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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

湖底に沈んだ土井部落の人の証言②-藤井先生の実践から

2015年12月02日 04時40分47秒 | Weblog
 昨日に続いて、藤井喜明先生の東条ダムの社会科学習の実践記録に収録されている土井の人のインタビュー内容を紹介します。写真は緑の山々に囲まれた東条湖を遠望したものです。あの湖の底に土井があったのです。

「たしかな社会科授業を求めて-東条ダム建設と郷土の開発ー」(藤井喜明著)122ページ(昨日のつづき)

 そうした反対をしているうちに工事が始められて、その高じのために岩のばくは作業が行われた。その石が私たちの田んぼの上にふりかかったり、またにわまでとんできたことがありました。わたしたちはこの土地はどうしてもはなれられない。
 しかし農林省との話し合いでここにダムが出来れば加東郡や小野市などの田んぼや開拓地に水を引いて多くの米をとることができる。
 米の増収ができる。そこにすんでいる多くの人たちのためになるんだ。そして国からたくさんのお金をつかってダムをつくるんだからわかってもらいたいと聞いたのです。それもそうだ。しかし私たち七軒が外の土地へ行って生活できるだろうか、生活していけるだろうか。そう考えると一年半の間はほんとうに苦しみました。
 しかしいろいろ考えたすえとうとう立退きの調印をしました。立退きすることをきめてしまいました。いざ立退きになると大変だったんです。家もつぶさなければならない、瓦一枚一枚、木、石垣などを今のダムのそこからダムの外までもってでなければならないのです。だから親類中から手伝いにきてもらい、あの小さな道を牛にひかせて何回となく山道をのぼりおりしました。その苦しみがたたって年よりが一人死んでしまったことがありました。
 今、私たちはダムの外で生活していますが、時に、ダムに行くことがあります。ダムの水面をみながらあの船の下に私の家があったのだ、そう思いだします。
 そうしてあの当時の苦しかったことを思いだすのです。しかしそんな私たちの苦しみをわかってもらえる人はすくないんじゃないかと思うのです。
 すこしでもいいからダムの夕日を見ながら昔すんでいた故郷を思う心をわかってほしいものです。

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