ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

分かれ道-明治館前広場への橋、坂道、階段

2015年12月27日 05時04分19秒 | Weblog
        

          

 朝のウォーキングで歩いているコースで、加東市社の市街地の外周となっている社環状線(国道旧372号)を時計回りに歩きます。そして、県道(旧国道175号)との松尾交差点の手前、稲岡材木店の西にある細い小径に入り、ほんのしばらく歩くと、写真の景色の場所に出ます。
 市街地の南を流れる下川、この川に架かる橋、その向こうに明治館前の広場に上がる石段と縁をまわって市街地へと上っていく坂道が見えます。
 56段の石段を上ると、そこには忠魂碑と明治館のある広場に出ます。この石段は江戸時代に造られたもので、明治初期にはこの広場にあった「八城学校」(社小学校の前身)の瀟洒な校舎があり、子供はこの石段を上って登校したということです。
 手前の橋は今はどこにでもありそうな橋ですが、かつては石組みの「神橋」とよばれる橋だったのです。この道は佐保神社への参道にあたり、神橋を渡り、石段をのぼって、佐保神社へとつながる参詣の道だったということです。
 坂道は広場のある台地面へと崖の縁を曲がりながら上る道で、市街地を南北に貫く通りへと繋がっています。
 下川は「しもかわ」と読みます。社の町の南(下)を流れるので下川と言われていますが、「白川」(しろかわ)が訛ったものという説も聞きました。「白川」の名の由来は、三草山合戦で平家を討った源義経の軍が社まで追ってきて陣を張った折りに兵士がこの川で米をといだために白く濁ったことから付いたというものです。この説の方がロマンがあっていいと思っています。
 早朝のウォーキングではまだ世の中が動き始める前の静寂があります。時間を超越した時間帯がそこに現出することもあり、いろいろなことを思い浮かべながら歩いています。
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