東京六大学野球春のリーグ戦では
早稲田大学の連覇を阻止して
明治大学が意地の優勝を昨日決めた。
リーグ戦直前に手首を骨折した
明治大学の主軸打者佐々木大輔くんは
リーグ戦途中から大怪我をおして出場し、
対法政大学2回戦では同点に追いつく本塁打を打つなど
なりふり構わぬ、明治スピリッツを体現した優勝。
心から拍手を送りたいと思う。
さて彼らは今だいたい20歳前後。
今年の新入生は現役入学生なら全員平成生まれだ。
今から60年以上も前にも
20歳前後の選手達が神宮で青春を野球に賭けていた。
「英霊たちの応援歌~最後の早慶戦~」
神山圭介 著 文春文庫
そして戦局悪化によりリーグ戦中止、
現役学生の徴兵猶予解除、学徒動員と運命が変わる中、
それぞれの野球少年達は特攻へと駆り出されて行く。
大正12年生まれの死んだ親父と同じぐらいの人達かな。
まだ紅顔の少年ぽさを残した若者たちだったろう。
血気に任せて敵艦に飛び込んで行った若者たち。
生きていればもう80歳を越している。
そんな老人たちも20歳前後の頃は生き生きと、
今の選手たちとまったく同じように白球を追う姿が
この本には描かれていて眩しく感じた。
なんだ、今の選手たちと何もかわらないじゃないか・・・と。
いつの時代も老人はいる。
私のようなオッサンたちもたくさんいる。
しかしその人達にもかつては若者と呼ばれる時代があり、
その時、その時でそれなりに若い血を燃やしただろう。
過ごした時代や社会に揉まれ、翻弄され、
そして「今」があるはずだ。
「ジジイ」「オヤジ」とひと括りに蔑むのもいいが、
(若者は大人を乗り越えていかなければならないからね)
それらの人達にも自分たちと同じように
笑い、怒り、悩み、遊びながら過ごした時間があった事を
どこか頭の片隅に置いて欲しいと思うのだ。
早稲田大学の連覇を阻止して
明治大学が意地の優勝を昨日決めた。
リーグ戦直前に手首を骨折した
明治大学の主軸打者佐々木大輔くんは
リーグ戦途中から大怪我をおして出場し、
対法政大学2回戦では同点に追いつく本塁打を打つなど
なりふり構わぬ、明治スピリッツを体現した優勝。
心から拍手を送りたいと思う。
さて彼らは今だいたい20歳前後。
今年の新入生は現役入学生なら全員平成生まれだ。
今から60年以上も前にも
20歳前後の選手達が神宮で青春を野球に賭けていた。
「英霊たちの応援歌~最後の早慶戦~」
神山圭介 著 文春文庫
そして戦局悪化によりリーグ戦中止、
現役学生の徴兵猶予解除、学徒動員と運命が変わる中、
それぞれの野球少年達は特攻へと駆り出されて行く。
大正12年生まれの死んだ親父と同じぐらいの人達かな。
まだ紅顔の少年ぽさを残した若者たちだったろう。
血気に任せて敵艦に飛び込んで行った若者たち。
生きていればもう80歳を越している。
そんな老人たちも20歳前後の頃は生き生きと、
今の選手たちとまったく同じように白球を追う姿が
この本には描かれていて眩しく感じた。
なんだ、今の選手たちと何もかわらないじゃないか・・・と。
いつの時代も老人はいる。
私のようなオッサンたちもたくさんいる。
しかしその人達にもかつては若者と呼ばれる時代があり、
その時、その時でそれなりに若い血を燃やしただろう。
過ごした時代や社会に揉まれ、翻弄され、
そして「今」があるはずだ。
「ジジイ」「オヤジ」とひと括りに蔑むのもいいが、
(若者は大人を乗り越えていかなければならないからね)
それらの人達にも自分たちと同じように
笑い、怒り、悩み、遊びながら過ごした時間があった事を
どこか頭の片隅に置いて欲しいと思うのだ。
何かに没頭し、それが色あせたとしても、心の中に宝物として残る限り、重ねるのは「数字としての」年齢だけであって、こうした貴重なものは、言葉が適当でないかもしれないのですが「ビンテージもの」として永遠に輝きを放つものになるような気がしてなりません。
小生の場合、やっぱり高校3年間の応援団で過ごした日々がそれに該当しますし、あれから20年経ちましたが、世代近くはもちろんのこと、小生達が現役の頃にこの世に生を受けた後輩達と世代を超えて、「応援団で過ごした3年間」を肴に酒が呑めること…これ、凄く貴重ですし、今の世の中にあって、なかなかないことかも知れない…と、良くしていただいている2年先輩と話をしたことがあります。
年齢だけは死を迎えるまで誰しも平等に重ねるけれど、心にどれだけの財産を手に入れたか…で、人としての輝きは、そう褪せることはないような気がしますね…。
時間とともに流れながら生きているのですね。
この本を読んでいて感じたのは
先日まで熱い戦いを繰り広げていた選手たちと
60年以上前に爆弾とともに敵艦に突っ込んでいった青年達と
野球を通じてみると何も変わらないじゃないかということ。
ユニフォームや道具の素材、
ヘルメットを被りバッティンググローブをつけるスタイル、
そして少しお洒落になったぐらいの違いで
1球に泣き、笑い、熱くなる姿は何も変わりません。
その青年達がなぜ死ななければならなかったのか。
生きた時代が違うというだけではなく
今の選手たちもこれからどんな人生が待っているのか
わからないですよね。
かつての選手たちのような運命を受け入れなければならない
そんな暗い時代を作ってはいけないと思うのです。