晴走雨読

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『労農派マルクス主義』 その3

2008-07-17 21:25:58 | Weblog
 『労農派マルクス主義』 その3

 長編歴史小説を読んでいるようだ。20世紀初め、「第Ⅰ部労農派の形成」、「第Ⅱ部「労農」発刊から蹉跌まで」、「第Ⅲ部論争から弾圧」、の終戦までを読み終えた。

 石河氏による「戦前の労農派の中間決算」から(部分、要約)引用する。

 ①運動主体の直視
 「戦前、この国の社会主義勢力全体が、圧倒的な支配階級の力の前に分断され敗退した。労農派のめざした単一無産政党は不成功に終わり、ファシズムへの闘いもなしえぬまま敗戦を迎えた。日共も有効な抵抗をなし得ず、大量の転向を生み出した。社会民主主義も軍部ファシズムに妥協しつつ生き残ろうとしたが、最後は身内から発生した社会ファシズムによって放逐された。」

 「戦前のこの国の労働者階級には政治的・民主主義的訓練の場が与えられなかった。支配階級の権力機構は、労働者運動の形成にはるかに先んじて確立し、労働者運動は圧倒的な力に封じ込められて苦闘した。」

 ②マルクス主義の深化
 「労農派のアイデンティティは、レーニンに代表される帝国主義段階のマルクス主義の日本への適用の探求から形成された。」

 堺利彦と山川均によるマルクス主義の啓蒙、山川、猪俣津南雄による福本イズム(日共)との論争、猪俣、櫛田民蔵、向坂逸郎による日本資本主義論争の発展など理論的深化がなされた。

 一方、「日共系の理論活動には、「福本イズム」「31年テーゼ草案」にせよ、すべてを政治決着で清算し、提起された問題を継続して検討する姿勢に欠けていた。特に30年代なかば以降、弾圧で運動が壊滅されるにつれ、分派に神経質となり理論の健全さは保たれなくなり、思索に蓄積と発展が希薄となった。」

 ③反省点
 組織論の問題としては、「共同戦線党が不成功に終るのであるならば、最初から労農派を中心に小さくとも無産政党を興し、社民主義政党などと統一戦線をくむこともひとつの道であった。」

 「労農派は、コミンテルンの認識と同様、社会民主主義はファシズムに転化する危険性があると認識していたが、実際はこの認識は当たらなかった。社民主義は、典型的な「社会ファシスト」としてファシズムに協力する部分と、ファシズムに対して議会主義的に一定の抵抗力を持つ部分に分かれた。」



 さて、物語は、「第Ⅳ部戦後激動期1945~1951年」は続く。そして、運動高揚期を経て、なぜ、総評・社会党の解体につながり、現在の情況となったのか、その理論的解明が明快にされるのであろうか。



 ♪いつか夜の雨が 走りはじめたネ
  過ぎ去るものたちよ そんなに急ぐな

  きみの住む街を おもいださせるネ
  あの頃の愛の唄よ 喜びをうたうな (岡本おさみ&拓郎)

 久しぶりに雨が小屋根をたたく音が聞こえます。
 静かな夜の雨音は、気持ちを落ち着かせてくれます。
 明日も雨が降り続いてほしいと思います。
コメント
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