風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

英霊たちの応援歌

2008-05-28 | 風屋日記
東京六大学野球春のリーグ戦では
早稲田大学の連覇を阻止して
明治大学が意地の優勝を昨日決めた。
リーグ戦直前に手首を骨折した
明治大学の主軸打者佐々木大輔くんは
リーグ戦途中から大怪我をおして出場し、
対法政大学2回戦では同点に追いつく本塁打を打つなど
なりふり構わぬ、明治スピリッツを体現した優勝。
心から拍手を送りたいと思う。

さて彼らは今だいたい20歳前後。
今年の新入生は現役入学生なら全員平成生まれだ。
今から60年以上も前にも
20歳前後の選手達が神宮で青春を野球に賭けていた。

「英霊たちの応援歌~最後の早慶戦~」
            神山圭介 著 文春文庫

そして戦局悪化によりリーグ戦中止、
現役学生の徴兵猶予解除、学徒動員と運命が変わる中、
それぞれの野球少年達は特攻へと駆り出されて行く。
大正12年生まれの死んだ親父と同じぐらいの人達かな。
まだ紅顔の少年ぽさを残した若者たちだったろう。
血気に任せて敵艦に飛び込んで行った若者たち。
生きていればもう80歳を越している。
そんな老人たちも20歳前後の頃は生き生きと、
今の選手たちとまったく同じように白球を追う姿が
この本には描かれていて眩しく感じた。
なんだ、今の選手たちと何もかわらないじゃないか・・・と。

いつの時代も老人はいる。
私のようなオッサンたちもたくさんいる。
しかしその人達にもかつては若者と呼ばれる時代があり、
その時、その時でそれなりに若い血を燃やしただろう。
過ごした時代や社会に揉まれ、翻弄され、
そして「今」があるはずだ。
「ジジイ」「オヤジ」とひと括りに蔑むのもいいが、
(若者は大人を乗り越えていかなければならないからね)
それらの人達にも自分たちと同じように
笑い、怒り、悩み、遊びながら過ごした時間があった事を
どこか頭の片隅に置いて欲しいと思うのだ。
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2 コメント

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Unknown (Dancho)
2008-05-30 22:10:44
このエントリー…心に染みいる感じがします。

何かに没頭し、それが色あせたとしても、心の中に宝物として残る限り、重ねるのは「数字としての」年齢だけであって、こうした貴重なものは、言葉が適当でないかもしれないのですが「ビンテージもの」として永遠に輝きを放つものになるような気がしてなりません。

小生の場合、やっぱり高校3年間の応援団で過ごした日々がそれに該当しますし、あれから20年経ちましたが、世代近くはもちろんのこと、小生達が現役の頃にこの世に生を受けた後輩達と世代を超えて、「応援団で過ごした3年間」を肴に酒が呑めること…これ、凄く貴重ですし、今の世の中にあって、なかなかないことかも知れない…と、良くしていただいている2年先輩と話をしたことがあります。

年齢だけは死を迎えるまで誰しも平等に重ねるけれど、心にどれだけの財産を手に入れたか…で、人としての輝きは、そう褪せることはないような気がしますね…。
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>Danchoさん (風屋)
2008-05-31 08:16:18
人は誰しもその一瞬に生きているのではなく
時間とともに流れながら生きているのですね。

この本を読んでいて感じたのは
先日まで熱い戦いを繰り広げていた選手たちと
60年以上前に爆弾とともに敵艦に突っ込んでいった青年達と
野球を通じてみると何も変わらないじゃないかということ。
ユニフォームや道具の素材、
ヘルメットを被りバッティンググローブをつけるスタイル、
そして少しお洒落になったぐらいの違いで
1球に泣き、笑い、熱くなる姿は何も変わりません。
その青年達がなぜ死ななければならなかったのか。
生きた時代が違うというだけではなく
今の選手たちもこれからどんな人生が待っているのか
わからないですよね。
かつての選手たちのような運命を受け入れなければならない
そんな暗い時代を作ってはいけないと思うのです。
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