野球シーズンでもあるし、
今日は「これぞ岩手のバンカラ」を紹介。
この写真は平舘さんのHPから拝借。(勝手に拝借すんません ^^;)
昭和53年夏に盛岡一高が甲子園出場を果たした時の、
確か週刊プレイボーイ誌の記事。
ここに写っている3年生たちは私と同い歳だ。
別のページだったか、あるいは他の週刊誌だったかには
当時応援委員として蛮声を張り上げていた
盛岡一高硬式野球部のM前監督の写真もあったはず。
甲子園出場メンバー中、サードで5番バッターが
「野球がしたくて」同時に合格していたあの開成高を振って一高に入った
当時まだ1年生の八重樫選手(のちの東大野球部主将、六大学ベスト9)。
彼の存在と、全国の度胆を抜いたバンカラ応援が話題となり
週刊誌各誌をはじめ色んなマスコミが一高を取り上げたものだ。
(週刊朝日は八重樫選手の特集で4ページを割いたはず)
バンカラ応援では普段鳴りものは和太鼓しか使わないのだが、
甲子園では和太鼓が禁止(なんで?)のため声だけの応援。
NHKによる試合中継時もその地鳴りのような声の応援で
アナウンサーの声がかき消されるほどだった。
放送席から試合内容より応援の話題の方が多かった試合なんて
後にも先にもこの時だけだっただろうねぇ(^^;
いずれにせよ、当時の私も周囲の友人達のスタイルもこんな感じだった。
これは2年前、長男最後の夏の大会出場時の花巻北高応援団席。
この年、応援団幹部たちや有志約30人は、
花巻から雫石球場まで、約60kmを徹夜で歩いてやってきてくれた。
これは学校のHPから拝借。
恐らく数年前の夏の野球応援時の写真だろう。
バンカラ応援はこんな感じ。
この写真は更にもっと数年遡ったものらしい。
高総体ハンドボール競技の応援に駆け付けた応援団幹部とのこと。
彼らのスタイルは応援の時は応援着と袴だが、
普段は代々受け継がれてきたボロボロの学生服を着、
腰手拭いを下げ、下駄を穿いている。
アナクロと笑うなかれ。
これが我々のスピリッツなのだから。
今日は「これぞ岩手のバンカラ」を紹介。
この写真は平舘さんのHPから拝借。(勝手に拝借すんません ^^;)
昭和53年夏に盛岡一高が甲子園出場を果たした時の、
確か週刊プレイボーイ誌の記事。
ここに写っている3年生たちは私と同い歳だ。
別のページだったか、あるいは他の週刊誌だったかには
当時応援委員として蛮声を張り上げていた
盛岡一高硬式野球部のM前監督の写真もあったはず。
甲子園出場メンバー中、サードで5番バッターが
「野球がしたくて」同時に合格していたあの開成高を振って一高に入った
当時まだ1年生の八重樫選手(のちの東大野球部主将、六大学ベスト9)。
彼の存在と、全国の度胆を抜いたバンカラ応援が話題となり
週刊誌各誌をはじめ色んなマスコミが一高を取り上げたものだ。
(週刊朝日は八重樫選手の特集で4ページを割いたはず)
バンカラ応援では普段鳴りものは和太鼓しか使わないのだが、
甲子園では和太鼓が禁止(なんで?)のため声だけの応援。
NHKによる試合中継時もその地鳴りのような声の応援で
アナウンサーの声がかき消されるほどだった。
放送席から試合内容より応援の話題の方が多かった試合なんて
後にも先にもこの時だけだっただろうねぇ(^^;
いずれにせよ、当時の私も周囲の友人達のスタイルもこんな感じだった。
これは2年前、長男最後の夏の大会出場時の花巻北高応援団席。
この年、応援団幹部たちや有志約30人は、
花巻から雫石球場まで、約60kmを徹夜で歩いてやってきてくれた。
これは学校のHPから拝借。
恐らく数年前の夏の野球応援時の写真だろう。
バンカラ応援はこんな感じ。
この写真は更にもっと数年遡ったものらしい。
高総体ハンドボール競技の応援に駆け付けた応援団幹部とのこと。
彼らのスタイルは応援の時は応援着と袴だが、
普段は代々受け継がれてきたボロボロの学生服を着、
腰手拭いを下げ、下駄を穿いている。
アナクロと笑うなかれ。
これが我々のスピリッツなのだから。
【追伸】
イワテハイスクールベースボール掲示板にも、懐かしいむがしの名前で出始めました(やっぱり野球バガです)。
当時やっぱりこの週刊誌持ってました。
そしてかなり嬉しく読みました。
この後、いくつかの週刊誌が岩手のバンカラ特集組みましたよね。
平凡パンチにはわが校も出ましたよ。
東京の大学へ入ったり、その後帰ってきたりしているうちに
このプレイボーイ誌もどこかへ行ってしまいましたが
もしかしたら実家をひっくり返してみればどこかにあるかも。
・・・というより、いつでも私の頭の中にありますけど。
本文の記事もほとんど覚えています。
今回は本文も読めるように、あえて大きく載せてみました。
掲示板で「ルール論」を書き込んだのは私ですが
「私立」なんて字をどこにも書いていないのに
卑屈に考える人達がいるようですね。
公立だって処分受けているのにね。
掲示板は、なんやかやと言いながら、自分が被害者になった風を演じて同情を集めて、周りを叩く場になってしまっています(まるで、どこかの国・・)。でも、まんず、ボチボチ普通の野球話題も出始めましたので・・・おいらも当分昔の名前で行きます。昔の名前→妙に気が楽なのが自分で可笑しいデス。
盛岡一高の応援風景の写真は、平成5年(1993年)の週刊朝日にもカラーで出ておりました。ちょうど夏の大会が75年目のときで、特集組んでいたようです。というのも、亡きアタシの親父が、「そんなに応援団やりでば、ほれっ」と雑誌を切り抜いてくれたので…。とにかく生徒たちの気合が凄い。
そういえば、『平凡パンチ』はウチも出ていたらしい、という話を母校卒業生の方に聞きましたが…。
涙ものです。実際に「応援団」やっていて『応援団バカ』の小生には、本当に「お宝」です。
この風屋さんの記事…一生とっておきたいです。
『保存記事』フォルダーに入れておきます。
やはり、応援スタイルは、それがオリジナリティーが高ければ、やっぱり、バンカラだろうが何だろうが、素晴らしいものです。
尊重&絶賛するに値します。
小生自身も、風屋さんが「激しく興味あり」とおっしゃってくださったシリーズ化記事『応援団に捧げた青春』をエントリーし続けていますが、大分先にはなりますが、小生自身の「映像」も残っておりますので、どんなスタイルで応援団活動をしていたのか…紹介してみたいと思っています(笑)。
あと、ウィキペディアの『埼玉県六校応援団連盟』という記事は、実はHNを変えた小生が最初に起こした記事です。
(この時使ったHNは『S.M.Opera O』です。)
一度、検索エンジンでウィキを調べ、履歴も含めて覗いてみてください。
(Googleなら、一発で引っかかると思います。)
埼玉でバンカラ色が強いのは、やっぱり熊谷高校(旧制埼玉二中)ではないかと思いますね(笑)。
旧制高校に憧れる私でした。
>平舘さん
提供者は・・・そうでしたか。
私の友人たちも結構この雑誌を買ったものですが、
誰か今でも持っていないかなぁ。
>おばらあつひろさん
そう、平凡パンチに載ったのは
宮城では築舘、古川、岩手では関高、水高、黒北、花北、一高でした。
写真がわが校の応援団幹部の登校スタイルだったため
ヤツはしばらく「パンチボーイ」と呼ばれていました(笑)
>Danchoさん
わが校の応援団幹部は生徒会執行部とともに選挙で選ばれます。
それぞれが自分の部活動終了後に幹部としての練習をします。
生徒会役員以上に厳しい目で選ばれることになりますので
私が在籍当時は成績もよく、尊敬されているヤツらでした。
だからこそ今でもこのスタイルが崩れることなく続いているのだと
今になって思っています。
実はこのエントリーは、Danchoさんの「東大応援団」のエントリーで
安全ピンでズボンの破れを留めている写真に触発されました(笑)
あれぞバンカラ。
現在昼食休憩中です。ちょっとウォッチングしていました。
『実はこのエントリーは、Danchoさんの「東大応援団」のエントリーで、安全ピンでズボンの破れを留めている写真に触発されました(笑)あれぞバンカラ。』
そうだったのですね…。
というわけで、風屋さんのブログのファンの方にも、この『バンカラ』と、「感動」をお伝えすべく、TBさせていただきますね。
風屋さんのブログファンの方にも、この感動が伝わると良いのですが…。
(この企画は、今、東大が38連敗中と苦しんでいることや、風屋さんもお邪魔しているhaluさんのブログの記事に触発されて、温めていたものです。)
「へぇー学帽かぶってんだ」
なるほど
今の高校生帽子かぶりませんものね。
でも、まだ長男が生まれない頃、
随分濃い『?』高校生が沢山いたんですね
新品の学帽にハサミを入れました。
この悲しさも伝統なんですね。
TB了解しました。
何せ東大といえば、旧制一高ですもんね。
>rinrinさん
バンカラに学帽は必須です。
今の風潮がちょっと違うだけだと思ってます。
一応入学すると全員学帽を買うわけですが、
やっぱちゃんと被って歩かないと(笑)
>ktさん
ということで学帽の話ですね?
ハサミを入れる前にご相談下さればよかったのに。
今さらこんなこと言うのもなんですが、
正直言って、新しい学帽にハサミを入れるのは邪道です。
そんなことしてもバンカラじゃありません。
バンカラはコスプレではないのです。
中学校の頃の学帽も、真新しいまま残ってませんか?
それを使えばよかったのに。
そして「切る」のではなく「使い古す」なのです。
ここから先はあまり大っぴらにしたくないのですが(笑)
学帽の裏地をまず取り、
表地をコンクリートか何かにゴシゴシ擦り付けます。
フェルトのケバ立ちが擦り取られた感じで0Kです。
あとはかぶり易いように後ろの縫い目を少しほつれる感じにすれば
ハイ、りっぱなバンカラ学帽の出来上がり。
残念ながら最近の学帽のツバはビニールでできているので
ペラペラにすると何とも情けなくなりますが
かつては皮だったので、これまたヤスリで磨いたものです。
あちこち穴を空けたいなら、ハサミやカッターではなく
一番いいのは剣山をザクザク刺すこと。
いい感じにほぐれてくれますよ。
幹部連中の帽子は代々伝わったものなのでしょうが
一般生徒の帽子を幹部のようにするテクニックは上記の通りです。
高度なテクとして「石で叩く」というものもありましたよ。
あー(^^; タネ明かしちゃうと
「なーんだ、バンカラなんてそんなもんか」ですよね(笑)