吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

2008年、ことしの漢字は「変」。

2008年12月13日 | Weblog
 ことし(2008)の漢字は、「変」。毎年発表される漢字検定協会の今年の漢字が「変」となったという。京都清水寺で12日、森貫主によりお披露目された。おそらくは、米国大統領オバマさんが、くりかえし選挙戦で訴えた「チェンジ」が引き金で決まったのだろうが、なかなか時局を捉えていると思う。

 日本においては、昨年(2007)のことしの漢字「偽」や迷や漂あたりが実感かも知れないが、”変”はいろいろ含みのある表現だと思う。小泉元首相の「改革」(変革)路線が変化したような兆しも今年なのは、何とも言いようがない。いつの時代でも、時代の求めや空気に適応することが”生きる”すべだが、その行き着くところは”変化”だ。適応だ。

 体制や構造を変えたり、変えることを改革や変革と言っている。変化(チェンジ)のほうが妥当だ。要は、いままでと姿や仕組みを”変える”ことだからだ。
「変化」は、オバマさん始発だが、彼が言いたかったことは、共和党から民主党に体制を変えることが、望ましい社会や新しい社会づくりの出発だということだろう。

 日本にも同じような希求もあるが、ことしの漢字「変化」が指摘しているのは、人々や社会の”価値基準”の変化だろう。国のありかたや政治のあり方についての価値基準も変化してきている。地球や人類についての考え方も変化している。社会や企業のあり方などについても、その価値基準が変化している。モノサシも目盛りも変わってきているのだ。

 モノやお金をたくさん得たり、持ったりすることが”ゆたか”と思う人々が減り、モノやお金と違ったものを求める空気も出ている。ヒトそれぞれで、何が生きがいなのかもそれぞれだが、その人その人の価値基準を大事にし、これらをあわせたものの総和を高めようとしているようだ。

 人々の価値基準について、よくよく探索していきたいと思う今年の漢字「変」でした。ただ、何々の変のような軽躁だけはご遠慮させていただきます。
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