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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

湖底に沈んだ土井部落の人の証言-藤井先生の実践から

2015年12月01日 04時01分11秒 | Weblog
 昨日に続いて、藤井喜明先生の東条ダムの社会科学習の実践記録に収録されている土井の人のインタビュー内容を紹介します。写真は湖底に沈んだ土井の全景写真です。


「たしかな社会科授業を求めて-東条ダム建設と郷土の開発ー」(藤井喜明著)122ページ~

~前略~
 幸い土井出身の方に当時のなまなましい声を録音することができた。昭和四十年七月の録音であって二十年後の今日その観劇というものを今一歩味うことができないまでにも、指導の具体的な資料として有効なことはまちがいない。このテープは現在滝野東小学校に保存している。次にこの録音内容をあげてみることにする。

録音内容

 私たちの住んでいた土井といいますと今東条ダムの水のそこにすっぽりとしずんでしまっていますが、たくさんの田んぼとそこに住んでいた七軒と五一日との人たちがおもに百姓をしながら大きな事件もなく平和にくらしていたところです。
 しかしそこが昭和二十二年そこがダムになると聞いてみんなびっくりしてしまったのです。ダムになるとすれば七軒のものがどこかへ立ちのきしなければならない。しかしどうしてもたちのかなければならないとすれば私たちの祖先がずっと住んでいた土地ですからその人たちの墓もあります。私たちが小さいころから楽しく暮らしたところです。たのしく水泳をしたり魚つりをしたところです。しかし行くところどこにもないのではないだろうか、そう考えると土地からはなれられないのです。自分の家と田畑をすててどこに行って生活すればよいのかそういうことでびわ湖の干拓地へ行って住むところはないだろうか見に行ったり、また新しい開拓地をさがしに行ったのですがそれもだめでした。立退くとすると、国からの補償ははあるのです。お金はくれるんです。それでよそにいって土地が買えるのでなしどうしたらよいか毎晩毎晩七軒のものが集って話し合いをしました。ほんとうに長い間どうしたらよいだろうか、どこへ行ったらよいだろうかそうだんを重ねました。それは毎晩のようにしました。そしてそれが一年半ほど続きました。
 しまいには、ここから立退けば生活ができないんだ。老人たちは「覚悟はできているんだ。祖先が死んだこの家を守って家族を柱にしばりつけて、われわれは沈んでいくんだ、土井のと運命をともにするんだ」こういって涙の抗議を続けてきた人もあります。

                                  つづく
コメント
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