吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

尖閣中国漁船衝突DVDインターネット流出問題の教え

2010年11月07日 | Weblog
情報化がすすみ、インターネット社会や高度情報社会と呼ばれる世の中になって、社会に出回る情報の質がわるくなった。知的情報や知識情報も多くなったが、これら以上に悪意情報やノイズ情報も多くなった。正確な事実情報でさえ、出し方や表現の仕方によっては、悪意な情報になる。

情報化に先立ち、政府や企業家たちは”個人”を守るという誰もが反対できない祝詞で、個人情報保護法を流布させた。上から目線で”守る”と言って”制約”した。政府や大企業やお役所だけが、自分たちの裁量で”有利”できる法律や条例を補則し、小企業や個人の自由行動を制約した。戸籍簿でも住民票でも”役所”はタテヨコに自由閲覧できるのに、個人や民間を制約した。

ついこの間の警察の情報漏えいも今回の尖閣海保のDVD情報漏えいも、問題の本質は同じだ。漁船追突当初に撮影ビデオを公開すべきとか、ずっと秘匿すべきか等の問題は、政府および政治や外交の問題だが、今回のDVDユーチューブ漏えい問題とは違う。国家や政府の機密や情報の保護やその責任の問題だ。どこから、だれから、どうして、どのレベルが漏れたのか、および情報や機密を管理するシステムや体制がどのように欠損していたのかという問題は、究明されなければならないが、究明して終わる問題ではない。

政権や政府にあるものは、このような問題をシステムや担当者の”欠損”に原因を求め、危機管理と機密管理など管理問題にすり替える。おそらく、総理や官房長官や海保担当の国土交通大臣および検察や裁判所あたりの”責任”問題なのに、誰もが責任者を逃れる。

国家の情報をどのように扱うかは、国を守り国を運営する基本だ。インターネット高度情報社会における国や行政や民間の情報のありかたについて、広く英知を結集して考えてほしいと願う。安心と暮らしやすさを設計してほしい。
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