地球表面の70%は、水。その97.5%は、海洋の塩水。人間や植物なども含む生きものが、”生きていく”ために必須な淡水は、わずか2.5%。この2.5%の淡水の7割ぐらいは、地面の地下や森林および沼湖などにあり、わずか3割ほどが山の中の渓流や小川や農業用水などや河川や貯水ダムなどを経て、われわれ人間が飲用したり使用する水になっている。
その水が、人類以外の多様な生きものも含む人間社会の”悩み”の対象になっている。地球上の大きな水問題のひとつが、われわれがふだんの飲用や生活のために要る水の渇水。アフリカのサハラ以南の6~7億人の人々の渇水問題は、その地の多くの人々や子どもたちが”ふつうのキレイな水”を飲んだり使ったりできないことだ。ユニセフやウォーターエイドなどが、この問題解決の支援活動をしているが、解決への道のりは遠い。
小さな島国日本やその日本の千葉県は南房総市地域の水問題も50歩100歩。日本の水問題は、昭和39年(1964)の東京オリンピックを前にした昭和の大渇水問題(1960~62年が中心)につづく、2019年の台風15号&19号襲来がもたらした南房総市地域の防災や復旧(ブルーシート)問題に限らない。1980年代からの地球温暖化による熱波や集中(ゲリラ)豪雨などと、防災治水のダム敷設やダム河川管理問題などに起する人災的問題が多い。
前記’19年の15号19号の台風による停電、断水、被災と復旧問題も、ことし(令和二年)のコロナ禍感染防禦や経済支援施策や南房総市の(老朽化)小向ダム水門更新工事とダム貯水レベルの急減による水道断水対応問題も、すべては”人災”。気象異常や自然災害という言葉で済まされる問題ではない。市民や国民の負託をうけて行政や政治をしている人々の責任が大きい。
その水が、人類以外の多様な生きものも含む人間社会の”悩み”の対象になっている。地球上の大きな水問題のひとつが、われわれがふだんの飲用や生活のために要る水の渇水。アフリカのサハラ以南の6~7億人の人々の渇水問題は、その地の多くの人々や子どもたちが”ふつうのキレイな水”を飲んだり使ったりできないことだ。ユニセフやウォーターエイドなどが、この問題解決の支援活動をしているが、解決への道のりは遠い。
小さな島国日本やその日本の千葉県は南房総市地域の水問題も50歩100歩。日本の水問題は、昭和39年(1964)の東京オリンピックを前にした昭和の大渇水問題(1960~62年が中心)につづく、2019年の台風15号&19号襲来がもたらした南房総市地域の防災や復旧(ブルーシート)問題に限らない。1980年代からの地球温暖化による熱波や集中(ゲリラ)豪雨などと、防災治水のダム敷設やダム河川管理問題などに起する人災的問題が多い。
前記’19年の15号19号の台風による停電、断水、被災と復旧問題も、ことし(令和二年)のコロナ禍感染防禦や経済支援施策や南房総市の(老朽化)小向ダム水門更新工事とダム貯水レベルの急減による水道断水対応問題も、すべては”人災”。気象異常や自然災害という言葉で済まされる問題ではない。市民や国民の負託をうけて行政や政治をしている人々の責任が大きい。