ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

上鴨川の道標-横断歩道の両側に

2015年12月29日 06時37分29秒 | Weblog
 



 昨日、加東市上鴨川の鴨川起点の標識を紹介しましたが、その小さな橋を渡って上鴨川の集落の東、国道372号線と交差する所に出ると、横断歩道のこちら側と向こう側に道標が立っていました。向こう側の民家の玄関先に建てられている背の高い道標は、大きな文字が深々と刻んであるのでよく目立ちます。以前にこの歴史ブログでも紹介したことがありますが、字の一部がもう深彫りで、隣の面の字とつながってしまって穴があいているほどです。表面には下のように刻まされいました。
 「左 京 いせ ふるいち ささやま」「右 きよ水 三田 大阪」「左 ほつけ山 や志ろ たきの」
 この立派な道標の建立は大正3年(1914)です。この交差点辺りは国道ができる前には民家があったと地元の方から教えていただきました。

 さて、こちら側の道標は交差点近く山裾にコンクリートで囲われた一画に数本の石造の像や碑が安置されており、見てみると、その中に道標もありました。表面は風化して字は読みづらくなっていますが、上部に仏像、下部の左には「左 ほつけ・・」とかすかに読めました。建立は文政時代のようです。背の低い石碑もありましたが、よく判りませんでした。

 この交差点には横断歩道が付けられており、地区の小学生数人が通学のために渡っています。しかし、国道は長い坂道の上、迫る山際にそって曲がっているためにトラック便などがスピードをあげて走っていると急には止まれない危険な横断歩道となっています。急ブレーキをかけていることもしばしばだということです。かつては静かな巡礼道、街道の分かれ道だったのでしょう。今は京都丹波方面と播磨を結ぶ重要な幹線ルートになっています。20年前の阪神淡路大震災では迂回ルートになりそれ以降交通量が増えたといわれています。
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