とは少し仰々しいならば、思うとか
感じますとか..そういう感覚です。そしてここは日本国、季節の巡りに様々な祈りがあり、
そうだ9月か...ということで正五九(しょうごく)参り...と。

曰く、正月と五月と九月に尊崇神社に詣でなさい...。こういうことかと思います。その作法
等は詣でる場所で様々ながら、この4ケ月に一回ということ...季節の巡り...。正月(始まり)
五月(勢いの盛んな時)或いは田植え時期。九月(実を結ぶ時)或いは収穫時期...。

昨今話題のお米...。そのお米を作る田んぼと生産者...。お米...と言う収穫物の価格とか在庫量
ばかり喧伝されておりますが...。岸壁にスズメがいました。スズメは田んぼでは少々厄介な
存在らしいですが...。取り留めありませんが正五九参りの季節(9月)ですね...ということ。

ジタバタ...③

2024年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

ジタバタするな...。もう手遅れだおとなしくしろ。感覚的には上から目線というのでしょうか、
大人が子供を諭すような感覚なのかもしれません。そしてジタバタするなと若者を諭す大人は
余裕あり格好良い...と一瞬そう映るようです。確かに非常事態には人間の本性が現れる...。

要はそれが本当の余裕から生まれ、冷静に状況を見ながら次の手を打てる人なのか?たんなる
思考停止状態の人なのか...と言う事であります。自らが乗る船が沈没しかけているのにこれは
私の責任ではありません...。そんな人いないだろうと思いきや結構それに近い事例を見掛けます...。

以前、(先輩からの受け売りですが)、日本人はそろそろ怒らないといけないですね...とそんなこと
を掲載したかと思います。全くその通りです。そしてこのジタバタもその(怒れ)に近い感覚かと
思います。故にジタバタするなと余裕のある“フリ”を止め、もう少しジタバタして下さい...と。

これまた私の感覚ですが、もう少し必死にジタバタしてみませんか?このこと閉塞感を感じる昨今
その突破口になるのではないかとさえ思っております。このジタバタ...必死にもがくことが結局
のところ生きることで、先週の標語...限りある人生を大切に..繋がるものと感じております。

ジタバタ...②

2024年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

ジタバタ...と言う言葉を辞書で引いてみると、手足をバタバタと動かすさま。或いはある状態
から逃れるために慌てたり焦ったりするさま...と書かれていました。イメージ通りかと思います。
そして多くの場合、後ろに否定形が入って、ジタバタするな...等と使われることが多い...。

8月31日に夏休みの課題が終わっていない。どう考えても今日1日で終わる量ではない...。
今さらジタバタするな...。試験や試合は明日だ...ジタバタするな...。例えが悪いでしょうか?
しかしながらこういう文脈で使われるのが一般的であります。

他方、そんな状況(何とか逃れようと慌てたり、焦ったりする状況)において、涼しい顔して
いる方もおります。これは大物・凄い胆力だな~と“一瞬”思いましたが、どうも様子が違うよう
でした。そもそも状況の認識が違っていた、究極的に私の責任じゃないです...この一点でした。

客観的に見て、(自らを含め)非常に厳しい状況になっている。例えて言えば乗り込んだ船が
沈没しかけている。生き残るために救命ボートを探す等々、ジタバタするだろうと思いますが...。
これは私の責任ではありません...。傍から見たら本当に滑稽な姿で...(続きは次回に)

ジタバタ...①

2024年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

本日(も)写真ピンボケですいません...。いつもの妙見様(の標語)です。今回の内容ですが、
まさに“当たり前のこと”...。あれ...いつも“当たり前なんてない”と書いているじゃないですか...
ということですが...。禅問答のよう袋小路に入りますので詳細を避け、ただ死生観...と。

死生観...。これまた深い領域で私などが軽く取り上げるべきではないと思っておりますが、
お寺の標語で見て、生きる死ぬというレベルではありませんでしたが入院し、手術を経験する
と何故か心に染み入って来るような気がします。

若いうちに人生に限りあります...と聞いても、なかなか実感ありません。反対に年齢を重ねて
から限りあります...と聞いて、何を感じるか?満ち足りた気分でいる方もいるかもしれないし、
後悔ばかりの方もいるかもしれない...。それでも容赦なく時間は過ぎる...。

誰にでも、何にでも終わりはやって参ります。その終わりを“死”とした時、そこに向かう自分
自身はどう振舞うのだろうと思いました。恐らくジタバタ...する。このジタバタ...ということ、
最近何故か連発している自分がいることに気付きまして...(続きは次回に)

和田不動尊②

2024年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

一帯は小高い丘...と言う感覚でしょうか、階段を上がるとすぐに本堂が見えます。息切れする
ような長い階段ではありません...。ご本尊は不動様(不動明王)ですが、階段上がってすぐの
ところに“波切不動”さんの表示がありました。これまさに漁業者からの信仰篤い所以かと...。

モノの本を読むと波切不動とは、弘法大師が載った遣唐使船が嵐に遭遇し往生していた時、
大師が唐で作った不動明王に祈ったところ波が切れて鎮まった...。この不動明王は波切不動
と呼ばれ、今でも高野山に安置されているとの事...。時化を乗り切るに...祈り。

現在よりも船体も操船技術も劣っていたであろう(その当時)、大きな時化が襲ってきた時
人智を越えた存在に祈ることの他、人間に出来ることはない...。恐らく今も祈る他ないはず
なのに、克服した。乗り越えた。技術が勝る...。知らず知らず傲慢になっていくようです。

漁業者の方々、豪快で一本気。気持ちの良い方が多いですが、案外繊細で(臆病とも)、
信仰心が篤い...。これは知人の漁師さんに言わせれば“心の中に不動様がいるからよ”...。
臆病と認識していることが強さです。和田の不動様もそう言っておられるようでした...。

和田不動尊①

2024年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

先般掲載しました和田不動尊...。40年以上前に通っていた中学校(銚子一中)の近くにあり
まして非常に身近なんですが、実際のところ(当時)はこの付近に立ち入ったことはなく、
大人になって(銚子出戻り生活を開始したころ)漸く、境内に入って見た...と言う次第です。

一帯が東部不動が丘公園となっており、私の記憶(15年くらい前)だとこの地でNPOの
方々が“冒険遊び場”なる、子供向けの非常に為になる取組をされていたこと思い出します。
ここにいる子はロープの結び完璧で、枯れ枝数本で火を付けることが出来ます...。

少々横道に逸れました。銚子に戻って間もない頃、地方都市はミニ都会を目指すべきではなく
地方都市なりの優れた(良きもの)を伝承して...この言葉に深く感銘を受けました。ロープ
を結び、枯れ枝で火を起こす...。都会っ子には出来まい...そんな誇り、自尊心を育む活動...。

さてさて和田不動尊のこと、銚子第一、第二、第三...すべての漁港が見渡せる高台、自然ここ
は漁業者の信仰篤く、海に関係する伝承が多々あるところ。不動様の日(28日)、たまには
下から上がって見るかと入口に着いたら猫が迎えてくれました...(続きは次回に)

形骸化(けいがいか)②

2024年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

いかなる物事にも必ず始まりがあり、何かが始まるということは始まるに至った経緯があって
それらに挑もうとする人々の気概があった...はず。そして始まりがあれば必ず終わりがあるもの
ですが...。何かが始まって・ピークに達し・下降線を辿り・完全に終わるまでの課程に...形骸化。

形骸化という言葉が頻繁に出て来るようになったら、その物事はもうそろそろ終焉を迎えます。
というサインなのだろうと思います。具体的な事例の言及は本日避けたく思いますが、ちょっと
これは酷いという現象(或いは組織運営など)...毎日のように目に耳に飛び込んで参ります。

具体例は避けますが、形骸化に向かう...そんな場面で出てくる言葉の数々にも特徴があるように
感じています。〇〇の為に...(そう思ってないのに:或いはそう言ってさえいればOKのような
雰囲気)、決まりなんで(守ってないのに)、そして最後は共通項...メンツが....。

メンツ(面子と書くのでしょうか)。プライド(誇り)というのとは全く違う概念かと思います。
知人が吐き捨てた言葉...、実力無きメンツは哀れだよ...。実力を行動と置き変えても同じだ...と。
ちょっと前までトランスフォーメーション...、DX,...これら言葉“形骸化”しないことを祈ります。

形骸化(けいがいか)①

2024年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

さて本日から9月...。台風余波で銚子周辺もスッキリしない(快晴のち豪雨など)天気が続いて
おります。もう2~3日こんな天気が続きそうな予報出ておりますが、9月に入り数えてみると
今年(辰年)もあと4ケ月です。こうやって容赦なく時間は過ぎ去っていくのです...。

本日のタイトル“形骸化(けいがいか)”...。最近この言葉、私が耳にする単語のベスト5以内には
必ず入っているだろうと思われます。それだけ頻繁に聞いている言葉。裏返せばこれも世相を表す
キーワードの一つかと思います。形骸化...、中身のない形だけのものになってしまうこと...。

辞書等でもう少し詳しい内容を調べると、誕生・成立した時の意義などが失われて中身のない
形だけのものになってしまうこと。形骸化の骸(がい)という字は(骨や骨組みを表す)...。
精神・肉体が滅び、物理的に残るもの無機質な骨...。これが形骸化の語源(イメージ湧きます)

形骸化、形骸化...と私が耳にする機会(ほぼ100%仕事の場にて)が多いのは、それだけ仕事
関連で変化が多いということかと思います。ここでいう変化もまた、赤信号が青信号に変わります
という(チェンジ)ではなくて、根本的に変わります(トランスフォーメーション)続きは次回に。