吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

”責任”という言葉が乱舞する世の中

2014年02月03日 | Weblog
うちは責任野党だ。責任野党とは議論する。果ては、責任与党というような会話が国会である。野党も野党だ。このような政権側の使用言葉に”反応”している。どのような思惑や野望で、このような言葉合戦になっているのか理解できない。責任イコール義務の意識なのか、連帯や分担の認識なのか知らない。

同じ与党公明党に、政権与党安倍自民党が”責任与党”としての振る舞いを求めれば、われが責任野党だとみんなの党や日本維新の会がいう。批判や反対ばかりをいう野党は、無責任だから議論や答弁の対象にならないという。政治や国会はつねに建設的、肯定的、前進的であらねばならないと政権与党が叫ぶ。

①自分の分担や任務、②失敗や不結果の損失や制裁を引き受けることが、辞書でいう”責任”だが、これは義務をシェアすることだ。協力し、分担し、協働することだ。批判したり、反抗したり、妨害したりする行為は、”責任”ではないのだ。責任政党や責任マスコミや責任野党が、建設的なのだ。

このような風潮や世の中が、いつか来た道に向かう。責任をシェアするということは、結局”翼賛”なのだ。つねに、権力者や為政者の政治に同調し肯定的に振る舞うことなのだ。自由や民主主義を断念することになる。明日は、立春(2/4)。あたらしい出発にしたい。
コメント
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