ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治館(元加東郡公会堂)前の坂道-大正10年の騒ぎ

2015年12月25日 05時20分37秒 | Weblog
 24日(木)の早朝、路面はまだ濡れていましたが、気温は高く、水蒸気が立ち上って風景はうっすら白くかすんでいました。

 加東市社の市街地の中央を南北に貫く道を歩いていくと、南端の明治館の前辺りで下り坂になっています。市街地が加古川の河岸段丘の台地面になっているため社の街は坂道があるのが特徴です。

 さて、写真の右手は明治館、すなわち元の加東郡公会堂です。明治45年の建築で堂々たる建築物です。白壁の塀は昭和時代に行われた改修の際に造られたものですが、大正時代の郡制時代には、加東郡議会がこの公会堂で行われており、加東郡(元加東市と小野市域)の政治の中心でもありました。

 大正10年(1921)、加東郡議会では女学校の移転問題が話し合われていました。県立に移管された小野実科高等女学校を社町(旧)に移転することになり、この協定をめぐって南部(小野町)、北部(社町)の間で紛糾し、臨時郡会が開かれる郡公会堂辺りは多くの住民が集まるなどして不穏な事態となっていました。非常事態に備えて多くの警察官が出動したと伝えられています。

 坂道にさしかかり、そんな百年近く前の歴史をふと思い浮かべてしまいました。
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