日本(国)の将来を最もよく考えていると言われる官僚や政府は、何でも区分する。区分して考える。分析し、区分けする線を探し、区分する。区分し、細分し、微分する作業の行き着く先は、個人だ。競争原理が市場や社会を発展させると信じて疑わない彼らは、国民一人ひとりの”自助”意識こそ発展の動機だという。
自分や自分たちの将来不安ばかり心配し、自分ひとり個人力の限界を知る多くの庶民は、何でも互助で”一緒にして”考える。区分しようとは思いもせず、混ぜて一緒にして考えることが普通なのだ。それが民主主義で公平なのだと思っている。何でも一緒にしたり、寄せ集めたり、オイシイ味噌やアンコを作るように”混ぜる”ということは、微分とは反対の積分だ。突出をヨシとせず、”一億総中流”をヨシと考えている。効率や大きな発展は望めないのかも知れないが、隣の家や隣の人も”似たり寄ったり”だから安心する。
「調査をしたり、統計データを使ったり」することを専らにしてきた自分もよく、65歳や75歳で切ったり、15歳や19歳で切ったり、性別や年代別に区分したりする。生きていない屍データを区分したり分析しても、生きて活動している対象の真実の姿には迫れないと自戒反省しながら、”分析”にはしる。区分することが差別することにつながり、とどのつまり”格差”社会づくりになっていることを真に解っていない。
日本の国民の年金や医療や国民保健制度が”皆保険”で、老いも若きも一緒(互助)の仕組みであるがゆえに”一億総中流”社会がつくれたということを忘れている。所得収入のない専業主婦を配偶者控除にし、子供やお年寄りを扶養家族にし、”みんな一緒にして”互助体制をつくってきた良さや誇りを忘れている。一緒や混ぜて考えることが成立前提の互助や保険を、区分してチャレンジしようと”出来ないこと”をごり押ししようとしている。むなしい。
人類の生きる環境・地球や66億(やがて90億)の世界の人類が、いまにも崩壊しそうな状況にいて、なお不信する自由市場原理や競争や自助という”主義”に固執していることがわからない。せめて、何でも区分し、企業や人々の競争や自助だけを発展の動機にする”いま”を反省したい。
自分や自分たちの将来不安ばかり心配し、自分ひとり個人力の限界を知る多くの庶民は、何でも互助で”一緒にして”考える。区分しようとは思いもせず、混ぜて一緒にして考えることが普通なのだ。それが民主主義で公平なのだと思っている。何でも一緒にしたり、寄せ集めたり、オイシイ味噌やアンコを作るように”混ぜる”ということは、微分とは反対の積分だ。突出をヨシとせず、”一億総中流”をヨシと考えている。効率や大きな発展は望めないのかも知れないが、隣の家や隣の人も”似たり寄ったり”だから安心する。
「調査をしたり、統計データを使ったり」することを専らにしてきた自分もよく、65歳や75歳で切ったり、15歳や19歳で切ったり、性別や年代別に区分したりする。生きていない屍データを区分したり分析しても、生きて活動している対象の真実の姿には迫れないと自戒反省しながら、”分析”にはしる。区分することが差別することにつながり、とどのつまり”格差”社会づくりになっていることを真に解っていない。
日本の国民の年金や医療や国民保健制度が”皆保険”で、老いも若きも一緒(互助)の仕組みであるがゆえに”一億総中流”社会がつくれたということを忘れている。所得収入のない専業主婦を配偶者控除にし、子供やお年寄りを扶養家族にし、”みんな一緒にして”互助体制をつくってきた良さや誇りを忘れている。一緒や混ぜて考えることが成立前提の互助や保険を、区分してチャレンジしようと”出来ないこと”をごり押ししようとしている。むなしい。
人類の生きる環境・地球や66億(やがて90億)の世界の人類が、いまにも崩壊しそうな状況にいて、なお不信する自由市場原理や競争や自助という”主義”に固執していることがわからない。せめて、何でも区分し、企業や人々の競争や自助だけを発展の動機にする”いま”を反省したい。