吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

紀子さま、男子ご出産、おめでとうございます。

2006年09月06日 | Weblog
 大変おめでたいことです。それ以上でも、それ以下でもなく、ただお祝いの気持ちを一行書かさせてください。憲法や皇室典範のことなど気になさらず、健やかにご成長されることを願っています。
 このおめでたさを機に、世の中が明るくなり、たくさん赤ちゃんが生まれ、子供さんが元気に育ち、希望的な社会の展望が強まることを希望しています。
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アンケートを”悪者”にするな!

2006年09月03日 | Weblog
 「アンケート」乱発時代だ。テレビでは毎日のように「アンケート」を利用して番組をつくっています。どこどこで、100人に聞きました。会場のお客様100人に聞きました。雑誌の購読者2000人のアンケートや全国の女性10000人に聞いたアンケートなどなど、テレビをみたり、このようなアンケート結果を聞いた人々は、「あぁ、そうか」というように何となく”納得”します。そして、「アンケート」イコール調査、世論調査もマーケティング・リサーチも、ほとんどの人は、「アンケート」だと思っています。
 また、企業人やマーケティングをやっている人の多くも、マーケティングをマケティング・リサーチだと思っていたりします。その多くが「アンケート」をすれば”何かがわかる”から、アンケートをするのだと思っています。インターネットなどで、気軽に、あまりお金がかかることなく「アンケート」ができることが、余計マーケティング・リサーチや市場調査を誤解させる理由になっています。
 調査の本質やマーケティングとは何かについて、深く勉強したり、考えたりしないリサーチャーやマーケターは、アンケートの設計や質問肢を気軽につくります。設計や質問肢の作成いかんが大きく異なる”結果”をもたらすことを知らないからです。特に、答えてくれる相手が視認できないインターネットのアンケート調査の設計や質問肢の作成の難しさについての認識がないのです。
 簡便で、速くて、安く出来るということが、市場や社会の人々の様子や考えなどの”誤解”をもたらしているということについての不安や心配より大きいのかもしれません。企業が、事実や真実から遠ざかることの危険性を認識していないのかもしれません。
 「アンケート」を悪者にしないために、もっともっと調査や情報を目的的に、正しく真実や事実が得られるように、設計したり、市場や社会および日々生活している人々の様子を観察するよう努力したいものです。
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間違い情報が世の中を間違わせる!

2006年09月02日 | Weblog
 近い将来の富の基盤は、「知」になる(アルビントフラー「富の未来」)という。「知」による富の格差が生じるのだ。もともと、「知」は人々の思考より生まれる。思考するためには、的確で品質の高い情報がその人の”頭”に入力されなければならない。出力は「知」であり、思考された結果なのだ。
 知識社会というより「知」を資産とする社会で重要なのは、”情報”なのだ。間違った情報やその人の思考に間に合わない情報、あるいはタイミングが合わない情報は、知の生産に寄与しないばかりか、情報社会のゴミ(産廃物や家庭ゴミ)になる。情報を判断したり、情報を取り扱う力と言われる情報リテラシーなどは、実は枝葉末節だ。
 世の中に間違った情報や誤解した情報および精度や品質が不十分な情報が多いことを前提とした”自己責任”押し付けの情報リテラシーやメディア・リテラシーなのだ。間違っていたり、歪曲された情報を正確に発信するマスコミの罪は大きいが、正確な情報だからと”情報の世の人々に与える影響を認識せず”その情報を正確に伝えることについても、メディアやマスコミは逃れられないのだ。プライバシーや個人情報保護がテーマになることも同じだ。
 情報社会が進めば進むほど、正確や真実を装った情報が多く出回る。ジャーナリストや学者や専門家の意見や書物に、真実や正しい顔つきをした情報が多いのも世の中への罪つくりだ。ほとんどの人々が、情報のオリジン(調査方法や出所)や情報の性格を知らないし、知ることが難しいのが現実だ。何でも”そのまま”発信して、受信者や世の中の情報リテラシーに委ねるメディアやマスコミの罪と責任が大きくなるのだ。
 取材記者の勘違いや間違った理解、新聞(記事)記者の浅学、テレビや他のメディアの報道記者やキャスターの誤解報道や浅い思いつきコメント、社会学者や専門家の情報やデータベースについての鑑識眼のなさ、リサーチャーの間違った調査設計やデータの読み間違いなどが、書籍やマスメディアで発信されるのだ。大衆といわれる多くの人々が「そのまま信じる」ことを知っていての話だ。いわゆるジャーナリストやオピニオン・リーダーと言われる知識人の責任自覚こそ、いま一番大切なのだ。
 その上で、「知」の形式化としての価値創造活動の社会性が高まっていくのだと思うのです。
コメント (2)
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