風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

自分ごととして

2022-07-05 | 社会
プロ野球の面白さはプレーそのものの魅力はもちろん
(学生野球と違い)よく知った選手たちを、
まるで解説者や監督のように好き勝手に語れることにもある。
「この選手を使うべき」
「この選手はどこを守らせて何番を打たせろ」
「ここはこの作戦じゃないだろう」
「次は変化球で・・・」
当たれば得意げに「ほらね」とかなんとか言っちゃって
結果論を蕩々と語ったりするのも微笑ましい。
でもこれはエンタテインメントだからこそだろう。

どうも最近、国際情勢や政治まで
まるでプロ野球を見ている時みたいに解説する人がいる。
経済はある程度ロジックなので語るのもわからなくもないが、
将棋盤の上のコマを動かすように政治は語るべきじゃない。
それではまるで他人事。
防衛問題など、簡単に好戦的な言い方を耳にすることがあるが、
その結果どうなるのか、自分にどう跳ね返ってくるのか
そういう人たちはまるで眼中にないようだ。

「有事」って何?
具体的にどういう状態になると有事なの?
どこか特定の国を仮想敵国みたいに言うことがあるけど
その国の立場に立って物事を考えてみれば
どういう行動がその国のメリットとなるか想像がつく。
ロシアとウクライナのこれまでの歴史とは違う。
もうひとつ。
もしもその方々が言うような「有事」になればどうなるか。
ミサイルの飛ばし合いの前に、国の信用下落により
真っ先に経済が崩壊するだろう。
倒産ドミノとインフレ、店頭から物が無くなる。
それは資源を持たない日本にとって致命傷だ。
そして、犠牲になるのは一般の国民。

「今回はこの政党が落ちるな」
「こっちの政党はこういう言い方すればいいのに」
「あっちの政党は元気だから躍進するかも」
なーんていう、まるでプロ野球解説者のような言い方で
冷めた見方をするのは選挙じゃない。
どういう結果になるのか、それがすべて自分たちに跳ね返る。
その影響力はプロ野球の勝ち負けの比じゃない。

日本という国のスタンスとして
国家が大事で、国のために国民がいるべきなのか
国を形成するひとりひとりの国民にフォーカスすべきなのか。
「国」というのは単なる法的な枠組み。
「人」がいてこその「国」だ。
(国民のいない国なんてなんの意味もない)
その「人」にはあなたも、あなたも、あなたも含まれる。
すべて私たち自身に跳ね返ってくる。
他人事として解説者になっている場合じゃない。
だから・・・選挙に行こう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする