ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

父の日記より-昭和14年、兄弟の帰還と入営

2015年12月03日 05時10分50秒 | Weblog
 この歴史ブログでは、昭和10年前後の郷土の軍事関係文書を紹介してきていますが、入営、退営の際に行われた佐保神社頭での奉告祭、凱旋兵の出迎え、遺骨凱旋、町葬などについて詳しく紹介してきました。
 父の日記を読んでいると、弟二人の帰還と入営のことが書いてありました。母親を早く亡くした父は幼い弟たちの面倒を見ながら働いていました。その弟の生還を喜ぶ間もなく末の弟の入営を見送っています。日記にある義夫、春市の二人の叔父のうち、義夫は私が大学生の時に亡くなりましたが、春市は90歳をこえて健在です。父と春市はずいぶん歳が離れていたので父親役を果たしていたと思います。そんな気持ちで見送りながら亡き母への想いが綴られています。
 父の日記から、父等の世代が生きてきた時代の一こまを知ることができます。写真は義夫の戦地での写真です。



昭和十四年十二月八日

春市の送別会。
芥田、広原、久保木、西垂水、親類が寄って義夫の帰還祝と春市の入営祝を兼ねる。

母よ。
 今十六年の後斯くして子供は皆無事に揃ひた里。而かも義夫は皇國の為め二年有余も戦争に参加して生還し今亦春市が征戦に赴かんとす。生あらば春市の幸を祈り給え。


昭和十四年十二月九日

午前九時佐保神社に奉告祭を初める。

春市は中位の□だ。
父が同行する。春市よ。十九で入営か。兵隊に生れた様なお前かも知れぬ。心強くやれ。

自動車の窓から顔を出してゐるのを見ると泣き度ひ位可愛想だった。
今亡き母を亦自分は瞳に思ひ浮ぶ。


昭和十四年十二月十日

父帰る。午後五時。
無事入営せ里と。
第二機関銃中隊の一。

二人で一升飲んだ。
二人共晴天の様な気分だ。

コメント
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