ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

赤穂義士の寺観音寺-「薦誠碑」建立協力者の碑

2015年12月24日 04時46分59秒 | Weblog
 赤穂義士の寺として知られる加東市家原の観音寺境内にある四十七士の菩提所の入口の脇に大きな石碑があります。碑の表面には漢文が刻まれています。これが「薦誠碑」です。
 赤穂義士の150回忌にあたる弘化4年(1858)、赤穂藩ゆかりの観音寺の境内に浅野内匠頭、四十七士の墓碑が建立されました。この「薦誠碑」の碑文は、建立のために寄付を募った善龍院の僧、明範の依頼で、赤穂藩の分家である家原浅野氏の当主、浅野長祚(あさのながよし)が書いたものです。
 碑文には四十七士の墓碑建立の経緯、明範の呼びかけで、義士を偲びその忠義を讃える人々の寄付によって建立されたことなどが書かれています。難しくて読解できませんが、解説によるとそういうことだそうです。

 その「薦誠碑」の隣に碑が建てられています(写真)。「薦誠碑」建立の協力者の碑です。表面の字は読みづらくなっていますが、下部の方には、村名が刻まれているのがはっきり読めます。鳥居村、梶原村、喜田村、田中村、垂水村、貝原村、家原村、中村。垂水村は現在の加東市西垂水、中村は加東市上中のことです。
 地域の歴史を伝える大切な石碑です。一度じっくり見て下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする