吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

再び、「超同期」という言葉について

2006年09月06日 | Weblog
 昨年、私が上梓した「超同期社会のマーケティング」(同文舘出版)で、わたくしは、「情報、通信、ネットワーク」というIT革命が、”同時化(同期化:シンクロナイズ化)が加速的に進んだ反動としてのライフスタイルの非同時化現象”を見て、「超同期」(社会)という言葉を短絡的につくり使った。そのいい加減さや短絡さの反省やそこで感じたことの追及をすることが自分の責任だと思い、ふだんの生活を続けながら、考えたり、悩んだり、そしてその思考過程を整理し、論理的な組み立てをトライしたりしているが、考えれば考えるほど”アリ地獄”の様相なのだ。
 アルビン・トフラー(「富の未来」日本語訳、講談社)でさえ、同時化と非同時化の調整問題が時代的社会の課題だと言っているが、同時化を「時間の速さや変化への対応」として捉えているところに、少々の異議を感じるのだ。もともと、「時間」自身は、速いも遅いもなく、「過去から未来にかけて果てしなくつづくひとつの次元(第四番目の次元/アインシュタイン)だ」と言われ、時間は逆向きの経過や多次元性がないという特別な特性を持っているのだ。すなわち、人間が支配したり、操作したりできる空間とは、まったく異なる特性なのだ。それにも拘わらず、時間と空間を一緒にして「時空間」などと言っていてよいのだろうか。間違った考えや世の中をつくったりしないだろうか。疑問を感ずるのだ。
 にもかかわらず、ビジネスの世界は、「右(産地など)のものを左(消費)に空間移動させて」もうける部分と、先物買いや商品取引のように「時間軸の方向に移動させて」もうけようとする部分があるのだ。タクシーなど、距離メーター(空間移動)だけかと思ったら、渋滞での時間メーターも加わって”料金”がかかるのだから、どうやら人間の世界では、次元の性格の違いなどかまわず「時空間」などと一緒にした概念をつくっても、いささか問題がないのかもしれないが。
 というようなこともあり、ますます進む同時(同期)化に対するビジネスやライフスタイルの”同時(期)化と非同時(期)化の混在や調整”をこれからのテーマにしなければならないと思うのだ。非同期(時)化は、主に人々の同時(期)化社会におけるライフスタイルに見られる現象だが、”反動や反動的価値基準”としてみていると間違うような気がする。
 人々のライフスタイルや生き方から見ると、同期化することにも非同期化することにも結局、どちらの方向に、どのような価値があるのかを見出すことが問題になるのだと思われる。所詮、時間(軸)という次元自身、動かすことも細工することも出来ない(解明が遠い)次元なのだから。
コメント (2)
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紀子さま、男子ご出産、おめでとうございます。

2006年09月06日 | Weblog
 大変おめでたいことです。それ以上でも、それ以下でもなく、ただお祝いの気持ちを一行書かさせてください。憲法や皇室典範のことなど気になさらず、健やかにご成長されることを願っています。
 このおめでたさを機に、世の中が明るくなり、たくさん赤ちゃんが生まれ、子供さんが元気に育ち、希望的な社会の展望が強まることを希望しています。
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