吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

政治家の「理解を得た」と言うことの真実?

2009年12月23日 | Weblog
 先日(12/17)のCOP15のとき、鳩山首相は沖縄普天間移転問題の結論を先送りすることについて米クリントン国務長官の理解を得たと発表した。そして22日、藤崎駐米大使にクリントン長官は”理解などトンデモナイ”普天間はどうなっているんだとお怒りになったと報じられた。

 最近の鳩山首相の外交は、この"理解を得る”式の外交が目立つ。国内におけるなかなか決めない”決める”発言やご自分流の”理解”発言も同じだ。そういえば政治家の皆さんは、よく”ご理解を得た”と受容し、発言することが多いが、多くの場合”合意や承認”にいたっていないことについて”ご理解を得た”と言うようだ。

 このような調子で”国民の皆様のご理解を得る”ことをもって、コンセンサスや支持を勝手に解釈されるのだから困る。このような方々は、片方で国民向けの共同合意文書を外交的二国間や国際会議で交わし発表するが、片方でいわゆる密約などをする。外見には響きのいい法律を通し、運用に当たっての条例や内規などでヤヤコシクする官僚と同じだ。

 このたび、沖縄返還ノーベル平和賞佐藤栄作首相(当時)と米国ニクソン元大統領が交わした沖縄極東アジア緊急事態核再持込みの合意(密約)文書が、佐藤栄作氏の自宅から見つかったことの衝撃は大きい。このような約束が交わされ、これが歴代の首相や外務省に引き継がれたか、引き継がれていないかが云々されているが、どちらにしても大きな問題を含んでいる。

 このような事情やウラを隠し、”理解や合意”を発表することが外交スキルでは、何を信頼していいのか分からない。このようなスキルが同盟国間や外交のない北朝鮮などとの間などにも”あるのかも知れない”と疑うことがリテラシーなどといわれては、”政治”の透明性など問題の外のように思う。
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