吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「クオータ制」考への閑話

2020年09月22日 | Weblog
いままでのほとんどの裁判は、裁判官全員が男性でした。別に異様に思いませんでした。そして、今回の裁判の裁判官は全員が女性でした。被告は男性でした。特別不思議に思いませんか。あなたは、全閣僚が女性の議員になったら、受容できますか。男女公平や女性活躍とは、このような社会や政治を普通に受け入れる社会のような気がします。


クオータ制や女性の登用が言われています。女性活躍や男女共同参画などの担当大臣がいます。一定の数を女性に割り当てることなどを「クオータ制」などと言って騒いでいます。何を基準に女性を30%になどと言っているのでしょうか。もともと何の基準もなく”クオータ”など設定できないのです。国民の男女が半々で、男女に割り当て数をセットすることが公平や平等なのでしょうか。


そのような問題や状態に関心を持つ人が、男性70%女性30%なら男女比7:3にした方が公平ですね。”クオータ”のセットの仕方は、大変難しい作業ですが、何をするかの対象や合意を公平に決め確認する手続きやクオータを決める特性基準などを、問題や対象ごとに決めることも大事になります。結局は、人為的に何かの割り当てをすることを「クオータ制」というのです。”人為的”になるのです。


いままでの私たちは昔から、何を考えることもなく、自然に・慣習的に・伝統的に受け入れてきた社会や政治の仕組みや制度を公平や平等基準に、いま変えようと”クオータ制”などと言っています。いま社会的政治的に、不平等や不公平とみられているのは”女性”の活躍や登用です。女性国会議員や閣僚の少なさや企業の役員や裁判官など女性の少なさを改めようと、まずは一定の割合以上を女性にしようとしているのです。女性を”登用”など言っている方々には、任せられませんね。


これこれを20%以上や30%以上にしようと割り当てる「クオータ制」のとどのつまりが、閣僚の全員が女性になったり、その裁判の裁判官が全員女性になっても、いまの全員男性でも不思議に思っていないのと同じように受け入れられる世の中になって、本当の男女平等や公平になったと言えるように思うのです。
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