吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

日本とは異なる古代エジプトの八百万の神。

2009年09月06日 | Weblog
 地球の環境問題に直面しているわたくし達に八百万の神信仰は大変チカラ強さを与えてくれそうだ。大和の国は、わたしたち日本民族がずっと昔から信仰している八百万の神。太陽や自然をはじめに自然界のあらゆるモノを”神”として崇め、信仰してきた。

 家の中にあっては火や火の元のかまどや鍬や針など、野外の山や川などに加え岩や古木などおよび田や畑なども”神”として信仰された。太陽も含め自然界のあらゆるモノが信仰の対象になっていた。農耕民族のわれわれこそ、最も自然や地球を大切にしてきた民族なのだと誇りにも思ってきた。

 このところの地球環境問題への対応や現実の温暖化ガス削減や低炭素社会づくりへの取り組みにややオクレを感ずるのは、自然や地球および自然万物をつよく信仰の対象にしたり、”自然なライフスタイル”をこよなく愛する農耕民族の自分たちとのギャップなのかもしれない。

 世の中には”知らないこと”が多いと勉強させられた今日は、2009年9月6日、日曜日。特別予定もなかったので、思いつきで上野は東京都美術館に向った。公開中のトリノ・エジプト(博物館)展をみるためだ。古代エジプトというとツタンカーメンぐらいしか浮かばない自分だったが、家内の誘いに乗った。

 大半のほとんどの展示物が、いわゆる”お墓”の埋葬品や墓碑。多くのステラ墓護符碑や石棺の蓋の王や王妃像の中でいくつかの動物、ハヤブサ、トキ、ジャッカルなどの小像のなかに、古代エジプトの八百万の神信仰を勉強した。古代エジプトの王や人々が、太陽や自然およびその化身としてのこれらの動物を神として信仰していたことを知った。王や自然の化身が”動物”であったところに自分たちとの違いがあったことが、かえって自然観が共有できた気がした。

 特別の目的や用事がなくても、とにかく”出かけてみること”は 結構いいことだと思った。西洋も東洋も八百万の神は”自然”信仰、地球環境の持続性は共有できると確信した。
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