吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

190(国)エゴの集まる地球環境保全の難しさ

2009年12月20日 | Weblog
 デンマークで行われていたCOP15(国連気象変動枠組み条約締約国会議)が合意文書を承認して閉幕した。2013年以降の地球温暖化対策の国際枠組みなり、具体的な温室効果ガス排出の削減義務などが決まったわけではない。

 世界全体としても大幅に温暖化ガス削減が必要であることや、そのために各国が最大限の削減目標や義務を立てて実行に向わなければならないことは誰もが承知している。先進国がどうの、後進国がどうの、新興国がどうのと各国の事情を翳し温暖化ガスの責任分担を押し付けあっている場合でないことも知っている。そのような世界のリーダーたちでさえ、合意形成が難しいのだ。

すでに高度経済成長を果たし只今成熟社会にいる先進国と、やっと成長過程の入り口に立ち高度な経済成長に向いたいと思っている新興国や、まだ少しも成長の恩恵が感じられない後進国では、国の事情が違う。地球の環境についての現況認識や環境が自国にもたらす影響の認識が異なる。経済や国民の豊かさの格差が大きすぎるからだ。

 一日1ドルかそれ(100円)以下で暮らさなければならない国と一日100ドルやそれ(10000円)以上の暮らしがふつうの国が同じ価値基準を分かち合えるわけがない。ただいま一日1ドルの国は、いかにして一日10ドルやそれ以上の暮らしができる国になろうかが何よりの大事なことになる。さんざん温室効果ガスを排出して地球の現在をつくった国にその責任を持っていただきたいと考えるのは当然のように思う。

 地球のエコのために、190の異なるエゴを持った国々が集まり開かれたCOP15だったが、鳩山さんの2020年25%削減(1990比)がかすんでしまうような、そんな会議閉幕であった。あの京都議定書が足かせになっているとは思いたくない、この頃の地球環境や世界の事情なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする