風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

これがバンカラ

2007-07-05 | 風屋日記
とあるSNSで、とある人が
Wikipediaに載っていた記事を引用しながら。
バンカラについて語っていた。
その記事を読んでみて納得。
そう、これがバンカラだ。

バンカラは硬派などではなくリベラルなものであり、
応援スタイルではなくて生活スタイル。
・・・というより哲学。
力の強いもの、声の大きなものにおもねることなく
流行やマジョリティに安易に乗ることなく
自ら見、聞き、読み、そして考え、
千万人といえども我行かむの気概を持つこと。
それが真のバンカラ。

来週から始まる高校野球岩手県大会での
7/15(日)9時からの花巻北高の初戦に向け、
前夜花巻を出発し、盛岡まで40kmを歩いて応援に行くという
恒例の夜間歩行の準備をすでに始めているらしい
花巻北高応援団幹部諸君に対して敬意を表しつつ、
以下に「バンカラ」に関するWikipediaの記事を引用する。

    ◇      ◇      ◇

バンカラは弊衣破帽と称される損傷した衣服を纏う事により、
「己の外見を飾ること以外の何事かにより熱心である」
ことを表現しようとする若年服飾文化、およびその源泉となっている気質。

「概要」
明治期に男子学生の文化として発生したもので、
漢字表記では「蛮カラ」である。
先行して明治時代に登場していた
ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)に対する
否定的な価値判断が根底にあり、
アンチテーゼとして創出されたものと考えられている。

典型的な様式としては弊衣破帽がある。
これはボロ学生服・マント・破れた学帽・高下駄、
腰に手拭いなどを特徴とするスタイルで、
第一高等学校を中心とした旧制高等学校の生徒が流行の発端である。
粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」
という姿勢を表現したものとされている。
またハイカラのアンチテーゼとしてのバンカラは武士道にも通じ、
「単に外見の容姿のみに留まらず、
 同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」
とも理解されていた。
つまり外見に無頓着な体裁と
それを正当化するための動機が複合した文化であると言え、
単に粗末・粗野な恰好をバンカラと呼ぶわけではない。


「形骸化と衰退」
しかしながら主観的論理としてはとにかくその内面性が追いつかず、
単に粗野であるにすぎないといった
「バンカラの形骸化」は早くから指摘されており、
幾度となく弊衣破帽を排する教育方針をとる学校が現れた。
これらの学校の多くは英国式の紳士教育を以て
バンカラを排することを是とした(苦学生の清貧と故意を見分けていた)。
また戦時期には国家統制の面から弊衣破帽を排する学校も出現した。

戦後、衣料品の質が向上するにおよび、
最早自然形成された弊衣破帽は望むべくもなく、
着古しにより自然に弊衣破帽が生成されるのを待たず
人為的に衣服を傷めて着用する者や古着を求める者が横行し、
単なる服飾流行となった。
そもそも戦前は衣料品の質が悪く否応なく衣服が傷んだものであり、
作為的に傷めたものではなかったという歴史的事情もある。


「変遷」
近年は「番カラ」の誤記も散見されるように、
少年漫画における不良少年、
特に番長の記号(弊衣破帽は喧嘩に明け暮れる結果と誤解)に変質し、
西日本・東日本地区の一部の高校・大学の応援団の
「伝統」にその名残を残すのみである。
なお代わって勃興した非行少年・少女を中心とした変形学生服の文化は、
むしろ学校の校則(服装規定)への反抗を記号化したものであり、
バンカラの後継文化と看做すことは困難である。


「岩手県とバンカラ」
バンカラ文化の健在が顕著なのが北東北地方、とりわけ岩手県である。

バンカラを貫いている学校の多くは戦前から続く旧制中学だが、
戦後新設校でバンカラを取り入れたところもある。
岩手県においてバンカラは県を代表する誇りとされており、
盛岡一高に代表される多くの学校に現存している。
バンカラを貫けるかどうかがその高校および学生に対しての
県内一般社会からの信用基準になっている。

バンカラには自主性・主体性・学力・体力・気力が必要な素養とされており、
岩手県内においてはバンカラは模範生とほぼ同義語とされている。
実際、進学・就職を問わず、バンカラ校は良好な実績を維持し続けている。
その一方で学業優秀でなかったり、
課外活動において高い成果を生み出せない学校・生徒らが
バンカラを真似ることは恥ずかしいこととされる。

全県的に応援歌練習・壮行式・野球応援などは
バンカラな進行に準じているが、
求められる水準の高いバンカラの維持は難しいとされている。
大学応援団に指導を受けるなどの対策も講じられるが、
それでも維持できないことは少なくない。
一度バンカラの仕組みが崩れるとその学校はあらゆる面で凋落していく傾向にある。
その仕組みの建て直しに苦労するが、
水沢高のような生徒の自主的な取り組みでバンカラを復活させた例も存在する。

ただし最近では
応援団リーダーのなり手(立候補者)が著しい減少傾向にあり
(全校で3名以下のような状況もある)
十分な応援活動が展開できないこと、
応援団リーダーの不足を下級生等の補助にゆだねているような傾向にあり、
必ずしもバンカラな応援を展開しているとはいい難い。
とりわけ野球応援についてはバンカラ応援団リーダー以上に、
野球部下級生による派手でただ騒がしいだけのような応援が目立つ傾向にあり、
バンカラ応援が浸透しているとはいえないような状況が見受けられる。


「バンカラ応援団を保持する高校」
岩手県
岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立福岡高等学校
岩手県立久慈高等学校
岩手県立花巻北高等学校
岩手県立黒沢尻北高等学校
岩手県立水沢高等学校
岩手県立一関第一高等学校

その他の都道府県
宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第三高等学校
鳥取県立鳥取西高等学校
青森県立八戸高等学校
熊本県立済々黌高等学校
山梨県立甲府第一高等学校
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4 コメント

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凄まじい厳しさと、崇高な世界 (Dancho)
2007-07-29 13:40:41
風屋さん、こんにちは。

どの記事へTBしたら良いかは分からなかったのですが、こちらにしました。

昨日ですが、明治大学応援團の『動作の意味』について、図らずとも力作になってしまった記事をエントリーしました。

これも、バンカラに通じるはずだし、まさに「魂を伝える崇高な世界」です。

凄いお話を、大先輩からお伺いし、改めて、小生が籍を置いた応援指導部が、凄いところだったことを痛感しました。

エントリーした本人が、身が引き締まる思いがする内容です。

ご一読&感想など頂戴できましたら、幸甚に存じます。
返信する
>Danchoさん (風屋)
2007-07-29 15:58:51
なるほど。
拝見していて、花巻北高の校歌3番の一節であり、
私の座右の銘である「至誠天地を動かさん」という言葉を
思い出していました。
返信する
こんにちは (にし(学生服作っています))
2009-03-26 11:38:35
昔は変形学生服を作っていました。
今は標準学生服だけを作っていますメーカーです。


懐かしく変形学生服で検索しているとここにたどり着きました。

岩手県にも弊社の学生服をきていただいています。
返信する
>にしさん (風屋)
2009-03-26 12:15:57
変形学生服がここの主題ではないんですけどね。

知らない方からの営業的なコメントは
通常受け取らないことにしているのですが、
検索でおいでになったということもあり
このままUPします。
ちなみに私の家ではもう学生服の需要はありません(笑)
返信する

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