風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

涙のレポート

2016-03-12 | 世界・平和
5年前のあの日の
記憶に残る忘れられないことをひとつ。

当日の夜は、震度5クラスの余震が続く中
真っ暗な停電の夜をまんじりともせずに過ごした。
テレビもPCももちろん使えず
電話も携帯も(webすら)まったく通じない中
唯一の情報源は電池式の小さなラジオだった。
何しろとにかく詳しい状況がわからない中、
「自分がいる場所だけこんな目に遭ってる」
とすら思っていたのだ。
「無事でいることを周囲に知らせなきゃ」と。

夜、ラジオからは驚愕のニュースばかり流れる。
「東京でも震度5???電車とかどうなってんの?」
「沿岸部が壊滅的被害???壊滅的って何?」
アナウンサーの言葉を聞いてもまったく理解できない。
当地のラジオで、
小さなアンテナだけで綺麗に受信できるのは
NHK第1、第2とIBC岩手放送だけ。
はじめはNHKの放送を一生懸命聞いていた。
だって民放は肝心なところで
CMが入るものだと思い込んでたから(笑)
でもNHKでは盛岡放送局からの
「沿岸部が壊滅的被害」という抽象的な言葉の他は
全国ニュースで「政府が緊急対策本部設置」なーんていう
はっきり言って当事者にはどうでもいい情報ばかり。
知りたかったのは知人もたくさんいる沿岸の詳しい状況と
内陸部の被害情報(鉄道、道路、電気、ガス、水道など)。
そんな具体的話はNHKからは聞こえてこなかった。

周波数をIBCに合わせた途端に聞こえてきたのは
高校の13期下の後輩で既知の神山浩樹アナウンサーの声。
なんと彼はまだ誰も地上から報道がたどり着いていない
陸前高田の街に単身潜入していたのだった。
(恐らく信号も消えた真っ暗な道を行けるところまで車で行き、
 あとは山から歩いて入って行ったのだと思う)
神山アナのラジオからの声にかじりついて聞いていた
私たちに聞こえてきたのは
「あー・・・」「うわぁ・・・」「えー!?」という
彼の悲鳴の合間の途切れ途切れの現場レポート。
アナウンサーとしてのテクニックやルーチンを超えた
それは彼の生身の声だった。
普段は明るいキャラクターで視聴者に愛される彼の声が
涙と時々の嗚咽でくぐもる。
ようやくたどり着けた避難所の一ヶ所では
レポートどころか目の前の一人一人の名を呼び始める。
「この人は助かってますよ」「この人はここにいますよ」
ということだったのだろう。
「他にもあちこちに避難している人たちがいる模様ですが
 どうやってもたどり着けません」
という悲鳴に近いレポートにこちらも涙が出てくる。
彼の、文字通り必死のレポが
起きている事態の大きさと深刻さ、大変さを
映像以上に物語っていた。

結局停電が収まり、電気が通じた2日後まで
私たちが有意義な情報を得られた手段は
IBCラジオと翌朝ペラ4ページもので配達された岩手日報紙。
(岩手日報も青森の東奥日報に印刷を頼んだとのこと)
全国放送や全国紙は、少なくとも渦中にいる身としては
正直何の役にも立たなかった。
どこで誰が助かり、誰が犠牲となり、どこが被災し、
どこで何が売られていて、いつ物流が回復し・・・
その時本当に知りたい情報はそういうこと。
首相談話や支援の宛先じゃない。

神山アナのあの涙のレポートの声は
いまも鮮明に耳に残っていて、忘れることができない。
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