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14日(月)、義士祭のこの日、加東市家原の観音寺で赤穂義士を偲び追善法要が営まれました。
観音寺の境内では、朝から赤穂義士の法被姿の奉賛会の皆さんが焚き火やくじ引き、甘酒、線香の接待などで訪れる人を迎えていました。
近くの社小学校の6年生が地域学習の一環として観音寺を訪れていました。引率の先生から、この歴史ブログを読んでいる児童もいると聞きました。地元の歴史を「現場」で学ぶ機会があるのはよいことだと思います。
また、地元の泉保育園、社保育園、社幼稚園の園児が次々と先生に連れられてお参りにやってきました。園児たちは、菩提所で小さな手を合わせていました。
恒例のくじ引きをしましたが、今年は4等の軍手が3つ。私も社連合区の役員だった時にはくじ引きの係を経験しました。
10時30分から本堂で追善法要が営まれました。安国寺をはじめ市内の寺院の僧侶がお経を唱えるなか、訪れた人々が焼香をしました。続いて、菩提所へと移動し、線香を手向けて四十七士を偲び、冥福を祈りました。
菩提所の中央には主君浅野内匠頭長矩、その両脇に大石内蔵助、主税父子、そしてこれを取り囲むように四十七士の墓碑が並んでいます。主君を囲む赤穂義士の忠義の姿が浮かんできます。
園児が先生に連れられ、墓碑に手を合わせながら巡っている姿は、半世紀余り前の自分の姿でもあります。赤穂藩ゆかりのこの地域の先人が、義士の150回忌に寄附を募って建てたこの四十七士の墓碑に込められた思いを承け継ぎ、次の世代につないでいくことが大事なことだと思います。