風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

レジリエンス

2024-06-28 | 社会
小学校5年6年の頃の担任の先生は元日本陸軍兵士。
シベリア抑留から帰還した時に見た、
それまでの価値観が崩壊したことによって荒ぶる若者を見て
それを正すために教員になったと話していた。
廊下を走った、いたずらをした、宿題を怠った・・・
そのたびに直立不動させ「歯を食いしばれ」と言われて
往復ビンタされるのが日常だった。

中学校では男子は全員坊主頭を強要された。
髪の毛を指で挟んで少しでもはみ出るとバリカンだった。
多少荒れていたが、それはかわいいもので
せいぜいちょっと長い学ランを着ている奴らが何人かいただけ。
窓ガラスをわざと割って歩いたり、恐喝したりという
「悪事」はなかったと思う。
それでも何かあると教師からはグーで殴られた。
野球部は上下関係が厳しく
廊下で挨拶しなかったというだけで連帯責任となり
ケツバットや階段の踊り場から突き落とされたりもした。

高校では応援歌練習と歌詞指導。
昼休みを使って竹刀をもった応援団幹部が1年生の教室で
机を叩きながら、怒鳴りながら歌詞指導を行なった。
それでもそれは節度あるもので
直接的に身体への攻撃はなかったから
小学校でのビンタや中学校でのしごきを経験した身としては
逆に心中では面白いと思ったものだった。

大学卒業前後、一時期映像制作会社に勤めていたことがある。
勤務した約1ヶ月間、ほとんど休みがなかった。
終電に間に合うように家に帰れるのは週に2〜3度。
あとは編集室のソファで寝た。
夜になってからデモテープを渡されて、
翌朝までに決められた長さに編集することを要求されたりも。
(個人の結婚式の動画で、内容は私の心をかき乱した)
汗をかいても、ロケで服が汚れたり引っ掻き傷がついても
着替えに帰ることすらできなかった。
会社が渋谷にあったので、
たまに道玄坂のラブホでひとりシャワーを浴びた。

地元に帰ってきた後の営業職は体育会系で毎日罵詈雑言を聞いた。
転職したあと、25年勤めていた間には
それなりの役職を与えられたが、プレッシャーと責任で
ストレスMAX、ストレス太りで今より20kgも体重が重かった。
毎日頭痛との戦いでバファリンが主食。
とうとう全身に薬疹が出ても休むことができなかった。
もちろんそれなりの立場は汚れ役や嫌われ役も引き受ける。
水面下では墓場まで持って行かざるを得ない
とても誰かに話すことができないこともたくさんあった。
ストレスMAXだったのは退職してから気づいた。
もしかしたらあのまま勤めていたら体を壊していたかも知れない。
(健康診断は毎年「要精密検査」や「要治療」だった)

さて、こういう経験を踏まえてもなお
今では楽しい思い出が優先的に思い出される。
私がレジリエンス力を身につけたのは
もしかしたら高校時代の応援歌練習だったのかも知れないと
今になって思う。
小中学校時代の体罰は
今も理不尽なこととして忸怩たる思いがあるが
高校時代の応援歌練習や歌詞指導は終了時に納得できたし
今となってはいい思い出だ。
体罰はもちろん、パワハラも決して肯定するわけではないが
それでは現代の若者たちは
どこでレジリエンス力を身につけるのだろうと
時々ふと思ったりするのだ。
コメント
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