わたしのふるさとは、里山というより奥山に近い。山村というより農山村というのかも知れない。山間に麦やそばの畑もあるが、棚田といわれる景色のほうが多い。細かくカタチが不揃いの棚田が農作業しやすいように整備区画されたり、あやしげな畦道がなくなりクルマが通れる農道になったりして、だいぶ景色や風情が変わった。
人口減少の社会趨勢を先行したいわゆる過疎地域だ。65歳以上というより75歳以上の高齢者ばかりが居住している。限界集落にも近い。農業や林業を後継する若者がいない。この間の休耕田が廃耕田になる。廃耕田がしばらくすると、原野になる。先人たちが汗し泥して開墾した田畑が、雑草や蔦性低木が生い茂る原野になる。
最近といってもこの四半世紀の、蔓や蔦類の雑草や低灌木の繁殖はすごい。アレルゲンの一種ともいわれるブタ草やセイタカアワダチソウにもまいるが、蔓や蔦草の王者(クズ)葛の傍若無人ぶりは激しい。クズ(葛)は秋の七草の仲間でもあり、大変かわいらしい紫色の花をつける。根はくず粉や葛根蕩などになり、人々に大変喜ばれている。
しかし、葛蔦の傍若無人ぶりは、休耕田や廃耕田や手入れが回らない原野に限らない。JRローカル線の両側や高速道路の両側の土手や原野のクズの繁殖はヒドイ。線路や道路の環境整備の手が届かない土手や原野は、両サイドの山林や田畑からの手も届かない。届く届かないの問題というより、それらの山や畑や田圃は、すでに耕作の対象から外れているのだ。クズや蔦は、ドンドン繁殖するしかないのだ。
近い将来、これらの蔦や蔓性雑草に農業用地や林業山林が奪われる。似て異なるカラスウリやヘクソカズラなどのツル雑草が、里山や住宅地まで占拠するだろう。手入れしない自然や環境ほどコワイものはない。猛暑の夏に生茂るクズ(葛)とその仲間たちを、この国の環境省や農林水産省の方々は思い巡らしたことがおありだろうか。
放置や廃耕など、人手が入らなければ自然保持はできない。手入れしてもその付加価値に収入が伴わなければ、”人手”は入らないのだ。施策してほしい。
人口減少の社会趨勢を先行したいわゆる過疎地域だ。65歳以上というより75歳以上の高齢者ばかりが居住している。限界集落にも近い。農業や林業を後継する若者がいない。この間の休耕田が廃耕田になる。廃耕田がしばらくすると、原野になる。先人たちが汗し泥して開墾した田畑が、雑草や蔦性低木が生い茂る原野になる。
最近といってもこの四半世紀の、蔓や蔦類の雑草や低灌木の繁殖はすごい。アレルゲンの一種ともいわれるブタ草やセイタカアワダチソウにもまいるが、蔓や蔦草の王者(クズ)葛の傍若無人ぶりは激しい。クズ(葛)は秋の七草の仲間でもあり、大変かわいらしい紫色の花をつける。根はくず粉や葛根蕩などになり、人々に大変喜ばれている。
しかし、葛蔦の傍若無人ぶりは、休耕田や廃耕田や手入れが回らない原野に限らない。JRローカル線の両側や高速道路の両側の土手や原野のクズの繁殖はヒドイ。線路や道路の環境整備の手が届かない土手や原野は、両サイドの山林や田畑からの手も届かない。届く届かないの問題というより、それらの山や畑や田圃は、すでに耕作の対象から外れているのだ。クズや蔦は、ドンドン繁殖するしかないのだ。
近い将来、これらの蔦や蔓性雑草に農業用地や林業山林が奪われる。似て異なるカラスウリやヘクソカズラなどのツル雑草が、里山や住宅地まで占拠するだろう。手入れしない自然や環境ほどコワイものはない。猛暑の夏に生茂るクズ(葛)とその仲間たちを、この国の環境省や農林水産省の方々は思い巡らしたことがおありだろうか。
放置や廃耕など、人手が入らなければ自然保持はできない。手入れしてもその付加価値に収入が伴わなければ、”人手”は入らないのだ。施策してほしい。